くすんだ銀の英雄譚~おひとよしおっさん冒険者のセカンドライフは、最大最難の大迷宮で~
85.さらに明らかになった真相がありました。けれど、それはそれとして、もっと優先するべきことがあるのだと、おっさん冒険者は信じます。
85.さらに明らかになった真相がありました。けれど、それはそれとして、もっと優先するべきことがあるのだと、おっさん冒険者は信じます。
「ウィンダムの火傷は、もはや手の施しようがありません」
「私とロト侍祭の治癒魔法では、かろうじて命脈を保つのが精一杯――この
「し、しかしそれは――それは我々が! あの、はるかなる《真人》の少女を蘇らせるにおいて、必要不可欠のものではありませんか! それを使ってしまえば、今日まで追い求めてきた我々の悲願は!!」
「では見捨てますか、ジム・ドートレス。己が大願の成就と引き換えに、同期の友を、私の生徒を見捨てますか」
教師から突きつけられた問いに、ジムは言葉を失う。
苦しげに唇を噛む。そこまで非情に思いきることは、さすがにできないのだろう。
「それ、は……!」
「待ってくれ」
だが――ひとつだけ。
状況を理解したうえで、シドには聞き捨てならないことがあった。
「リアルド教師。あなたは今、それを『アニマ』と呼びました。あなたの手にあるそれは、霊薬アニマ――あらゆる負傷と病苦を癒すといわれる、伝説の霊薬アニマなのですか?」
その、シドの質問へ覿面に反応したのは、リアルド教師ではなく、ジムだった
「っ……え、ええ。そうですとも! 我々はかの霊薬アニマを見つけ出したのです。この場では到底語りえぬほどの、苦難と冒険の末に――」
「――その、冒険の果てに。今や、かの《
リアルド教師に代わり、早口で並べ立てるジムの言葉を遮って。シドはリアルド教師へと、その問いを重ねた。
《
だが――そも、かの霊薬の在り処とは、妖精種ならざる者なれば、それどころか妖精種であったとしても、ごく限られた一握りしか知り得ぬ秘密である。
《
その霊薬を身に浴びればあらゆる傷と病苦は癒され、老いが齎す衰弱さえも遠ざけて、命を長らえることが叶うという。
事実としても――かの霊薬は、妖精郷の守護者であった
「《真銀の森》から《ティル・ナ・ノーグの杖》を奪ったのは、貴方達だ、と。そういうことで、よろしいですか」
「だとしたら、どうしますか? シド・バレンス」
狼狽する
「この
「いいえ。ですが、アニマは《
もし彼らがそれを知らずに霊薬アニマを持ち出していたとすれば、すべては水泡に帰す。重傷の魔術師を癒すことさえかなわない。
そんなシドの懸念を杞憂と笑い飛ばすように、リアルド教師は口の端を緩めた。
「この小瓶は《真人》種族が遺せし遺産、《ビオトープの
――つまり、あの瓶の内側には、霊薬アニマと共に極小の《
ゆえに、霊薬アニマは今なおその効力を保っているということ。
「であれば、俺から言うべきことは何もありません。《ビオトープの
――で、あるならば。
これ以上、シドがこの場で彼女達へ問うべきことはない。
「その霊薬は、どうぞ自由にお使いください――仲間の命を救うための行為を、この場で止めようなどとは思いません」
「感謝します」
リアルド教師は、一度だけ。ぎこちなく頭を下げた。
「リアルド教師……僕の《癒身》では、もうこれ以上は」
「分かっています、ロト侍祭。あと十秒だけ持たせてください」
弱々しく呻く
蓋を開け、瓶に封じた霊薬アニマを、死につつあった生徒の身体へ注ぐ。
――効果は
炭のように焼け焦げていた魔術師の皮膚がみるみるうちに元の肌色へと治癒されてゆく。
「……ぅ」
目こそ閉じたままだったが。
魔術師ウィンダムの口から微かな呻きがこぼれる。
「呼吸、心音、共に正常――
おお――と、誰かが安堵を零す。
広場に満ちる空気が、心なしか、少しだけ緩んだようだった。
ジムは仲間が助かった安堵がないまぜになった深い落胆に、がっくりと肩を落とし、手にしていた剣をだらりと下げた。
