74.そして、彼女の目覚めのとき


 ……………………。


 ………………………………。



(……………………………………?)



 燃え尽きろ――と、そう、叫んでから。一体どれほどの時間が過ぎただろう。


 おそらく、ほんの数秒か、十数秒――主観的には永遠のようであっても、それは決して長い時間ではなかったはずだ。


 我知らず詰めてしまっていた息を、吐いて。

 シドはおそるおそる、目を開けた。


 真っ先に飛び込んできたのは、繭を思わせる金属のベッド――その裡に満ちた、かいこの糸のような褥で横たわる、少女の白い肌だった。


 透き通るように色の抜けた、けれど確かに生きた人間の体温を宿した、雪色の柔肌。


 視線を滑らせれば、少女の顔があった。輝くような翠色エメラルドの髪に彩られた、花のような美貌。その只中で。


 瞳の大きな――猫のそれを思わせて輝く瞳孔を宿した翠紅異色虹彩ヘテロクロミアが、じぃっとシドを見上げていた。


 右目は翡翠ジェイドの緑。

 左目は紅玉色ルビーの赤。


「う……わっ!?」


 飛びのくようにして、シドは身を引いた。背後の壁に「びたん!」と背中がぶつかり、それ以上下がることができなくなる。


 既に、指先に感じていた呪詛の気配はなく――ただ、とくとくと健気に脈打つ少女の鼓動の名残が、指先の温度として残るだけだった。


 柔らかいしとねを満たした、金属の繭のような寝台ベッドから。少女は、指先ひとつで手折れる花の茎を思わせる、華奢な裸身を起こした。


 豪奢に波打ちながら背中に届く、そんな長さをした深い翠玉エメラルドの髪は、その毛先が透き通った黄玉トパーズの黄金色へと変じている。人の姿を取り戻した今、その髪だけが、褥に眠れる宝石の少女――その名残を残していた。


「お……起きた、かい? 話せるかな? ええと――ああ、そうだ。その前に」


 シドはあたふたしながら自身の外套マントを外し、少女の裸身を隠してやった。

 じぃっと、呆けたように。自身の肌を隠す古ぼけた外套マントを見下ろして――やがてその少女は、翡翠ジェイド紅玉ルビーの瞳でシドを見上げた。


「あなたは――シド・バレンス。です?」


「へっ!?」


 思わず、変な声が出た。


「な……んで、きみ、俺の名前を知って」


「知っていたわけではないのです。でも、外のひとがあなたの名前を呼んでいましたので、そのおかげで」


「外の――」


「誰かは知りません。でも、『繋がっている』のはひとりではないですね。シド・バレンスの名前を呼んでいたのはふたり。ひとりは男のひと、ひとりは女のひとなのです。どちらも、あなたをとても心配しているみたいなのですよ」


 ――誰だ?


 女のひと――は、多分フィオレのことだろうが。

 少なくとも、《ヒョルの長靴》の女性二人は、その印象とはそぐわない。申し訳ないが。


「ああ、『フィオレ』というおなまえのひとなのですか? きれいなひとみたいなのですね」


「!?」


 ぎょっと竦みあがるシド。その様を面白がるように、少女はにこりと微笑んだ。

 今の反応は一体どういうことだろうか。まるで、シドの心を読みでもしたような、


「はい。だいたいシド・バレンスのご想像どおりなのです。クーはあなたの心と繋がっています」


「心、と……?」


「はい。あなたの心が見ているものを、クーの心は見ています。外のひとたちの心が見ているものも、クーの心は見ています。感じます。繋がっているので。

 なのでクーは、あなたの思考で、あなたのことばで話せます。ザラザラしたイヤな感じの心もありますけれど、こればっかりはしかたがないのですね。好んで選べるものでもないですし、


