70.そして物語の視点は、ここからふたたびおっさん冒険者のもとへと戻ります。


 第三層を通過し、第四層へ。

 第三層までと様相を異にし、第四層は窓もなく密閉された、完全な『屋内』のつくりをしていた。ある意味、この《箱舟アーク》で初めて、ダンジョンらしいフロアへ行き当たったともいえた。


「連中がいるとしたら、おそらくこの階層だ。行くぞ」


「おい――」


「待って」


 早々に先へ進もうとする《ヒョルの長靴》の面々。掣肘しようとする斥候スカウトの言葉にかぶせる形で、最後尾にいたフィオレが止めた。


「そこ。何か仕掛けがあるわよ?」


 先陣を切っていたロキオムの足元――その半歩先。よくよく目を凝らしてみると、そこには蜘蛛の糸のような細い何かが、目立ちにくい低い位置へ張られていた。

 ぅお、と声を上げて、禿頭の巨漢が飛びのく。


「あっぶね……な、なんだこりゃあ。いったい誰が」


「《警報アラート》の術式を込めた附術工芸品アーティファクトね。術者は――そう遠くないみたい。たぶんこの階層のどこかだと思う」


「……籠術糸ろうじゅつしか」


 その場に片膝をついて顔を寄せ、シドは唸る。

 階段からフロアの中へ入る、ちょうどその入り口に張り渡された極細の糸だ。


 蜘蛛女アクラネーの糸を精練して紡ぐ、めることのできる

 糸を切れば封じた術が発動し、その効果を現す。

 狩人が獲物の居場所を探るために用いられるものだが、このように《警報》の魔術を籠めることで接近する存在を教える鳴子代わりにしたり、あるいは戦場においてブービートラップの仕掛けに用いることもできる。


「――確かに。よく見つけられたもんだ」


 ユーグが言う。物言いは淡々と冷めていたが、ひとりごちるようなその言葉に、斥候スカウトの男ぐっと表情をゆがめた――こうしたものに真っ先に気づいて警戒を促すのは、本来、彼の役目であるからだろう。


「お、オレだって警戒しようとしていたさ。それを、その女が先に――」


「お前がそうしようとしていたのは、俺も理解しているがね。だが――? 自分が、これを」


 ――またか。

 シドは溜息混じりにかぶりを振る。


「こいつは普通に気づけるものじゃないよ、ユーグ・フェット。ほとんど蜘蛛女アクラネーの糸そのものだ――この精練度合いじゃ保管も扱いも難しいし、そのくせ籠められる魔術だってごく限られる。それこそ、術者に『誰かが触れた』ことを報せる程度の、鳴子代わりにするがせいぜいだ」


 籠術糸ろうじゅつしへ籠められる魔術の強度は、糸の強度と比例する。

 精練なしの蜘蛛女アクラネーの糸――それも、蜘蛛の糸も同然の細さとあっては、ブービートラップとしてものの役に立つものではない。


「実際、お手柄だよフィオレ。よく見つけたね」


 敢えて言葉にしてそう褒めたのは、純粋な賞賛と言うだけでなく、斥候スカウトの男をフォローする意味での、ある種の『茶番』という含みもあった。事実としても、フィオレの警告がなければ――シド自身、これを先んじて見つけることはできなかっただろうと思う。


 シドのそうした意図を察してだろう。フィオレは澄まして答えた。


風精霊シルフィードが教えてくれたわ。もっとも、いつもこう上手くできるとは限らないけどね」


「《精霊魔術》か」


 得心いった体で、ユーグは口の端を吊り上げた。


 ――精霊魔術。あるいは刻印魔術。

 その性質から《契約魔術》と称されることもある、森妖精エルフ種族の魔術系統である。


 精霊とは、創世のはじまりよりこの世界の在りようを調律しつづけているとされる、『意志ある自然現象』の総称である。

 精霊魔術は、この《精霊》と契約を結ぶことで形成される魔術で、詠唱や掌相、結印や儀式といったあらゆる工程を要することなく、ただ術者の思考と意志のみをもって、時には精霊の自律的な判断に基づいて、その効果を発動する。


