78.幕間:黒檀の水竜人はいかにして真実を知り、復讐のために《箱舟》へと向かったか。【前編】



 戦士達の亡骸は――潰れ、あるいは飛び散った骨と肉の残骸を、そう呼んでいいのなら、だが――森の中に深く穴を掘って埋めた。


 まともな形で残っていた亡骸など、ひとつとしてありはしなかったが。それでも、誇り高き部族の戦士たちが――親友が、恋人が、彼ら彼女らだったが野の獣のエサとなり、その糞尿に変えられてしまうだろう未来を思うのは、ラズカイエンには耐え難かった。


 死した戦士はその魂を敬意を以て見送り、残された亡骸は自然が朽ち果てさせるに任せる。それが、水竜人ハイドラフォークの部族、《翡翠の鱗》のならわしだった。

 だが――それでも、ラズカイエンには耐えられなかった。


 戦士の誇りも、尊厳も。何もかもを凌辱しつくされたかのような死の後で、それでも残されたものを。野の獣のなすがままとなるように、うち捨ててゆくのは。他ならぬ彼自身の魂が、耐えられなかったのだ。


「……こんな女々しいオレを、お前達は笑うか? イクス。プレシオーリア」


 親友だった男と、恋人だった女の名前を呼ぶ。


「だが――仇は討つ。必ずだ」



「――それで、死者への義理立ては済んだかい?」



「誰だぁッ!!」


 後背からの声に。威嚇のように腕を振りながら、振り返る。

 その先にいたのは、だった。


 ――気づかなかった。


 いかな、死者に思いを馳せていたとはいえ。戦士でありながら後ろを取られていたのにまったく気づけなかった己を、ラズカイエンは心の中で激しく罵った。


 人間――人間、のように見える。だが、ラズカイエンはその確信を抱けなかった。


 容姿も、男女の別も、フード付きの外套と、深くかぶったフードが作る深い陰で、一切が分からない。


 それどころか、その人影からは臭いすらしない。見てくれはいくぶん小柄な人間のように見えるその何者かからは、人間の臭いが一切しなかった。


 否――その人影は、

 目をつむれば、そこに誰かがいるなどとは、まったく感じられなくなるだろう。戦士として鍛え上げた、優れた感覚をもってしても。


「……何者だ、貴様」


 誰何するラズカイエンへ。その『人影』は何かちいさなものを投げて寄越した。

 ――イクスリュードが持っていた、羅針儀コンパス。《箱》の捜索のために持ちだした、部族の宝。附術工芸品アーティファクトだった。


「それを持って、僕についてくるといい」


 男とも女ともつかない声で、それだけ言って。

 『人影』はあっさりと背を向け、歩き出した。


 フード付きの外套、その裾がふわりと揺れ、地面を踏みしめる足音がした。それでようやく、目の前のそいつが幻影の類でないのだとはっきりした。


「何のためにだ!?」


「来ないのなら別にいい。僕はお前を置いていく――それ以上は何もしないし、それでおしまいさ」


 けれど、と。

 足を止め、背は向けたまま放言を続けるそいつは、ちいさく笑ったようだった。


「けれど、。僕についてくるといい。誰を殺し、誰に思い知らせれば復讐が果たされるか。僕はそれを教えてあげられる」


 そいつは、それ以上を口にするつもりはないようだった。

 歩みを再開する。ラズカイエンは、その後を追った。


「……どこへ行くつもりだ」


 応えはない。


 何のつもりだ。何のためにこんな真似をしている? 自分はどうしてこんなやつの言うことに従っている。どうして従わなければいけないのか?


 疑問と苛立ちで理性が焼き切れる、その寸前。

 少し開けた場所に出て、そいつはようやくその脚を止めた。


「ここだよ」


 ちいさな小屋があった。

 ラズカイエンは知らないことだったが、それは山に入った猟師や薬草採りが夜明かしや雨よけに使うために用意された、仮小屋だった。


 茂みから、ちいさな生き物が飛び出し、そいつへ素早く駆け寄った。

 足を駆けのぼり、胴をぐるりと回って。その肩から、そいつがまっすぐ伸ばした腕を伝っててのひらへと乗る。


 栗鼠リスだった。ただし、額のところに一本の角を生やした。

 そいつは栗鼠が乗った手をラズカイエンへ向け、もう一方の手で手招きした。手袋を嵌めた指はほっそりとして、男とも女ともつかない細さをしていた。


「こちらへ来て、この子に触れるんだ」


「……その栗鼠は何だ」


「ラタトスク。幻獣の一種さ――ああ、別に怖い生き物ではないよ。勇敢で強い戦士がその剛腕を振るえば、一撃でぺちゃんこになってしまう程度の、ちいさく弱々しい幻獣けものだからね」


「………………」


 いちいち癇に障る物言いだった。

 ラズカイエンは苛立たしくそいつへ近づき、そのてのひらの栗鼠へ向かって自らの手を伸ばした。


 ぴょん、とそいつの手から跳んで、栗鼠がラズカイエンの手へ着地する。

 ――その瞬間


 視界が、ぐにゃりと


 目に映る光景が。耳を塞ぐ音が。肌に触れる空気が。鼻を刺す匂いが。

 脳が十倍に膨れ上がったようだった。それでいて、ラズカイエンは克明にそれらを理解していた。理解させられていた。


 今でない時間、この場所であった出来事。そこにいた誰か。交わされた会話。それらが『そう』であることが、はっきりと分かる。

 脳をもみくちゃにする濁流のようなその中に、ラズカイエンは決定的なものを聞いた。



『あなた方は、それがどこに安置されていたものかをご存じでした……それは、水竜人ハイドラフォークの里からその《箱》を奪ったのが、であるということ、なのでしょうか』


 船で、そしてこの山で見た人間の戦士が問う。

 その戦士とは別の人間――こちらも戦士らしい風体の男が、「ふむ」と唸り、


『だとしたら、どうだというのです?』



 ――この男だ。

 ラズカイエンは理解する。

 この男と、男の周りにいる人間ども!


 男の名前。『情報』が、蔓を引いて芋を引き出すようにしてラズカイエンの脳に現れ、理解を占有する。


 冒険者。《軌道猟兵団》。ジム・ドートレス。

 その仲間。ウィンダム・ジン。ロト・ヘリオン。ネロ・ジェノアス。ゼク・ガフラン。そしてジム・ドートレスとウィンダム・ジンの師、マヒロー・リアルド。


 彼らが装束で自分達の姿を隠し、部族の神殿を襲う光景も『見た』。

 次々と斃れてゆく戦士達の顔は――ラズカイエンもよく知った、あの日に神殿の護りについていた同胞達のものだった。



「がぁ――は、っ!」



 ばちん! と激しい音を聞いた気がしたが。それはおそらく錯覚であっただろう。

 情報に占有されていた五感と脳が、現実に立ち返る。

 よろめくラズカイエンの手から栗鼠が慌てて飛びのき、ラズカイエンの正面に立つそいつの手へと飛び移った。


「い……今、の……は……っ!」


「その問いに意味はないよ。何故ならキミは、もう理解しているからだ」


 今この時に見たもの、見せられたものが、紛うことなき真実――事実であるということを、だ。


「《使令持て疾る栗鼠ラタトスク》は情報を伝令する。求められるままに、記録された事実、あるいは刻まれた記録を伝令する幻獣けもの。そのラタトスクから伝えられた情報を――今の君は、正しく真実であると確信しているはずだ」


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