87.これにて一件落着! どっとはらい――とは、ならなかったのです。まだ。


「…………ジム・ドートレス?」


 かなりドン引きながら。シドはジムへと振り返った。

 シドのみならず、周囲から集まる乾いた視線に、ジムはぎょっと跳び上がる。


「ち、違っ……!」


「なんにもちがわないのです。クーをけがしたいともゆっていました。あと、クーと結合したいとかなんとか」


 不審者を見る目でじとりとジムを睨みながら。

 クロは仔犬の唸り声を思わせる低めた声で、口早に並べ立てていく。


「クーの聖域にどうとかゆってましたけど、クーにはちゃんとわかるのですよ。

 あなたはクーの処女ハジメテを強奪して、クーに赤ちゃんはらませたがってたひとなのです。乙女オトメテキなのです」


 ――――沈黙。

 胸をかきむしられるような、ひたすらにいたたまれない沈黙が、広場の空気を圧してひたひたと満ちていった。

 やがて、



「……最低」



 フィオレが呻いた。磨り潰すようにして。

 異論は上がらなかった。《軌道猟兵団》の冒険者達でさえは、「やむなし」と言わんばかりの溜息をついていた。

 ジムは顔を真っ赤にして狼狽する。


「そ、れは……いえ、それは決して、言葉通りの意味ではないのです、レディ。誤解です。それは言わば、私の胸より熱く湧き上がった、つまりは貴方に対する愛と情熱の迸りであって!」


「……劣情の間違いだろ?」


「言ってやるなロキオム。あの育ちのよさそうなお坊ちゃんに、その追い打ちは残酷が過ぎるってやつだ」


「チンピラ冒険者風情が口を挟むな! これはあくまで、私と彼女の間の問題だぞ!!」


「クーは『おむこさんリンク』がいますので、ジム・ドートレスの赤ちゃん作るのはダメダメのダメですし、それ以前の問題としてムリムリのムリなのです。それに、クーはそんなことばではごまかされません。クーはあなたの心とつながっていたので、あなたが見ていたものをちゃんと見ています」


「な、何を……?」


 ジムはおろおろと眉をひそめるばかりだったが。

 彼女の言わんとするところが、シドには既に、あらかた察せられていた。


 そう――そうなのだ。


 クロは周囲の人間の『心』を読む――彼女が言うところによれば、


 フィオレと実際に対面するよりから、彼女はフィオレを『きれいなひとみたい』と評した。それはつまるところ、あの時シドが思い浮かべたを、クロが読み取っていたということの証左ではなかったか。



 

 



「いちばん近くにいましたから、ぜんぶ見てしまいました。ものすご――――くえっちでした。ジム・ドートレスはどすけべです。へんたい。いろぼけ。あたまどぴんく。ばーか」


「若さですね、ジム・ドートレス。しかし、私もあれは正直どうかと思いました」


「そんな! リアルド教師せんせい!!」


 愕然と叫ぶジム。


 ついさっきまでは発火寸前の緊張に満ちていた広場が、今や形容しがたくぐだぐだした生ぬるい空気に澱んでいた。

 なんだかなぁ、という気分で、シドは苦笑交じりのため息を零す。


 と――


 その時になって。ジムは不意に表情をこわばらせた。

 何か、事ここに及んで拭い難く引っかかるものを覚えたとでもいうように。


「――シド・バレンス。ひとつ確認させてもらいたい」


「いや……さすがに駄目だと思うよ?」


「何の話だ!!」


 引き気味に呻くシドへと喚き。ジムはわざとらしく咳払いなどして、場の空気を仕切りなおした。


「そうではなく――貴方があの少女を見つけたのは、隠し部屋の中だ。それは間違いありませんね?」


「そうだけど……」


「ならば、そのひとつ手前の部屋にはゼクがいたはずです」


「……え?」


 ジムの表情は、既に『真剣』のそれ以上の、厳しいものだった。


「ゼクを覚えていらっしゃいますか、シド・バレンス。《Leaf Stone》で貴方にも紹介した、我々の仲間――その彼が、隠し部屋の手前に控えていたはずなのです。彼女が眠っていた隠し部屋のガードと……《来訪者ノッカー》の、監視のために」


 ――そんなはずはない。


 咄嗟に、そう反駁しかけた。

 なぜなら、隠し部屋のひとつ手前――割れたガラス筒が並ぶ荒れた一室。シド達がそこへ突入した時、あの部屋には誰もいなかったのだから。


「貴方は彼を排除し、隠し部屋をあらためた――訳では、のですね?」


 ――誰一人、いなかったのだから。


 ああ、そうだ。

 最前まで、ジムはシドが宝種クロの呪いを解いたことを知らなかった。だからこそ、シドが《来訪者ノッカー》の居場所を訊いたときも、彼は何らの疑問を抱くこともなくそれに答えようとした。

 シドがあの隠し部屋へ立ち入ったことを、彼は認識していなかったから――だから、あの隠し部屋のひとつ手前の、割れたガラス筒だらけの一室に、《来訪者ノッカー》がいるのだと答えかけていた。


 だが――あの時は無人だった部屋の中に、《来訪者ノッカー》がだったとしたならば。

 それは、



「――――あ」



 ぽつり、と。雨垂れのように冷たい、ちいさな呟き。

 それは、クロの唇からこぼれたものだった。


「これ……どうして、まだ……。ううん、もしかして、ずっと……生き、て……?」


 スプリガンの足元に縋ったまま、彼女は高い天井を仰いでいた。

 否――そうではない。彼女はその『先』を見ていた。


「クロ?」


「――ごめんなさい」


 ぽつりと。雨垂れの最初の一滴のように、少女の唇から悔恨がこぼれた。


「クーと、おむこさんリンク、たすけてもらったのに。たすけてもらった、ばかり、なのに……なのに」


 高みを仰ぐクロの横顔は、凍りついていた。

 恐らくは――後悔と、恐怖に。


「死んじゃいます……


「クロ? 何を言って」


「いますぐ、逃げて」


 凍りついたまま、震えていた。歪んでいた。

 悔恨と――諦観に。


「だって、だってここに来るです……ここに、あいつが。――《幻想獣キュマイラ》が」


 震える声が紡ぐ。落涙のように。



「――――《キュマイラ・Ⅳ》、が」


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