「きみは――」


「シド・バレンスたちのことばを借りるなら、《真人しんじん》の一柱ひとはしら宝種オーブ


「《宝種オーブ》!?」


 ――其は、はるかいにしえの時代の住人。

 絢爛なる魔法文明を築き栄えたという、七柱ななつの《真人》種族。

 即ち、



 ――《天種セライア

 ――《王種ルーラー

 ――《貴種ノーブル

 ――《龍種リヴァイアサン

 ――《獣種ビースト

 ――《翼種セイレン


 そして―― 



「《宝種オーブ》――きみは、宝種オーブ》だっていうのか!? いにしえの、《真人》種族の!」


「はい、クーは《宝種オーブ》。シド・バレンスがご存じの《宝種オーブ》なのです。

 あと、クーのおなまえを名乗るのなら」


 少女は微笑んで、名乗る。



「クロロバナージアレキサイオラゴーシェクロラルミナシリカシェリアルミニティタニアジェイドヴォーキコランジオーダメトリンコーパルエルパリドットイトルマヴェルデラクロローム=ベリル=エメロード、といいますです」



 …………………………。


「………………んん?」


 だいぶん間の抜けた時間を置いて。首をかしげる。

 圧倒されていた。


 少女は微笑みを崩さぬまま、


「クロロバナージアレキサイオラゴーシェクロラルミナシリカシェリアルミニティタニアジェイドヴォーキコランジオーダメトリンコーパルエルパリドットイトルマヴェルデラクロロクローム=ベリル=エメロード、なのです」


 繰り返した。シドは自分の表情が引き攣るのを自覚する。


「く、クロロバナージ、アレキサイ……ええと」


「クロでいいです。みなさんそう呼んでいましたので」


「クロ」


「それも呼びにくいというなら、クーで妥協します」


「ええと、いや、大丈夫だよ。クロで。呼びにくくはないし」


「でしたか。それはなによりなのです」


 にこっ、と。少女は花のように笑った。

 見た目の年頃と比べても幼さを感じる、そんな微笑み。


 ふと、ターニャの笑い方がこんな感じだな、と――そんな感慨が脳裏をよぎった。


「ターニャ?」


「え? あ……今のも『読んだ』のかい?」


「『読んだ』という言い方はちょっぴり冤罪なのです。そこは『読めてしまった』と言ってほしいところです」


 ――彼女自身の意思とは関係なく、こちらの『心』……思考を読んで見てしまう、という意味だろうか。


「そんな感じです。理解が早いのはすてきなのですよ、シド・バレンス」


「……ありがとう」


 半ば困惑しながらも素直に礼を言うシドへ、少女は「ふふ」と笑う。


「あ、そうだ。クロでもクーでも呼び方は構いませんが、『クロロ』はだめですからね? クーをクロロと呼んでいいのは、クーのおむこさんリンクだけ、なのですから。宝種オーブ的にそういうしきたりとなっていますので、そこは浪漫的ロマンチックにこだわりますよ? クーは十三周期乙女オトメなのです」


「はあ、はい」


 呆気にとられるシドへ。

 ふふふ、と、含むように。


 少女は悪戯いらずらな妖精を思わせる軽やかさで、無邪気な笑みを深くした。


「――この目覚めに、感謝を。この解放に、喜びを。この輝けるひとときに、どうか終わりなき永遠がありますように」


「それは――ええと、《宝種オーブ》の挨拶みたいなもの、かい?」


「いいえ? これはわたしクー、です」


 困惑するしかなかった。

 少女クロの物言いはどこまでもふわふわと実体を欠いて、霞のようにつかみどころがない。


「さて、行きましょう。シド・バレンス」


「え。どこへ?」


 軽やかに寝台から飛び降りる少女クロ

 床に落ちた外套マントを慌ててかけて肌を隠してやる間に、少女はニコニコしながらシドを見上げた。


「おそとです。このお部屋にシド・バレンスが入ってこれたということは、たぶんの扉も開いているのです。クーのおむこさんリンク。ああ、でも」


 ――と。


 それまで、ただただ無邪気なばかりだったクロの美貌に、ひどく倦んだ、昏い翳りがよぎった。


「あちらは、もう、手遅れみたいなのですね」


「え……?」


「あ」


 まるで、断末魔のような。ああ――と細い吐息が、少女の唇からこぼれた。


「やっぱり、だめみたいです。クーのおむこさんリンク


 そして、彼女は微笑んで、



「死んじゃいます」



 …………………。


 ………………………………。


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