73.おっさん冒険者は呪いの解呪へ挑みます。――が、思ったよりやばいもので、とても手に負えそうになかった件
隠し部屋の中に一人で残り、シドは眠り姫となって褥に横たわる少女の傍らに立っていた。
「……ごめんね。触るよ」
起きたら、怒ってくれていいからね。
後ろめたく。心の中で、言い訳めいた心地でそう語りかけながら。シドは少女の――人間であれば心臓があるだろう位置に、指先で触れた。
(……生きてる)
――心臓の鼓動を、指先に感じる。
否。より正確に言うならば、宝石の彫像である彼女は、心臓の鼓動を刻んでなどいない。この世界領域においては。
だから、たとえばシド以外の――ユーグや《ヒョルの長靴》の冒険者達が彼女に触れても、心臓の鼓動を感じることはないだろう。シドと同じか、あるいはそれに類する力があれば、話は変わってくるだろうが。
あるいは、あのケイシーという魔術師の女であれば。解析・探査系統の術式でもってこの《呪い》の正体を探り、かつこの少女が今なお生存していることを確かめるまではできたかもしれない。
――多層魔術領域論において、世界は幾重にも重なった層であるとされる。
それは極薄のガラス板を束ねたものとして、あるいはクレープ生地を幾重も重ねたケーキとして、形容される。
一つ一つの
だが、ひとつの
たとえば、重なったクレープ生地の中に一枚だけ、腐ったクレープがあるとする。
この時、クレープケーキは「腐ったケーキ」だ。食べれば間違いなく、腹を下すだろう。
同時に、この腐ったクレープ生地を別の、まだ新しいクレープに取り換えることができれば――あるいは、腐ったものを腐る前に戻すことができれば。クレープケーキは「腐ったケーキ」ではなくなる。仮に食べても、腹を下すことはないだろう。
ある
結果、呪われた者は、『世界全体』の観測においては『石』となる。
だが、『石である』と書き加えた
ゆえに、『石化』を記した
これはシドの推測――直感に近いものだが、おそらく呪いを書き込む
だからこそ、呪われた人間本来の情報は、棄損されることなくそのまま保全されている。ゆえに、解呪によって救うことができる。
シド以外の全員に部屋の外へ出てもらったのは、シドの『解呪』が不完全なせいだ。何が不完全かと言えば、解呪の対象以外に、その影響を『波及』させてしまうことだ。
以前、知恵ある
同じことが、また起きないとは限らない。
だから、解呪の影響がない範囲まで、フィオレや《ヒョルの長靴》の冒険者達には離れてもらった。
幸い、解呪の影響が波及する範囲はさほど広くなく、隣の部屋で壁から離れていてくれれば、まず影響が及ぶことはない。その辺りは事前に口を酸っぱくして注意をしている。
案の定と言うべきことであるが、《ヒョルの長靴》の冒険者達には、うざいおっさんを見る目をされた。ちょっぴり傷つかないこともなかったが、こればかりはやむなきところであろう。
「――よし」
シドの解呪に、詠唱は要らない。いったん少女から手を離すと、シドは左手に、予備の武器である
「――――っ、
――ぼたぼたぼたっ!
少女の胸――心臓がある位置に、シドの血が降り注ぐ。
「ったく、慣れないよなぁ、もう……! こればっかりは……」
――シドの解呪に詠唱は要らない。儀式の用意も、精霊との契約も要らない。
必要なのは『血』だ。血を媒介に、シドは『呪い』と己を接続し、相手にかけられた呪いを解呪する。
血に濡れた少女の胸に、シドは改めて指先で触れる。てのひらの傷から指先へと伝う血が、少女の胸をさらに生ぬるく濡らしていく。
シドの《固有魔法》の根源はその『血』にあるのだと、このやり方を教えてくれた師匠は言っていた。
他者の『才能』を見抜く力を持つという、なんとも不思議な人物だった。
痛みを意識の外へ追いやり、意識を透明に研ぎ澄まして。呪いの『在り処』を探す。
――深い。
直感的に、そう感じた。ひどく深いところに、彼女をむしばむ『呪い』はある。
だが、深いだけだ。深くとも、潜り続ければいつかは辿り着く。
やがて、たどり着いたその
シドは、ぞっと総毛だった。
全身の産毛が逆立ち、心臓を鷲掴みにされるような感覚に吐き戻しそうになった。
思わず手を引きそうになって、シドはその寸前で、意志の力でもってその反射的な衝動を抑える。ひとたび離してしまえば、また最初から呪いの在り処の探り直しになってしまう。
「なん、だ……これ……!」
――あまりにも、
――あまりにも、巨大な呪詛。
まるで、世界のすべてから呪われてでもいるような――圧倒的に広く、絶望的に大きな『呪い』。
(これは、無理だ……)
シドの解呪は、シド自身の『血』を媒介としたものだ。
機序は分からない。だが、とにかく『血』と『魔力』を燃やして『呪い』へ挑み、対峙する『呪い』を燃やし尽くす。それがシドの身に備わった『解呪』だ。
ひとたび解呪を始めれば、『呪い』を燃やし終えるまで、やめることはできない。
(俺の手には……負えない、もの……だ……)
――この呪いを燃やせば、シドは血と魔力を燃やし尽くして枯死する。
それで万にひとつ解呪だけはできたとしても、シドは間違いなく助からない。そして、そうまでしてもなお、彼女の呪いを解呪できる保証はない。
震える
眠り続ける宝石の少女。その凍り付いた美しい寝顔が、すぐそこにあった。
「…………………………」
――助けられない。
そう、諦めて――引こうとした手が、震える。
少女の肌に触れたまま、震える指先が離れない。
「………………っ!」
きつく目をつむり――手を、離す。離そうとする。少女の肌に触れたまま、張り付いたように動かない指先を離す、その決断を己に下さんと。ぐずぐずとためらう己の心に決断を迫る。
そして――ようやくその手を離そうと、した。
その、
直前。
かしゅん――と、空気が抜けるような音と共に、隣室へ続く隠し扉が閉まった。
「え!?」
ぎょっとして振り返る。完全に閉じ込められた。
それだけでは終わらなかった。扉が閉じるのに続いて、室内の空気が変わった。
四方の壁が。床が。天井が。白く輝きはじめた。
光がその強さを増すほどに、まるで空気そのものが膨れ上がり始めているかのような、奇妙な圧迫感が満ち――それはシドの身体の中まで入って、総身を満たしていく。
(これは――)
――魔力。
圧倒的な量の、指向性を持った魔力だ。
否。それも違う。圧倒的な魔力は、シド自身から。
シドの内側から、膨れ上がっているものだった。
「増幅、器……か? もしかして、この部屋……そのものが……!?」
どういうことだ。分からない。何が起こった。機序も、理由も、何も分からない。
だが、いける。これだけは分かる。
今なら。
今なら、解呪できる。
頭の内側、頭蓋と意識の一番深いところで、呪いの『在り処』を捉える。
自分と『呪い』をひとつに繋げる。あとは念じればいい。
――詠唱は要らない。
だが、今にも怖気そうになる自分を奮い立たせるため、シドは叫んだ。
「燃え尽きろ――――!」
ひときわ強く、光が膨れ上がる。
目を焼くほどの光の中、シドはきつく目をつむり、歯を食いしばって――祈った。
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