72.事実であろうとそうでなかろうと、信じてもらえるかどうかは「信用」の問題になってしまうという話


 古い、古い、話になる。

 シドがまだ若く、故郷とミッドレイ以外の土地のほとんどを知らず、開拓地フロンティアの冒険者として日々をせわしなく駆けていた頃のことだ。



『――これは、か』



 シド・バレンスが『石化』という症状をその目でつぶさに見たのは、その時が初めてのことだった。

 その頃、シド・バレンスはまだ二十歳をいくらか越えたばかりの若造で、しかし冒険者としては既に七年目を迎えたベテランで――その一方で、その頃の西方開拓地フロンティアにおいては数少ないであったがゆえに、軽々にその地を離れるのが難しい、そうした立場の冒険者でもあった。


 その時シドの目の前にあったのは、恐怖でその面相を限界まで引き攣らせた、一匹の小鬼ゴブリンであった。

 通常のゴブリンよりいくぶん大柄で、身に着けた装束や装飾品には、他種族にもそうと分かるような高貴さを現す気配がある。


『《石化》の呪い……そういうこと、なのか? もしかして、この森ミッグ・ザスからゴブリンが溢れ出した理由は』


『ああ』


 シドにも理解できる人間の言葉で応じたのは、その場に居並ぶ中で最も豪奢な装いの小鬼ゴブリンであった。

 小鬼と呼ぶのが憚られる、人間並みの長躯。魔力を宿して青褪めた肌をした、彼はゴブリン達のロードであった。


ワシの兵は、その半分が石に変えられた。もう半分は逃げ出した。それはかの戦場から、戦士の長が唯一持ち帰ったものだ』


 語る言葉は流暢で、よどみない。

 小鬼ゴブリンの言葉を解せぬ己が身を振り返れば、そのロードの高い知性と、敢えて人間の言葉を学ぶために費やしたその研鑽が推して知れた。


『――ワシの息子だ』


 だが、消沈に肩を落としたその様は、王の威厳をかろうじて保つのが精一杯の、深く重い疲弊、そして絶望が見て取れた。

 王を囲む他の小鬼たち――達の有様も、王のそれとその様相を同じくしていた。


『……俺は』


 だから、確固たる確信は未だ抱けずいたが。

 それでもシドは、彼らのために言った。



『俺は――これを、治せると思う』



 小鬼たちが、ばっとその顔を上げた。

 居並ぶ中でもっとも遅く、ゆるゆるとその面を上げたロードが、深い思慮と――そのさらに奥で煮えたぎる苛立ちを孕んだ双眸で、シドを見た。


 ――適当なことをほざいているなら、この場で殺す。

 その眼光は、無言のうちにシドへと警告していた。


『確実とは言えない。けど、もし許可を貰えるなら――どうか一度、試させてほしい』


 ミッドレイまで戻り、聖堂の神官なり連れてこられれば最も確実だろう。聖堂が教える術式――契法術の中には、神々の加護を以て呪いを解く術も存在する。

 だが、ここにいるのは小鬼ゴブリンだ。事情を話したところで信じてもらえるかは分からず、仮に信じて貰えたところで真っ当に相手にしてもらえる保証もない。


『そして、もし――俺が、この呪いを解くことができたなら。あの《邪視蜥蜴バジリスク》を倒すのに、あなた方の力を貸してはもらえないだろうか』


 シドは訴えた。

 邪視蜥蜴バジリスク。《諸王立冒険者連盟機構》の認定ランクAクラス魔獣。

 シドにとっては初めて相対するA級魔物モンスター。世に名だたる英雄・英傑でさえ、一人で挑むのは躊躇うほどの難敵であろう。


 その魔獣相手に自分一人で勝てるなどとは、シドには到底思えなかった。


『もちろん、治療するのは彼だけじゃない。解呪が上手くいくとわかったら、他の――邪視蜥蜴バジリスクに石化された、あなた方の他の仲間達にも、手を尽くすと約束する。だから』