 それゆえに、精霊魔術は『最速の魔術』と称されることもある。そうしたものだった。


「成程。話には聞いていたが、実際に見たのは初めてだ。口先ばかりの能無しと蔑んだのには、謹んで訂正と謝罪を申し上げよう」


「それはどうも」


 フィオレの応答は素っ気ない。

 ユーグは口の端に愉快げな笑みを刻むと、足元に張られた糸をまたいで四層へと乗り込んだ。


「わざわざこんなものを仕掛けるやつがいるってのは――つまるところ、ここにはがあるってことだ。あんたの本意ではないかもしれんが、面白くなってきたとは思わないか? シド・バレンス」


「……当座の目的を果たしてから考えるよ」


 どこか弾んだ、挑発的な物言いで言ってくるユーグに。

 シドはため息交じりで返した。



 先導をユーグが。周辺警戒を斥候スカウトのジェンセンが担う形で、この二人を先頭に第四層の広い廊下を進む。

 照明を内蔵しているらしい天井は高く、白っぽい壁と床をした無機質な廊下は広かった。冒険者のセオリーとして先導する二人と同じ幅の、二人ずつの隊列で進んでいたが、二十人はゆうに並んで歩けるだろう道の真ん中でそんな風にしていると、自分達がひどく縮こまった生き物であるかのように思えてくる。


「――あれだな」


 脚を止めたユーグの視線の先にあったのは、人ひとり分ほどの幅の、ありふれた入り口だった。

 スライド式らしき扉は開け放たれたまま、その向こうから誰かが姿を現す気配はない。


「地図によると、あの部屋の奥の壁は他の場所と比べて奇妙に分厚い。おそらく隠し部屋があるんだろうと言われていたし、それらしい仕掛けを見つけたやつもいたようだが――どうも、開けるためには何かしらの『鍵』が必要だったようでな」


「《鍵》……」


 シドの脳裏をよぎったのは、あの《箱》の中におさめられていた《鍵》――ウォード錠の鍵を思わせる形状のそれだった。

 心当たりがあると察してだろう。ユーグの面が、緊張に鋭く尖る。

 シドは頷き、言った。


「……そういうことなら、《軌道猟兵団》がいるかもしれない。いきなり向こうから襲ってくることはないと思うけど、慎重にいこう」


「分かった」


 ユーグは頷き、自分と並んで先頭を歩いていた斥候スカウトを見た。


「俺とジェンセンが右。あんたと森妖精エルフの娘が左。合図で突入する。残りのお前達はここで待機だ」


 矢継ぎ早に指示を飛ばし、ユーグはジェンセンと共に、足音も立てず入り口傍の壁へと移動した。シドもユーグに倣い、フィオレを連れて、部屋の入り口を挟んだ彼らの反対側へつく。


 ユーグを見ると、黒衣の戦士は指を三本立ててみせた。

 意図するところは察せられた――三、二、一、のタイミングで突入。シドはこくりと一度頷き、武器を手に取った。


 背中の大剣ツヴァイハンダーを使うには、突入直後の味方が密集しすぎる。ゆえに、背中の剣はそのまま、代わりに腰のベルトに下げた大ぶりの短刀ダガーを引き抜く。


 ユーグが、立てた指を折る。


 三

 二

 一


(――今っ!)


 先陣を切って、シドが室内へと跳び込んだ。

 後続が入る空間を開けるため、深く踏み入る。長めの刃渡りをした短刀ダガーの切っ先を真っ直ぐ伸ばしながら、油断なく室内を見渡し――


「……おや?」


 思わず、拍子抜けした声がこぼれてしまう。


「誰もいない、か」


 構えを解いて、ユーグが唸る――そう、その通りだった。誰もいない。


 室内は無人だった。チューブやパイプで天井と床に繋がった、人間ひとりがすっぽりとおさまるサイズの硝子筒が列をなしているだけで。

 ガラス筒はそのことごとくが割れ、壊れていた。少なくとも、本来の役割を果たしているように見えるものは、ひとつもない。


「ここじゃなかった、ってこと?」


「いやぁ、そうでもなさそうだぜ」


 フィオレがひとりごちるのに、斥候スカウトのジェンセンが応じた。

 そばかすと鷲鼻が目立つ中背の斥候スカウトが顎でしゃくって示したのは、部屋の奥に開いたもう一つの出入り口である。


 ――地図は記載のない、出入口。


「隠し部屋だ」

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