65.幕間:《軌道猟兵団》――もとい、ジム・ドートレス研究員はかく語り【前編】


 冒険者ジム・ドートレスの生家は、カルファディアに冠たる学究都市イズウェルの名家である。

 代々の当主はその多くが《賢者の塔》の『教師』として勤めた経験を持ち、そうでない者も――さらにいえば、当主となるのを契機に『教師』の職から離れた者も――市井の研究者として知られた、学者の家系であった。


 そんな彼の生家には、一枚の天井画があった。

 玄関の扉を入ってすぐのホール。その高い天井に描かれたそれは、日々を屋敷で暮らしていれば、およそ日に一度は必ず目にするであろうものだった。


 それは、象徴シンボル化した太陽が輝く空を背景とし、その太陽を囲むように配置された七人の、各々怪物を従えた男女を描いた――宗教画を思わせる、荘厳な筆致の絵画である。


 一人は、黄金の鳥を片手に抱えながら、もう一方の手で自らの頭上に輝く光輪ハイロゥを誇らしく指差す男。


 一人は、伏せた獅子を玉座として泰然と座り、右手に杖を携え王冠をかぶった男。


 一人は、足元に黒い影のようなものをまとわりつかせ、なまめかしく身をくねらせる妖しげな美男子。


 一人は、青褪めた鱗と角を持ち、蛇のような姿かたちの竜にまたがった筋骨隆々たる大男。


 一人は、獣の耳と尾を生やし、しなやかに伸ばした腕の先――てのひらの上に、角を生やした栗鼠りすを乗せた少女。


 一人は、背中から生えた大きな鷹の翼で裸身を隠し、海から鎌首をもたげる怪物の背に乗った女。


 そして一人は、全身に煌びやかな宝石細工を身につけ、番人を思わせる巨人を従えた少年である。


『これは、いにしえにこの《大陸》で栄えたという、《真人しんじん》種族をえがいたものだ』


 当主である父は、幼い息子ジムに語った。


 真人――即ち、《天種セライア》《王種ルーラー》《貴種ノーブル》《龍種リヴァイアサン》《獣種ビースト》《翼種セイレン》《宝種オーブ》。

 神々の祝福を受け魔法を極めた、七柱の旧人類。


 それは父から見て高祖父――曾祖父の父、だ――にあたる当主の代にこの屋敷を訪った、二人組の画家が描き残していったものだという。不思議なことに、画家の名前はどこにも記録がない。


 何故、二人組の画家がその名をどこにも残していないのか。何故、当時の当主がそのような、どこの馬の骨とも知れない無名の画家に、屋敷の天井画を描くことを許したのか。それらに関する記録の一切は残されていない。


 ただ、その絵画が極めて優れた筆致によるものであると――数多の高名な画家達が感嘆の吐息を零す、その事実をもって、その天井画は長きに渡り存在しつづけることを許されていた。


 七柱の《真人》がはべらせる魔物は、《幻獣》と称される生き物達だ。各々の《真人》の在り方をもっともよく表わす、象徴シンボルとして沿わされたものだといわれている。

 即ち、


 《輝ける樹上の鳥ヴィゾフーニル

 《玉座成す獅子ネメアスレオン

 《万変する万影バルトアンデルス

 《世界を覆う巨龍ミズガルズオルム

 《使令持て疾る栗鼠ラタトスク

 《大海より出でる怪物テュポーン

 《宝物庫を護る巨人スプリガン


 ――各々の真人に侍る、七種の幻獣たちである。


『《真人》達は、はるかいにしえにこの世界を去り、世界の果てのその向こうへ渡ったと伝えられる。だが、我々ははるかいにしえに去った彼らの存在、彼らという種を知っている。いにしえの記録を紐解けば、そこに記された彼らの名を知ることもできる』


