75.一方その頃。部屋の外で待たされていた彼ら彼女ら側の展開【前編】



 ――少し、時間を遡る。



 シドが宝石の少女クロの呪いを解呪せんがため、一人で隠し部屋の中に残り、フィオレ達は隣室へと移動した。その、後。



「――ったくよぉ。何なんだあのオッサン、オマケの分際で仕切りやがって」



 ぶちぶちと不平を零しつづけていたのは、ジェンセンだった。


「外に出てろ、壁に近づくな、だと? 部屋ん中でお宝と手前てめえだけになって、中で何しようとしてんだ。クソ」


「彫像のどっか目立たないとこ削って、宝石ちょろまかそうとしてんじゃない?」


 小馬鹿にしきった口調で、ケイシーが放言した。ルネが「あは♪」と笑う。


「それ、ありえるぅ! あの歳でずるずる銀階位シルバーやってる、ダッサいオッサンだもん。そーいうみみっちいこと、やりそーよねぇー!」


 きゃははははははは――!


 揃って、甲高い笑い声を立てる女達。


「ああ、それともさぁ。そうじゃなかったらさぁ、中でオナってんじゃない!? あの宝石の子、オカズにして!」


「えぇー? やっだ、キモッ! ねえジェンセン、あんた隠し部屋の中、見てきてよ。んでぇ、マジでオッサンがオナってたら、あたしらにも教えて?」


「は? やだよオレだって。オッサンがシコってるとこなんか見たかねえし。キモいじゃん。んな知りたいならよぉ、ルネが自分で行けばいいだろ」


「えぇー? やーだぁー! イジワルぅー! ジェンセン、何で彼女カノジョにそーゆうことさせようとする訳ぇー?」


「へへ。そりゃあ、だってよぉ……ほら、本当にこんなとこでシコるやばいオッサンだったらだぜ? 女が見てやった方が、余計に興奮する変態かもしんねーだろ? アレだって、功徳だよ、功徳」


「えぇー? キッモ! やっばいわ。やっぱあのオッサン、キッモぉ!」


 勝手な想像を膨らませて、げらげらと笑い合う三人。

 ユーグは常通りに我関せずだったが、一人だけ常の談笑の輪から外れる格好になったロキオムは居心地悪げで、しかし口を挟む気にもなれないのか、ほとほど困り果てた様子でその巨躯を縮めていた。


「ちょっとさぁ、ロキオムぅ。もうあんた行ってよ、あたしらの代わりにさぁ」


「あ?……何でオレだよ。行きたくねえし」


 嫌な時に目をつけられた、と言わんばかりに。

 心底嫌そうな顔で、ロキオムは唸る。


「つか、あのオッサンの言う通りならよ。附術工芸品アーティファクトがオシャカになるかもしんねえって話だろが……冒険者なら大なり小なり誰だってそうだがよ、前衛フロントにとっちゃ特に装備は命綱だ。駄目になっちまうなんざ御免だぜ」


