64.初めて入った《箱舟》の中に大興奮のおっさん冒険者は、いまいち反省というものが足りていないようです……すみません……


羊果樹バロメッツ! もしかしてここの木、これ、全部がバロメッツなのか……!?」


 ――羊果樹バロメッツ

 その名の通り、『羊』の『果実』を実らせる樹である。


 《真人》達の果樹園に並んだという、その枝に羊を成らせる果樹。

 《真人》達の時代に彼らが生み出した人造植物――言わば《魔獣》に類する存在とする仮説もあることから、はるかなる魔法文明時代から現代の羊に類似した種が家畜にされていたとされる説のみならず、羊果樹バロメッツから派生したのが現在の『羊』であるとする説もあるという。


 周囲を見渡すと、等間隔に羊果樹バロメッツが植わった果樹園の向こうには、家や畑、粉引き小屋らしき小屋が川辺で水車を回している様が見て取れた。

 《箱舟アーク》という《遺跡》の中にありながら、そこはまるっきり、のどかな村の田園風景そのものの景色であった。

 が――


「おいオッサン、いい加減にしろよ!?」


 そんなシドに苛々と声を荒げたのは、禿頭の巨漢――ロキオムであった。


「さっきからいちいちガキみてえに騒ぎやがってよ! テメェ、《軌道猟兵団》の連中を追いかけてたんじゃねえのかよ! ええ!?」


「あ……」


 ――しまった。


 まただ。

 また我を忘れてしまった――ロキオムが言うとおり、それどころではないという、こんな時に。


「だいたいなぁ、オレらはこんなもんとっくに見慣れてんだ! 飽き飽きしてるってくらいになぁ! 《真人》の遺跡に挑んでりゃあ、こういう外の景色そっくりの場所なんざ、いくらでも出くわすもんなんだよ! そんなことも知らねえのか!?」


 シド達が同行することになった時点から今までのあれこれで、いい加減たまりかねていたのだろう。ロキオムは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。


 そして、少なくとも――彼の言い分には、間違いなく一定の、あるいはそれ以上の理があった。


 はるかいにしえの《真人》達が世界に遺した遺産――《迷宮》と呼ばれる遺跡群の中には、まるで迷宮の外の景色をどこからともなく持ち込んだかのような、そうした空間が数限りなく確認されている。

 冒険者として実績を積み、《遺跡》の探索へ挑んだ経験のある者なれば。そうした状況には一度ならず遭遇していて、何らおかしくはないものなのだ。


「それを、いちいち、いちいち、騒ぎやがって……テメェ、初心者か!? いい加減ウゼェんだよなぁ、オッサン!! なぁ、みんなもそう思うよなあ!?」


 《ヒョルの長靴》の冒険者達が、そうだそうだと応じながら小馬鹿にした笑みを広げる。返す言葉もない。


 ただ――彼らの中で、唯一異なる答えを返した者がいた。

 敢えて言うまでもあるまいが、それは、


「別におかしなことはないだろうさ。俺もはじめてこの光景を見た時は、胸が躍るようだった」


「は!? ゆ、ユーグ……?」


 彼らのリーダーであるユーグ・フェットがくつくつと笑いながらそう言うのに、ロキオムは露骨に狼狽した。口の端を、どこか皮肉げにも見える形に緩めながら、ユーグは続ける。


「どう言えばいいんだろうな……『ここ』は他の《迷宮》で見てきたものとは、まるで違う。外界そっくりの領域というだけなら、此処に限った話でも何でもないが――ここは」


 ユーグはあらためてこの場所の景色を目に焼き付けようとでもいうように、ぐるりと羊果樹バロメッツの果樹園を見渡した。

 遠く、農村の向こうには、第一層でも見た塔らしきものが、空へ向かって高く伸びている。それに目を留め、見るともなく見遣りながら、ユーグはひとりごちる。


「低層には、外からここへ移り住んだような連中がいる。もとは犯罪者や何かの理由で外にいられなくなった連中、あるいは外に嫌気のさした厭世屋連中の共同体コミューンだったんだろうが……ここは何百年も前から探索され続けた《遺跡》だ。分かるだろう?」


