76.一方その頃。部屋の外で待たされていた彼ら彼女ら側の展開【後編】
《ヒョルの長靴》の冒険者達は、身も凍るような恐怖に縛られていた。
ユーグ・フェットは彼らにとって、頼りになるリーダーだ。目端が利いて、頭が切れる。馬鹿騒ぎにも寛容で、いくらか羽目を外した程度なら、何も言わずに見逃してくれる。時には矢面にすら立ってくれる。自分達はユーグの言う通りにしていれば、一端の冒険者としておいしい目を見ることができる。
ユーグ・フェットの寛容は、どちらかと言わずとも無関心ゆえの寛容ではあったが。しかし寛容であることには変わりなく、彼らにとっては同じことだった。各々の仕事さえきっちりやっていれば、ユーグ・フェットはそれ以上を求めはしない。
冒険者として金を稼ぎ、思うさま遊び惚ける。
それが叶う《ヒョルの長靴》とは彼らにとってありがたいパーティで、そのリーダーたるユーグ・フェットは、彼らにとって頼もしいリーダーだった。
――だが。
「ね……ねぇ、ユーグ? もう、ケイシーはそのへんで許してやって?」
おずおずと。上目遣いに顔色をうかがいながら。
ルネは、媚びる声音で訴えた。
ユーグ・フェットは寛容なリーダーだ。酒にも。博打にも。色恋沙汰にも。それ以外の大抵のことに対しても。
ルネ・モーフェウスとケイシー・ノレスタ、そしてジェンセン・ヒッグの三人は、そんなユーグの下でうまくやってきた三人だった。
パーティ内の人間関係のいざこざにさえ、ユーグは総じて無関心だった。
気に入らないパーティメンバーをいびり倒して追放してやったのだって、一度や二度ではない。だが、そんな風にして不愉快な間抜けがパーティから消えたところで、ユーグは眉ひとつ動かさなかった。
――しかし。
「……何を他人事みたいな
「ぅ……」
ジェンセンはたじろぎ、後ずさった。
「その、お前達がだ。なあ、どういうことだ? 自分達の危機的状況に、これっぽっちも気づかなかったってのは――どんだけ油断をこいてりゃ、ここまで状況を悪化させられる。クソみてえな下ネタで笑い転げて、そこまで楽しいおしゃべりだったか。何だってお前ら、そこまで相手を嘗め腐っていられたんだ。ええ?」
「だ……だってユーグ。あのキモオジ、
「だから、嘗め腐ってかかっても構わない。そう思ったか? ロキオム・デンドランとユーグ・フェット――《ヒョルの長靴》の
「それは……だ、だってさぁ……!」
「ジェンセン・ヒッグとルネ・モーフェウス――《ヒョルの長靴》の『目』よりも、早く正確に
ルネは蒼白になって震えていた。胃の中身を、今にも吐き戻してしまいそうだった。
ユーグ・フェットは寛容な――あるいは無関心なリーダーだった。だが、ひとたびその怒りを買えば、ただでは済まない。
ユーグ・フェットは私的な領域においては間違いなく寛容だったが、パーティのメンバーに求める各々の『役割』においては、妥協も甘えも許さないリーダーだった。
彼の逆鱗に触れた『無能』が、一体どうなるか。
それは先日のロキオムや、今この時のケイシーが、現実として示していた。
『無能』への制裁は、苛烈を極める。ルネはケイシーやジェンセンとつるんで今までうまくやってきたつもりだったが、その自分達がとうとう虎の尾を踏んでしまったことを、遅まきながらに悟らざるを得なくなっていた。
「だ、だけどよぉ、ユーグ! オレ達ゃパーティ組んでたんだぜ!?」
必死の体で、ジェンセンが訴える。
「そこのエルフ女や、あっちのオッサンと! それが、まがりなりでもパーティの仲間に、命を狙われるだなんて思うか!? 思わねえだろ普通!! 悪いのはオレ達じゃなくて、そっちのエルフ女の」
その、ジェンセンの鼻っ面に。ユーグの拳がめり込んだ。
鼻血を噴きながら、仰向けに倒れたジェンセンは――顔を抑えた両手の間から潰れた悲鳴をあげて、死にかけの虫のようにばたばたとのたうち回った。
「ふごっ……ぉっ、おぼお゛……!」
「そのお仲間とやらをネタにして、嘗めたおしゃべりをしてたのが当のお前らじゃねえか。挙句にそこの女の怒りを買って、精霊魔術でまとめてブチ殺される寸前だったって訳だ。愉快な話だ」
「!」
その場の流れと苛烈な暴力の空気に呑まれ、完全に絶句して立ち尽くしていたフィオレが、ユーグに呼びかけられたことでようやく、はっと我に返る。
そして、苦々しく唸る。
「しないわよ、そんなこと……!」
「そうかい。だが、制裁の準備はしていただろう? この馬鹿どもいつでも好きにひねり潰せると留飲を下げて、今にも爆発しそうな煮えた怒りを宥めてたって訳だ」
