86.結婚適齢期は国や地方によっていろいろでしょうが、それにしたってちょっとは自重した方がよいことってあると思うんですよね!


 フィオレとユーグ、それから禿頭のロキオム。

 この三人から少し遅れる形で――というより、おそらくはユーグから距離を取って――後に続いていた、ケイシー、ルネ、ジェンセンの三人。


 彼らが広場へ駆け込んできたのを見て、シドはほっと安堵の息をついた。


「フィオレ、こっち! ちょっと手伝ってほしいんだけど――」


おむこさんリンク!」


 鋭い声を上げて。

 ぱっと飛び出したのは、それまでロキオムの胸にお姫様抱っこで抱えられていた――そのせいで気を遣う羽目になったのか、ロキオムの顔は心なしかげっそりしていた――クロだった。


 シドが包んでやった外套マントの裾を踏んづけそうになって、もたつきながら。顔の半分と右腕を喪って倒れ伏した巨人スプリガンへ、クロは駆け寄っていく。


「ああ――おむこさんリンク! おむこさんリンク! こんなに傷ついて、ああ……!」


 半分だけ残った、巨人の顔へ。

 抱きしめるように体を寄せて、クロはその声に涙を滲ませる。


「でも、死んでない……まだ、死んでないです。生きてる、生きて……!」


 ――よかった。


 安堵に濡れたその涙声を聞いたのは、他ならぬ彼女自身と――そして、彼女の巨人スプリガンだけであった。

 