もはや、彼に交戦の意志はない。
シドもまた、片手で支えていた
「何故……シド・バレンス。貴方は何故、
「俺は、フィオレと一緒に《ティル・ナ・ノーグの杖》奪還の探索に携わった――その中の、ひとりだったから」
言葉を選んだシドの答えに、ジムは息を呑んだようだった。
フィオレ・セイフォングラム。
神官戦士バートラド・セイズと、その妻フローラ。
少年剣士アレン・クローデル。
魔術士見習いの少女ミリー――ミリーティア・ペンテシス・フレーデリケ・フォウ・エルドリット。
奪われた《杖》を奪還した、その探索の旅を共にした、素晴らしい冒険者達。
そして、自分――シド・バレンス。
「その時に、《
「……成程。彼女が貴方に受けた『ひとかたならぬ恩』とは、そのことでしたか」
もはや笑うしかない、といった体で、ジムは力なくかぶりを振って笑った。
「どうやら、既に《杖》を追っている様子もなし。族長の娘というだけの、未熟にして稚拙な追手にすぎなかった彼女が――いかにして、我々の手を離れた《杖》を奪還せしめたのか。不思議に思ってはいました」
――やはり、あの時が初対面ではなかった。
彼は、フィオレを知っていたのだ。
ならば、あの時のあれも、そういうことだったのだろうと、ようやくにして理解が及ぶ。
状況を見定められない、不安ゆえの不快――フィオレに誘いを断られたときに彼が見せた、あの苦々しい顔の真意は。
「ラズカイエンの負傷を診てやりたい。構わないよな?」
「お好きになさればよろしい。もとより我々は、そこな亜人につけ狙われただけの側にすぎません」
あっさりと、ジムは頷いた。
「ですが、治療の後、その亜人めが再び我々に牙を剥いたなら――その時はあらためて、然るべき形で対処させていただきます。よろしいか?」
「ああ、それでいいよ――ありがとう」
ジムの突き放すような物言いは、それでも、彼なりの妥協ではあったはずだ。
彼に向けてぺこりと頭を下げ、シドは今や力なく膝をつくばかりのラズカイエンへと向き直った。
その場にかがんで視線の高さを合わせ、額に指先を触れさせる。
「貴様、何を――」
「すまない。悪いんだけど、もう少しだけ動かないでいてくれ」
案の定、カッと反駁するラズカイエンを宥めながら。シドは目を閉じて、意識を集中する。
怪我の容態を見る前に、ひとつだけ確かめておきたいことがあったからだ。
「……大丈夫、もう呪いの気配はない。残り滓だけだ」
呪詛の気配は既にない。ただ、脇腹を内側から破壊したような傷跡に、呪いだったものの残滓だけが感じられた。
おそらくは彼の身にもまとわりついていたのだろうそれは、彼を殺すにまでは至らなかった。他方、竜人の再生力でもって既に血が止まりかけている右腕と異なり、腹部の傷は治りが奇妙に悪い――こちらはおそらく、呪詛の効果が、発動後も完全に消えきっていなかったせいだろう。
だが、今や傷口に感じられる残滓の気配に、もはや呪詛としての力はない。
あとは時間と共に消えるだけだ。
「もし、この呪いが、あなたの仲間を死なせたという呪詛と同じものだったなら――おそらく、あなたを蝕んでいた『それ』は、不完全な状態だったんだろう。そのせいで、あなたを殺すまでには至らなかった」
「……………………」
ラズカイエンは、ふいとあらぬ方を向いた。
礼を言うつもりはない、という意思表示だ。べつに、それでも構わない。
礼を言われるほどのことはそもそもできないし――たとえそうでなくとも、仲間を喪い、復讐すらままならなかったのであろう目の前の水竜人に、このうえ『人間』への恩義を感じろなどとは、とでもではないが言えやしなかった。
「シド――!」
フィオレと、ユーグ。そして《ヒョルの長靴》の冒険者達がようやく広場へと駆けつけてきたのは、この時のことだった。
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