フィオレはきつくユーグを睨んだが、その指摘を否定しなかった。そうすることが、咄嗟にできなかった。後ろめたかったせいだ。
それこそが答えだった。言葉を失うルネを他所に、ユーグは笑みを深くする。
「口先ばかりの能無し女などと蔑んだこと、重ねて訂正と謝罪を申し上げよう――まさかここまでキレた女だとは、想像の遥か外だ。気に入ったよ」
「……ありがとう。微塵も嬉しくないわ」
氷の刃物でつつき合うような応酬を、ひどく遠い世界の物音のように聞きながら――ルネは震えていた。
ユーグは完全にあちら側だ。エルフ女の側についた。
泥靴で踏み躙られて髪がぐしゃぐしゃになった頭を抱え、しゃくりあげながら震えているケイシー。
鼻っ柱を潰された顔面を抑えながら、溢れる鼻血で溺れかけの呼吸を繰り返すばかりとなったジェンセン。
自分はそちらの側だ。その厳然たる事実に、ルネは卒倒する寸前だった。
と――
その時、唐突に。
何の前触れもなく、隠し部屋の扉が閉まった。
「えっ!?」
弾かれたように、フィオレは愕然とそちらへ振り返る。
「えっ――ええぇ!? うそうそ、うそでしょ!? 何で急に扉が――シド!?」
さっきまでの鋭さが嘘のような、ただの小娘みたいな慌てぶりで。
フィオレは野兎のような俊敏さで駆け寄ると、だんだんと激しく扉を叩いたり、引き開けようとしたりを繰り返す。
「シド! シド!? 無事なら返事して! 中から扉を開けて、シド!?」
「おい、退いてろ!!」
あたふたと後に続いたロキオムがフィオレをどかし、扉へ肩から体当たりする。
一度ぶつかった時点で、舌打ちする。案の定、意味がないと察し、今度は扉をスライドさせようと力を籠めるが。
仕掛けつきの隠し扉である。当然、そんなやり方で動くはずもない。
「……がぁ! やっぱだめか、畜生!」
「諦めるの早くない!? ほら、せっかくその筋肉の使いどころなんだから、もっと気合入れて! グイっと引いて!!」
「あぁクッソ! やってただろが、めいっぱいよぉ!! こいつは仕掛け扉だ、《真人》連中の仕掛け扉が力ずくでどうにかなるかよ!!」
「……………………」
ユーグは静かに息をつき、もはや興味を失ったとばかりにルネ達へ背を向けた。
ふと、まだ床に倒れたままのジェンセンを一瞥し、諦めたように視界から外す。
「ロキオム。まず一度、扉から離れろ。
「はっ!? あ、お、おう、ユーグ!」
喚くロキオムには、ひとまずそう指示を飛ばし。ユーグは自身の身に着けた
その、最中の事である。
――地を震わすような、雄叫びが轟いた。
扉から離れて装備を外していたロキオムが、ぎょっとしてその手を止め、あたふたと周りを見回す。
「な、なんだぁ今の……《塔》の魔獣か?」
「分からない――けど、同じ階層のどこかからだったわ。今の」
咆哮の、その残響を捕らえようとでもいうように。目を閉じ、耳を澄ましていたフィオレだったが.。
やがて、一点を指さした。おおよそ北の方角である。
「……たぶん、あっちのほう。すごく遠くは、ない――と、思うけれど」
「四層北側の未踏領域か」
ひとりごちるなり、閉じたきりの隠し扉を見遣って。ユーグは忌々しげに舌打ちする。
何があったか確かめに行こうにも、閉ざされたままの隠し部屋を放置する訳にはいかない。それは、中に閉じ込められたシドを見捨てるのと変わらない――そういうことだ。
だが、その心配は杞憂に終わった。
空気が抜けるような音を立てて、隠し扉が横にスライドしたからだ。
一人の少女を伴って、シドがまろぶような勢いで飛び出してきた。
「シド! よかった、無事で!!」
「フィオレ? その、ごめん。心配かけたみたいで」
今にも飛びつかんばかりの勢いで喜びをあらわにするフィオレに、あたふたと頭を下げて。シドは室内を見渡した。
《ヒョルの長靴》の冒険者が二人、床に転がっているのを見止め、目に見えて苦々しい渋面になる。
「シド・バレンス、何があった。そっちの小娘は」
「ユーグ・フェット――」
問われたシドは、ユーグに何かを言いかけて、ふるふるとかぶりを振った。唇を噛んで口に仕掛けた言葉を殺し、その問いに答える。
「……いろいろ
「何をだ」
「それも、きちんと話すと長くなるんだけど」
重ねて問うユーグに。シドは答えた。
傍らに立つ、
「――この子の『お婿さん』を、助けに行きたいんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます