92.死闘が続くその最中。出遅れてしまった《ヒョルの長靴》の冒険者達は、一体どうしていたか。


 ケイシー達三人――後方で置き去りにされた《ヒョルの長靴》の冒険者達は、完全に竦んでしまっていた。

 幻想獣キュマイラが上げた咆哮に完全に血の気が引いて、呆然と目の前の戦いを眺めるしかできずにいた。


「ど、どどど……どうすんの、どうすんのよあたし達! ねえジェンセンどうすんのよ、ねえ!?」


「うううるせぇな! お、お前はまだいいだろ、ここから魔法撃ってりゃいいんだから……!」


 真っ青になりながら、乱暴に袖を引いてくる女魔術師の手を、斥候スカウトの男は乱暴に払い落とした。


 冒険者は、自分の命をチップに換えて、危険と危難をかいくぐるのが商売。ユーグが言っていたのは、つまるところそういうこと――その程度は、ジェンセンとて言われずとも理解している。


 だが、そういう問題ではない。

 いくら何でも、こんなのは割に合わない。


 よりによって、伝説の幻想獣キュマイラ

 五百年前、英雄オルランドを死に追いやった魔獣だと?


 そんな話のどこまでが真実かなど、今の時点では知れたものではなかったが――それでも目の前に現れた魔獣が、附術強化に《聖剣》の加護まで重ねた武器の刃がろくに通らず、さらにはクソ生意気なエルフ女ばかりか白金階位プラチナ・クラスの魔術をもあっさりと打ち払う、桁違いの化け物なのは間違いなく事実だ。この目で見て、今も見せつけられている。


 あれは駄目だ。やばい。

 まともにぶつかっちゃいけない類の、厄ネタバケモノだ。


 まがりなりといえど、金階位ゴールド・クラスまで昇格できるだけの練度と経験を積んできた冒険者としての直感、あるいは生物としての根源的な嗅覚が、ジェンセンの脳裏で耳障りなほどに警鐘を鳴らしまくっている。


 現に今も三人がかりで――いや、《軌道猟兵団》のジム・ドートレスが加わって四人がかりとなっても、なお魔獣の足止めが精一杯。その間に、《軌道猟兵団》の魔術師達やあのエルフ女は次々と魔術を放っているが、ひとつとしてまともな効果を上げているようには見えなかった。



 ――馬鹿正直に戦う必要が、一体どこにある。


 ――適当に逃げ回って、他の適当な連中にでも押し付けてやればいいじゃないか。



 まして、ジェンセンは斥候スカウトだ。その役割は、罠や仕掛けを警戒し、パーティの進路を確保することだ。

 戦闘は本分ではない。荒事の類は、他の連中が担う仕事のはずなのだ。


「つきあってられるかよ……お、お前達だってそう思ってんだろ? オレ達の武器や魔術が、アレに通用すると思うか!?」


「そう、よね……それは、そうだけど……」


 ケイシーが涙目で呻く。

 だが、もう一人からの応えはなかった。ジェンセンの彼女オンナである、軽戦士ルネからの返事は。


「ルネ?」


「……あたし、やる」


「はぁ!?」


 ジェンセンは顎を落とした。女の正気を疑った。こいつはあの魔獣の脅威にあてられて、恐怖のあまり頭がおかしくでもなってしまったのか。


「バっ……カか、ルネ、おま……あれ見てわかんねえのか!? あんなもん、どう考えたってきわめつけの厄ネタじゃねえか!!」


「そ、そうよ! それにほら、あの宝石の子だって、戦っちゃダメだって言ってたじゃない!? かないっこないわよ、ね!?」


 口々に喚く仲間の物言いに。

 ルネは頭痛でも覚えたようにきつく眉根へしわを寄せ、激しく舌打ちした。


「――っせぇーなぁ、バカはてめーらの方だろぁ!?」


「な」


「ぁに? なによジェンセンその顔。もしかして気づいてなかった?……あたしらみんな、ユーグに見切りつけられかけてんだよ!?」


 ルネの喚きに、揃って青褪めた顔を引きつらせる二人。


 ――ユーグ・フェットは頼りになるリーダーだ。目端が利いて、頭が切れる。

 馬鹿騒ぎにも寛容で、いくらか羽目を外した程度なら、何も言わずに見逃してくれる。時には矢面にすら立ってくれる。

 自分達はユーグの言う通りにしていれば、一端の冒険者としておいしい目を見ることができる。



 


 《ヒョルの長靴》は成り立っている。

 一流のパーティに名を連ねることが叶っている。



 ケイシーも、ルネも、ジェンセンも――ロキオムやこれまでパーティにいたことのある他の連中も。各々に課せられた役割の範疇ならば別として、『冒険者』としてのし上がるための嗅覚と、ギリギリの危険をかいくぐる胆力を備えたリーダーは――ユーグに成り代われるようなやつは、ひとりとしていなかった。


 自分達は金階位ゴールド・クラスで、一級の冒険者だ。底辺でうろついてる無能どもや、ましてや惨めにくすぶりつづけているばかりの《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》なんぞとは格が違う。それに相応しい鍛錬と実績を積んでのし上がった、言わば上流の存在である。


 だが――その自分達が冒険者としてうまい汁を吸えているのは、それでもユーグというリーダーの頭と目利き、胆力があればこそ。

 ケイシーもルネも、ジェンセンも――それだけは、あやまたず理解していた。その理解を共有し合っていた。


「ば、っ……バカ言うなよルネ。他の無能連中ならいざ知らず、オレ達ゃ今まで、ずーっとユーグと一緒にやってきたんだぜ!? それを」


 狼狽しきって浮足立つジェンセン。

 ルネはそんな男を、「はん」と鼻で笑った。


「んなもん気にするタマかよ、ユーグが。だいたいさぁ、今回の探索の間、あいつがずーっとキモオジやエルフ女の肩持ってたのさぁ、あんた達まさか気づいてませんでしたぁーなんてこと、ないよねぇ!? ねえ!?」


 引き攣った顔面に歪んだ笑みを広げながら、ルネは喚いた。

 そこにあったのは、今にもはちきれ溢れんばかりのだった。


「それでなくたってね……手前てめえが戦ってんのを放って、自分達だけケツまくって逃げ出すような連中とさぁ、明日からもパーティ組んでられるとかマジで思えんの? んな訳ねーじゃん、ユーグじゃなくたってさぁ!」


「……………………」


「ここでやれるってとこ見せらんなきゃ、あたしらは完全に見切りをつけられる! 明日からのあたしらが、今までみたいにうまい汁を吸い続けられるかどうか――こいつはさぁ、もうそういう状況なんだよ! 分かれよ!!」


 喚き散らしたルネも、荒い息を繰り返して震えるケイシーも。

 今にもその場で吐き戻しそうな顔色をしていた。たぶん、自分も似たような顔をしている。


「け、けどよ……」


 それでも、ジェンセンは反駁する。せずにはいられなかった。


「命にゃ、かえらんねぇだろ……? なあ、やっぱ逃げようぜぇルネ。一緒にさぁ……」


「っせーなボケ、触んな!」


 縋るように伸ばしたジェンセンの手を、ルネは激しく払い落とした。


「テメーのビビりに、あたしまでつきあわせんじゃねー! キモいんだよ、ザコがぁ!」


 べっ、と唾を吐きかけ、ルネは雄たけびを上げて飛び出していった。

 残された二人は、自棄を起こして喚く仲間の捨て鉢な背中を――他にどうしようもなく、見送るばかりだった。

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