 人が集まれば、そこは集落になる。

 社会が生まれ、やがて秩序が生まれ、世代を重ねて村や町になる。


「言ってしまえば、周りの『村』はそうした連中が長い時間をかけて築き上げた、そいつらのお手製だ。。だが、この塔は――この塔の中は、場所だということだ」


 ユーグの語りは、熾火のような熱を帯びていた。

 その得体のしれない熱に、ロキオムはたじろいでいた。


「ここだけじゃない。第三層より上にもそういう連中はいる。中には市政局と渡りをつけて、オルランドの商人と交易なんかしている連中までいるんだ。

 知っているか? シド・バレンス――オルランドでは海の魚介が食えるんだ。あれはな、地中海イナーシーで――ヴァラキアやユラニアの港で揚がったもんじゃない。あれは。第五層にそれがある」


 とっさにシドが思い出していたのは、サイラスに御馳走してもらった高級レストラン海老料理――テルミドールの芳醇な味わいだった。

 内陸のオルランドであるにも関わらず海のものを料理に出せるという事実に、シドは驚嘆したものだった。


「魚を獲れる海があるんだ。第五層に住み着いた連中が、。連中は特別の許可を持っていてな、交易のために入場料なしでの出入りができるんだ。

 なあ――凄まじい話だとは思わないか。この塔には『海』がある。沿海州と言っても内陸のトラキアじゃ、海なんざ見たこともない連中がいくらでもいるだろうにな。だというのに、ここには『海』があるんだ。望めば見ることさえできる、このオルランドの《遺跡》なら――!」


 ――まずいな。

 シドはいい加減冷たい予感を覚え、恐縮しきった体を装いながらユーグの言葉を遮った。


「いや――待ってくれ。何て言うか、こちらの彼が言うことは正しいよ。あなた達には俺の都合で同行してもらっているっていうのに、肝心の俺が自分の目的を見失いかけてるんじゃ話にならない。本当にすまない」


 口早にそう言ってユーグの感想を断ち、ロキオムに向かい合って深く頭を下げる。

 ユーグは最前までの熱が嘘のように、すんと冷めた顔でシドへ振り返った。その視線に気づかないふりをしながら、シドは詫びた。


「ほんとうに、申し訳なかったと思ってる。《箱舟アーク》に入るのが初めてだったからって、あなたが言う通り、子供みたいな真似をして……この先は慎むと約束する。だから、どうか今回のところは、それで許してはもらえないだろうか」


「ぁ? ぉ、おお……わかりゃあいいんだよ、わかりゃあ。立場弁えろよなぁ、オッサン」


 頭を下げるシドに向かって腕組みしながら胸を張り、「ふん」と鼻を鳴らすその態度は、多分に虚勢じみてはいただろうが。

 ひとまず面目を保つ形で矛を引き、ロキオムは殊更ふんぞりかえるようにしながらシドに背を向ける。

 その背中をそっと伺い――それから、ユーグの反応も伺って。シドはひとまずの安堵に、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 が――


(……だいぶん、まずい感じだよな。こいつは)


 もとを糺せば自分の不用意な言動がそもそもの発端なので、とても大きなことを言えた立場ではないのだが。

 その失敗は己で戒めるとしても――どうも最前から、同じパーティの仲間に対するユーグの冷やかさが、目に余った。


 というより、ミッドレイでパーティへ勧誘された時から既にそのきらいはあったが――彼はシドに対し、過剰なほどに

 フィオレに対してもそうだが、ユーグ・フェットは周囲の感情に対し関心が薄い。その言い方が正確でないなら、彼はそれに伴う周囲の不満や困惑に、端から取り合うつもりがないように見える。


 彼個人としては単純にシドの腕を高く買っているだけのつもりだとしても、それが周囲の感情に対し、折り合えていない。


(まずい……よなぁ……)


 かつて。彼からパーティに誘われたとき。シドは、自分が参入すれば早晩パーティがと予感した。


 そして、まさしくその予感そのままの状況が――


 シドの目の前で、現実の軋みを上げ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る