 並んで天井画を見上げながら。父は幼い息子ジムの肩を抱き、そして語った。


『世界に、歴史に、大いなる貢献を残した者は、その足跡そくせきと共に名を残すことが叶う。ジム、我が子よ――お前も《真人》達のように、歴史に名を残す男となりなさい』


 ――父上のような立派な男になれ、ということでしょうか。

 幼い子供らしい素直さ、あるいは子供らしい媚びようで問うた時、父がひどく寂しげに、ほろ苦く笑った――その横顔を覚えている。


 ただ、それは親に対する子供らしい敬愛とおもねりのことばであったにせよ、同時に一面の真実でもあったはずだ。ジムの父は市井の考古学研究者だが、《賢者の塔》の学会にその論文を認められた、ひとかどの人物でもあった。


『私の名など、百年も経てばほとんどの者は知ることもあるまいよ。五百年も経てば、記録の中からさえも消え去っているやもしれぬ。お前が、我々ドートレス家の男が求めるべきは、そのような儚くちっぽけなものではない――人類史が続く限り未来永劫残りつづける、不朽の名誉なのだ』


 たとえば、大陸から消え去ってなおその名を残す、《真人》種族のような。


『ジム。我が息子よ。お前のお爺様もひいお爺様も、そのいただきへ挑んだ。無論この父も、今なお挑みつづけている。この命が尽きるまで挑むだろう。お前もドートレス家の男であるのなら、父祖と同じ頂へ挑みなさい。それが歴史に名を刻むという、人にとって至高の営為なのだ』

 

 父はジムに語った。


『ジム。お前の名を歴史に刻みなさい。我らが誇らしきドートレス家の名を、歴史に刻みなさい。死してなお名を残す――それこそが、定命の我々にとってもっとも尊く素晴らしい、究極の幸いなのだと知りなさい』


 はい、父上――と。

 ジムは答えた。



 《真人》はこの世界を去り、大陸の歴史からその姿を消した。

 彼らの姿はいにいえの記録や御伽噺、あるいはジムの生家にあった絵画を通して、その存在の名残をとどめるのみである。


 それは何故か。

 彼らが創世の神々を追放したとき、そのあまりに卑劣な企みに憤激した一柱ひとりの神が世界に残した、大いなる呪いのためである。


「――さて、ここでひとつの疑問が生まれる。いにしえの神話にうたわれるのろいとは、果たして何であるか、いかなるものであるか、という疑問だ」


 《軌道猟兵団》の冒険者、ジム・ドートレスは語る。上質の絹にてのひらを滑らせるような、よどみなく紡がれる語り口であった。


 《箱舟アーク》第四層。

 そこはひどく無機質で代わり映えのない、しかし清潔で明るい空間だった。

 のっぺりした壁と床。そこそのものが発光しているらしき天井。

 階層を構成する道はゆうに十人二十人が横に列を作って歩けるほどに広く、天井も高い。


のろいとはまじないである。そしてまじないは魔術――《魔法》を形作りこの世界へ顕現せしめる手段、その技術体系のひとつである。即ち、神々の呪いとは。魔法という力を行使する、魔術の一系統である」


 第二層や第三層のように土と植物の香りを感じることも、第五層のように潮の臭いが鼻をつくこともない。のっぺりとした階層の空気は無臭に清められ、どこか現実感を欠いているようですらあった。


 ――否。否。それこそまさしく道理であろう。なぜならここは当たり前の、外の世界などではない。

 いにしえの旧文明、絢爛なる魔法文明を築き上げた旧種族――七柱の《真人》種族が遺した、迷宮メイズであるのだから。


「これは、神々の力が我ら卑小な人間が操るそれと同じ、魔術の行使にすぎぬという事実であろうか? それとも現在の我々の手にある魔術が、神々の手より零れ落ち世界を潤す恩寵であることを示すものであろうか。ただ、いずれにせよ私の仮説はひとつに収斂しゅうれんする。


 魔法とは、創世の神々が行使した力と同根のもの。

 ――即ち、、ということだ」

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