「あの少女は……」


 ――その、光景を。

 ジム・ドートレスは、呆けたようにぽかんと、見つめていたが。

 やがて、彼の脳裏で繋がるものがあったのだろう。驚愕と共に振り返り、シドへと詰め寄る。


「――シド・バレンス、彼女は!」


「ごめん。すまない。どうか落ち着いて」


「彼女はまさか……まさか、《宝種オーブ》なのですか!? 隠し部屋の奥の、宝石の彫像となって眠っていた!!」


「うん。たぶん……その、あなたが言ってる子と同じ子だと思う」


 どうどう、と両手を前に出して宥めながら。

 大変申し訳ない心地に縮こまりつつ、シドは答える。


「一体……どうやって! 《真人》にかけられたる呪いを解くなど、そんなもの、伝説の霊薬アニマでもなくば叶うはずが!」


「アニマ?」


 ――いつの間にか、シドのすぐ後ろまでやってきていたフィオレが、小鳥のように首をかしげる。

 シドはぎくりと竦みかけ――ひとまず、この場の対処を定めた。


「いや、アニマでもないと、クロを解呪するのは無理って話で……何ていうか」


 ひとまずフィオレに対しては誤魔化すことにして、あらためてジムへの話を続ける。


「……話せば長くなるんだけど。要約すると、たまたま使える手段を持ってたんだ」


「たまたま!?」


 衝撃を受け、愕然とするジム。


 背中越しに、きょとんと疑問符を浮かべているフィオレの気配を感じながら。

 そんなジムに向かって、「どうか余計なことは言わないでくれ」と目で訴える。


 彼ら《軌道猟兵団》に関することは、いずれフィオレにも話して伝えるべきではあるだろうが。

 それは決して今ではない。今の時点で中途半端に事実が伝わってしまえば、ようやく混迷を脱したばかりの状況を、またしてもややこしくするだけだ。


 その事実はどこか落ち着いたところで、あらためて話して伝えるべきこと。半ば混沌からの逃避ではあったかもしれないが、シドは心からそう確信していた。


「ただ――そのうえで。その『手段』だけじゃ、彼女の解呪はどうにもならなかったんですけどね」


 言いながら、シドは巨人スプリガンに身を寄せたままのクロを見る。


「何ていうか、彼女が眠っていたあの部屋が、いずれ彼女を目覚めさせるために用意された、解呪の『儀式場』だったみたいなんですよ。

 どういう機序でかは分かりませんが、たまたま起動したその機能をうまく使えたから……それで彼女の解呪を、どうにか成功させられたみたいで」


「何と……」


 感銘を受けた体で、ジムは言葉を失う。


 まさかあの部屋にそんな仕掛けがあったとは――

 それが真実だとして、なにゆえに彼女だけがそのような部屋に安置されていたのか――


 目を輝かせる彼の脳内で、いくつもの疑問と考察が渦を巻いているのが、シドからも分かりやすく見て取れた。


「ねえ、シド。私、何で呼ばれたの?」


「あ、ごめんフィオレ! ええと……実はこちらの水竜人ハイドラフォーク、ラズカイエンっていうんだけど、彼の怪我を治療してほしくて」


「……いいの?」


 眉をひそめるフィオレの顔には、疑念が露わだった。



 ――このひと、船を襲ったり、お店を壊したりした水竜人ハイドラフォークなんじゃないの?

 ――そんなひとを、わざわざ治療していいの? 大丈夫?



「運よくはらわたはやられてないみたいだけど、腹部の傷もあるし……それに、竜人とはいえだいぶん出血もしたみたいし、このまま放置するのはまずいと思うんだ。だから、傷の消毒と治療……頼むよ、このとおり。お願いだ」


「……シドがそれでいいなら、私はべつに構わないけれど」


 シドが拝み倒すと、フィオレは――若干複雑そうにしながらも――ひとまず、そう請け負ってくれた。

 ラズカイエンの傍らで膝をついて《回生》の刻印を励起し、治癒魔法を起動する。


 ラズカイエンは鋭い眦をすがめ、鋭い牙を剥き出しにするように、口吻の長い口の端を苦々しく歪めたようだったが――それでも、情けをかけられ、手当てを受けているのは理解しているのだろう。そっぽを向いたままではあったが、それ以外は大人しく、フィオレにされるがままへと任せていた。


 ならばこちらは、これでもう大丈夫。

 何せフィオレがその身に刻んだ《回生》の魔術刻印は、聖堂の高司祭が扱う《癒身》の法術に匹敵する効力を宿す構成だ。


 喫緊の問題が片付いたところで、シドはあらためてクロを見る。

 ユーグをはじめとする《ヒョルの長靴》の面々は、彼女の後ろに集まって――ある者は興味津々と、またある者は若干距離を取っておっかなびっくりに――倒れ伏したままのスプリガンを眺めやっていた。


 シドは呼びかける。


「クロ! そっちの彼はどうだい!?」


「あ――はい! だいじょうぶなのです! ちっとも無事じゃないですけど、でもおむこさんリンク、ちゃんと生きてるのです!!」


 ぱっ、とスプリガンから身体を離して

 クロは明るい笑顔を広げ、華やかに弾む声で答えた。


「放っておいても大丈夫、ってことかい? 俺達に何か、手助けできることはある?」


「へいきなのです! あ、でも――」


 クロはあらためて、スプリガンへと向き直る。



「――ᚷ ᛚ ᛜ ᛃ ᚹいやされよ、あなた


 

 ぱき、ぱき――と、石が割れるような音を立てながら。

 砕けていたスプリガンの損傷が、みるみるうちに修復されていった。


 やがて――

 完全に元通りとなったスプリガンが、のそりとその身を起こした。


「……凄い」


 はるか《真人》時代からの幻獣とはいえ――こんなにも、簡単に治るものなのか。

 呆気にとられるシドに、クロは「ふふん」と子供っぽく胸を張る。


「とうぜんなのです! なんたって、クーのおむこさんリンクなのですよ?」


「何とも、はや――これでは、我々の奮戦も形無しだ」


 再起動したスプリガンを苦笑気味に見上げながら、ジムが力なくひとりごちる。

 と――

 


 さっ。



 その姿を見止めたクロが、スプリガンの後ろへ――まるで、内気で小さな子供が大人の後ろへ隠れるように、仔犬めいた素早さで身を隠した。


「……クロ?」


「そのひと、ヤなのです」


「え?」


 スプリガンの脚を掴んだまま。その後ろから、顔だけを覗かせて――じとっとした恨みがましい目で、ジムを睨んでいるクロ。



「そのひとは、クーを『てごめ』にしようとしてたのです。おむね触られたり、おなかに頬ずりされたりもしたのです」



 …………………。

 

 ………………………。


 ……………………………何て?

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