 シドは訴えた。

 能うる限りの言葉を尽くしたつもりだったが、しかし、今は正しくその意思を伝えられた保証すらない。

 シドはゴブリンの言葉を知らない。

 ゆえにその成否は、ロードの知性と研鑽に、すべてが委ねられてしまっている。


 沈黙の時間が続く。

 息が詰まりそうなほどに、空気が重く垂れこめている。

 ――だが、


『いいだろう』


 やがて。王は言った。


『やってみるがいい』


 ……………………。

 ………………………………。



「《固有魔術》――それの使い方を学ばせてくれた師匠は、そんな風に、のことを呼んでいた」


 もうずっと昔の、くすんだ過去を思い返しながら。

 シドは語った。


「俺の固有魔術は、『呪いを読み解き、消し去る』こと――だからなのか、触ると分かるんだよ。何て言ったらいいのか分からないけど、こう、『これは、呪われてるんだな』って風に」


 ユーグを除いた《ヒョルの長靴》の冒険者達は、互いの顔を見合わせたようだった。


 信じられない、ふざけるな、と言ってやりたいのはやまやまだが、リーダーのユーグが何も言わずにいる手前、そんな風にできない。そうした、鬱積うっせきの微粒子が、彼ら彼女らの間には立ち込めていた。


「なあ、ケイシー……《固有魔術》って何だ?」


「あぁ?」


 ユーグの背中をちらちらと促いながら、禿頭の巨漢ロキオムがぼそりと問うた。

 向こう傷が目立つ巨漢からの問いに、魔術師のケイシーは瞬間的に沸騰した怒りで眉を吊り上げたが、直後に――やはり、ユーグの手前――気を静めて、渋々といった調子で答えた。


「……一部の人間や妖精種族が生まれながらに備えた、。魔術と呼んでいいのかもあやしい、訳の分かんないシロモノよ」


 魔術構成が存在することから、ひとまず魔術であるとされてはいる。

 だが、その構成は複雑を極め、解析不能。術者からして理解できるのはその効果と使い方程度のもので、原理も機序も何一つ分からない。魔術の中のである。


「生まれながらに与えられた、『才能の魔術ギフト』なんて風にも呼ぶやつもいるみたい。

 ……っても? 呪いを解くんなら聖堂の契法術や、部族の祈祷師シャーマンなんかの呪術でもできるやつだし? 貧相なオッサンらしい、ショッパイ才能ってことよねえ」


「……ᚳᚪᛋᛏ ᚾᛟᛏ ᛈᛖᚪᚱᛚᛋ ᛒᛖᚠᛟᚱᛖ ᛋᚥᛁᚾᛖ」


「ぁん?」


 フィオレが冷やかにひとりごちたのを耳ざとく聞き留め、ケイシーが凄む。

 しれっとそっぽを向きながら、フィオレは同じ言葉を繰り返した。



 ――ᚳᚪᛋᛏ ᚾᛟᛏ ᛈᛖᚪᚱᛚᛋ豚の前に真珠を ᛒᛖᚠᛟᚱᛖ ᛋᚥᛁᚾᛖ投げるべからず



「つまり、あんたはその呪いを解くつもりでいる。そういう事か?」


「ああ」


 シドが頷くと、《ヒョルの長靴》の冒険者達はどよめいた。


「――って、ちょっと勘弁してよ! もしそれが本当だとしても、もう生きてるかどうかもわかんないやつに!?」


「つか、それでもしこいつが死んでたら、それってお宝がパーになるだけじゃん!!」


「でもよぉ……もし、本当にこいつがまだ生きてんなら、いくらお宝っつっても」


「あぁ!? なンか言ったかハゲェ!」


「つかロキオム! ぁにオッサンの味方してんだテメー! ハゲのくせにキメぇんだよ!!」


 ぼそりと口を挟んだのは、ロキオムだったが。左右から女二人に詰られ、弱々しくしょぼくれてしまう。


「彼女は、まだ生きてる」


 ――だが。

 シドは確信を持って、それを告げる。


「彼女にかかった呪いの系統は、『石化』と同様のものだと思う。石化なら、以前に解呪したことがあるから――今ならまだ、助けられる公算は高い」


「確かか?」


「……本当のところ、やってみなければわからない」


 以前に解いたのは、邪視による『石化』だ。

 機序不明の『宝石化』を解けるかとなれば、確実とは言い難い。


「無理を言っているのは承知のうえだ。でも、どうか――このを助けさせてほしい。どうかお願いだ、このとおり!」


 深く、頭を下げるシド。

 下げた頭のつむじ越しに、舌打ちや悪態を零す声は聞こえたが――しかし彼らの中から、反対の声が上がることはなかった。

 やがて、


「――決まりだな」


 ユーグが宣言した。

 これをもって、この場の方針が確定した。

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