79.幕間:黒檀の水竜人はいかにして真実を知り、復讐のために《箱舟》へと向かったか。【後編】


「ふざけるなぁっ!!」


 ラズカイエンは吼えた。


 訳の分からないことばかりをほざく、男とも女とも、人間サルともそれ以外ともつかない、訳の分からない輩へ向けて。

 怒りと憤慨を露わに、吼えながら――その実、そいつの言うことをまったく否定できない己に、ラズカイエンは苛立っていた。


「真実――ああ、そうだろうとも。オレはそう確信している。腹立たしいことになぁ! キサマのようなうさんくさい人間サルまがいの言うとおりのことが、今のオレの身には起こっている。だがな!?」


 だが――それが真実だとしたとして。

 そんな確信に、一体何の価値があるのというのだ?


「その確信が、キサマの寄越した『真実』とやらが紛うかたなき真実であるが故と。一体誰が、どうやって証明できる!?

 このオレの確信とやらが、うさんくさい輩の、うさんくさい詐術に欺瞞され、勝手に植え付けられただけのまがいものにすぎぬと! どうして信じられると思うのか!? 戦士を愚弄し、コケにする愚昧がぁ――!」


「……粗暴な振舞いに反して、ひどく理知的で慎重な思考だね。何がキミをそう振る舞わせているのか、それは僕も興味深く感じ入るところだけれど」


 フードに深く隠された面を、そいつは上げた。

 顔は仮面に隠れていた。その裏の表情をうかがうことはできなかったが、しかしそいつは好奇心たっぷりに、仮面の内側で微笑んでいたようだった。


「なればこそ、僕は誠実を以て答えよう。その証明は不可能だ。

 《使令持て疾る栗鼠ラタトスク》は真実を伝令する。その性質を信じてもらうほか、僕にはキミを説得する術がない」


 あっさりと、そいつはその不可能性を認めた。それを認めながら、なおも続ける。

 迎え入れるように、大きく両腕を広げながら、


「僕に過去を見通す目があれば、キミを説き伏せることが叶ったかもしれない。

 僕にキミの心を識る心があれば、キミに信じさせることが叶ったかもしれない。

 あるいは僕に、真実を刻む鼓動があれば、キミにラタトスクの正しきを伝えることが叶ったかもしれない。

 けれど僕は、そのどれひとつとして持ってなどいない。僕の身にあるのはまったく別の力だ」


「訳の分からんことを――」


「だから僕は、キミに復讐を果たすすべを教えようと思う」


 そいつは言った。明るく、朗々と。


「これから何をなせばよいか? その結果何が起こり、然る後に何をなせば、キミの切っ先は憎むべき仇の喉元へと届くのか。今からそれを、キミに伝えようと思う」


「オレの復讐に手を貸すだと? 人間サルの貴様が……!?」


「それは違う。僕はキミに。それだけなんだ」


 ゆるゆるとかぶりを振って、そいつは言葉を重ねる。


「信じろ、などと愚かなことは言わない。けれど、疑り迷いながらでも、キミが僕の言う通りに事をなしたなら――すべてのことは、きっとこれから僕が伝えたとおりに起きるだろう。僕はそれをする」


 圧倒されつつある己を、ラズカイエンは自覚していた。

 どのみち、どれほど強く誓いを立てようと――己一人で事の展望を立てるのがどれほどに困難な道のりであることかは、ラズカイエンとて理解していた。せざるを得なかったのだ。


「……オレに、何をしろと?」


「これから僕が言うとおりにすればいい」


 そいつは言った。男とも女ともつかない、物柔らかな声で。


「最後の行き先は、キミが手にするそれが教えてくれる」


 ――羅針儀コンパス

 その針は、今やラズカイエンが棄てたあの偽物の《箱》ではなく――まったく別の方向を示していた。

 梢の先。暗がりへ沈みつつある空に高く高くそびえる、《箱舟アーク》の塔を。


「メモを取る必要さえない。ただ聞いて、覚えたとおりにすればいい。あるいは覚える必要すらなく、聞いたとおりに――耳に残ることばの命じるまま。キミの意志で、すべてをなせばいい」