「ばっかねぇあんた、あんなオッサンのフカシ信じてんの!? ウソに決まってんじゃん、ぉら行けって。あんた一番下っ端なんだからさぁー!」


「――ᛟᚾᛚᚤ ᚪ ᚺᛖᚱᛟ ᚳᚪᚾ ᚢᚾ邪悪な魂のみが、世のᛞᛖᚱᛋᛏᚪᚾᛞ ᚪ ᚺᛖᚱᛟすべてへ悪なりと喚く


 ――しん、と。

 けたたましい笑いが消え、重い沈黙の帳が落ちた。


 冷えて乾いた面持ちで、《ヒョルの長靴》の女達が声の主を見た。

 彼女達に背を向けたまま、振り返ろうとすらしない、フィオレを。


「おぉーい、エルフちゃぁーん? あんた、まぁーたなんか言ったぁー!?」


「さっきからネチネチブツブツさぁー、キっメぇーんだよなぁー! 言いたいことあんならさぁ、はっきりこっち見て言えよぁー!?」


 その、脅しつけるガラガラ声での物言いに、応じた訳ではあるまいが。フィオレは、ゆるりと振り返り、ケイシー達を見遣った。


 ――絶対零度の、嫌悪と軽蔑の眼差しで。


と、そう言ったのよ。彼がけがれる」


 ケイシーとルネは、きょとんと目を丸くしていたが。

 やがて――揃ってにんまりといやらしく目を細め、ニタニタと笑いはじめた。


「えぇ? なによアンタ。エルフちゃんもしかして、ああいうオッサンがいいワケ?」


「キッモ! エルフの男選びってわかんなぁーい! 目ぇちゃんとついてるぅ!?」


 フィオレの美貌は凍り付いたまま、こゆるぎもしなかった。

 常であれば優しげに垂れた眦を、凍れる刃のように尖らせて――げらげらと笑い続ける女達を、冷然と見つめている。


 やがて、静かに唇を解き。

 細く、鋭く、息を吸い、



「もう、そのくらいにしておけ、お前達」



 ユーグが割って入った。

 首だけねじって、特に興味もなさげな乾いた面持ちで。剣呑に対峙する女達と、半ばその流れに置き去りにされかかっていたジェンセンを、見遣りながら。


「なぁによ、ユーグ。マジになっちゃって……レクリエーションでしょ? これくらい」


「そーよそーよ。つか、何であたしらじゃなくてエルフちゃんの方を庇うワケ? あたし達、同じパーティの仲間よねぇ?」


 今まで鬱積していた不満もあってだろう。ケイシーとルネは、ここぞとばかりに不満の声を上げる。

 ユーグは溜息をついた。


「俺は、お前らを庇ってやってるんだ。


「は?」


 ぽかんと口を開けて、唸る。

 そんな仲間達の間抜け面にか、ユーグは口の端を吊り上げて笑った。


「忘れたか。その女は精霊魔術士だぞ? 意思だけで魔術を起動できる、だ」


 余裕と嘲弄に緩んでいたケイシーの顔が、はっと強張った。

 弾かれたように見下ろした先には、刃のような眼光で自分達を見据えるフィオレがいる。


「翻って、俺達には対精霊魔術の防御がない――これは俺のミスでもあるが、森妖精エルフの精霊魔術士とやりあう状況なんてものは想定していなかったからな。

 おまけにこの距離だ。俺達全員の首筋をまとめて掻き切るくらいは、造作もないことだろうよ」


「えっ――あ!?」


 精霊魔術は、詠唱も、儀式も要せず、契約のみをもって構成される魔術。

 その発動は、ただ術者の意志のみによって成立する。


 その可能性に、今になって思い至ったのだろう。引き攣った呻きを上げ、ルネは慌てて飛びのいた。

 一人だけ逃げ遅れたケイシーは、退くことも引き下がることもできず――内心、自分を置き去りにしたルネを罵りながら――唇を戦慄かせて、フィオレを睨んでいたが。


「――できる訳ない! こいつ銀階位シルバーよ!? いくら森妖精エルフだからって、たかだかその程度のやつにさぁ! そんな術が撃てるわけ」



 口の端に、笑みを湛えながら。ユーグは断言した。


「お前も魔術師なら、階位バッジじゃなく魔術構成を見てみろよ、ケイシー。そのお嬢さん、お前達を三回は殺せるだろう構成を展開しているぜ。さっきから、ずっとな」


「あぁ……!?」


 咄嗟に反駁しかけて。

 それでも、ケイシーは今の今まで完全に意識の外にあった、魔術構成をた。

 瞬間――


「ひっ――」


 一瞬で血の気が引き、潰れた悲鳴を上げる。



 



 炎精霊イフリート風精霊シルフィード地精霊ノーム


 各々の精霊を宿した三種の構成が、どれも致命的な量の魔力を載せた状態で――ケイシーの、のみならずルネとジェンセンの周囲へも、、展開されていたからだ。


 

 あとは、術者であるフィオレの、気分次第の匙加減ひとつで、構成は魔術として起動する。


「な、あ、え? な、な……」


 ――なに考えてんの!?


 ――あんた正気!? ほんとうに殺す気!?


 喚き散らす声は喉につかえて、喘鳴じみた呼吸を詰まらせるばかり。

 言葉を失うケイシーの様子に、やれやれとかぶりを振りながら――ユーグはそんな彼女へと近づいていった。

 そして、


「だから言ったろう? 俺はお前達を庇ってやったんだ。『おお、心優しきエルフの姫よ、どうかお慈悲をくださりませ。どうかこの愚鈍な馬鹿ども、殺さないでやってくださいませ』――ってな具合にな」


 振り上げたブーツの爪先が、杭のようにケイシーの腹へめり込んだ。


「ぅげ――!」


 背中を丸めて腹を抱え、膝をついた女魔術師の頭へと。

 ユーグは躊躇なく靴底を振り下ろし、その顔面を堅い床に叩きつけた。


「ぶぎっ……あ、ぎ、ぃぎぃい!?」


 魂消るような、鈍い音を上げて。

 硬い床と男の靴底との間で顔を圧し潰され、ケイシーが豚のような悲鳴を上げる。


「ぃだ……なん、ユーグ……いだ、が、いだいいだいいだいぃ!? やめ、いだぁあぁごめんなあぁ、あいだあああぁぁぁ!?」


「……何でお前が気づかねえんだ、ケイシー。手習い程度の魔術しか心得のない、このユーグ・フェットごときが気づけたことによ。魔術師の、お前が。なあ。お前一体、今の今までどこに目ぇつけてやがった、ああ?」


「ひぎ、ひいぃ……ぃひい゛ぃぃぃぃぃ!?」


 両手で床を叩きながら泣き喚く女魔術師を、冷めた目で見下ろして。

 蒼白になった仲間達があぅあぅと呻くしかできずにいる中――ユーグは靴底で、淡々とケイシーの頭を踏み躙る。

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