 ――なぜならば。


「それこそが、運命を形作るものだからだ。ゆえに、まずはこのちっぽけな小屋を燃やすところから始めよう――《箱》を奪った悪党どもが、のうのうと寛いでいた忌々しい場所だ。怒りを込めて、復讐のはじまりを告げる狼煙のろしを掲げよう」


 いつしか、高揚を帯び始めた声で以て。朗々としゃべり続けるそいつに、ひとつ訊いていなかったことがあったと――ラズカイエンは不意に、思い至った。


「……キサマは何者だ」


「《来訪者ノッカー》。呼ぶための名が必要なら、どうかそう呼んでほしい」


 フード付きの外套と仮面で、顔と体を隠した、男とも女ともつかない、人間であるかそうでないかも定かでない『誰か』。



「『きたるべき訪れを報せ、運命の扉を叩くもの』――ゆえに、《叩く者ノッカー》、さ」




 ――煌々と炎を上げて、仮小屋が燃えていた。


 振り返った時、《来訪者ノッカー》を名乗った何者かの姿は霞のように消えて、失せていた。

 それを不思議とは、ラズカイエンは思わなかった。いいように操られているのだろうと予感してはいたが、それさえどうでもよかった。


 もはや戦士の誇りなどありはしない。己には。

 その素晴らしき輝きは、尊ぶべき戦士達の死によって穢され、失われたものだ。


 ――これから、何をすればいいか。

 燃え盛る小屋を眺めやりながら、《来訪者ノッカー》は語った。

 その一切を正しく記憶できたかと問われれば必ずしもそうとは言い難かったが、それとてどうでもいいことではあったのだ。


 ただ――


人間サルが作ったものは、よく燃える。まるで奴らの魂、その軽薄さのようだ」


 いい気味だ、と思った。

 少しだけ、胸がすくのを覚えた。戦士の誇りを穢した凌辱者どもを彼らと同じ姿に変えてやれれば、もっと胸がすくことだろう。



 復讐を告げる狼煙。

 その炎に背を向け、ラズカイエンは歩き出した。


 行くべき場所、復讐すべき人間どものいる場所は、既に知っている。

 その場所も、その場所へ向かうために必要なものも、その必要なものを手にするべき場所も。すべて、ラズカイエンは知っていた。


 ……………………。


 ………………………………。



 ジム・ドートレスの眉間を狙った手甲の一撃は、彼がとっさに引き抜いた長剣によって阻まれた。

 軌道を変えられたその切っ先は、男が腰に下げていたポーチを掠めた。


「しまっ――」


 己が失敗ミスに、ジムが呻く。

 頑丈なポーチは呆気なく引き裂け、中に整理し、詰めていた道具を、第四層の床へとぶちまけた。


 その、散乱する道具の中にを見出し、ラズカイエンは目を剥いた。

 頭が真っ白になり、完全に自失して、呆けた――その自失は一秒にも満たない一瞬の事で、そのわずかな空隙の時間が過ぎ去った後、ラズカイエンは腹の底から大笑した。


「はっ――はははっ! くはあぁぁ――――――っはっはっはっははははは!!!」



 ――《鍵》だった。



 おそらくは、《箱》におさめた状態でしまわれていた――だが、《箱》の鍵をかけなおすことができずにいたのだろうその口がぱっくりと開いたその内側から、ウォード錠の鍵を思わせる形の《鍵》がこぼれ落ちていた。


「そうか」


 度し難い笑いの衝動が過ぎ去ると、ラズカイエンはにたりと口の端をゆがめた。


「その《箱》を、《鍵》を奪った盗人ぬすっと――その証明。まさか、本当に果たされるとはな」


「何を言っている……」


「いい。キサマに語っても詮無いことだ」


 唸るジムの問いを、ラズカイエンは一蹴した。


「詮無いこと、だろう? これから死にゆくキサマらに――話して聞かせたところでなアァッ!!!」

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