69.えらくて嫌なやつは「肩書だけで大したことない」と軽んじたくなるのが人の情ですが。多くの場合、名声や肩書は、実力と実績に裏打ちされたものなのです。


 ――《宝物庫を護る巨人スプリガン》。


 真人種族が築き上げたダンジョンにおいて、宝物を守護する番人として据えられる《幻獣》の一種。

 その見た目から『巨人』と称されるのが一般的だが、厳密には現代における巨人種族とはまったく系統の異なる存在であり、その起源はいにしえの《宝種オーブ》が自らの身を護らせんがために生み出した、人造の妖精であるといわれている。


 その腕は齢数百年を経た古木のように太く、またその肌は千年を経てなお残る岩肌のように硬い。腰蓑こしみの一枚巻いたきりの、そうした体のあちこちを、宝石をあしらった煌びやかな装飾品で飾っている。

 手にする棍棒は古代の大樹より削り出したものとされ、これを以て打ち据えれば鋼の柱さえ飴のようにひしゃげるという。また古い時代の手記によれば、地上に現れたスプリガンはその土地へ嵐を呼び、作物を枯らすとの伝承もある。


「見えざる小人の群れよ・来たれ。嘲笑せよ・愉悦せよ・愚者は汝の前にあり――草をえ・森に在るならば。草を隠せ・野原に在るならば」


 杖を振りかざし、ウィンダムが詠唱を開始する。

 その間、他の冒険者達は巨人の突進を避けるどころか緊張する素振りすらなく、いっかなその場を動こうとしない。


 ――雄叫びを上げて。


 身の丈四メートルを越える巨人が不埒なる侵入者を、即ち《軌道猟兵団》の冒険者達を撃滅せんと突進を開始する。

 知性ある存在とは到底思われない猪突猛進ぶりだったが、さりとてその巨躯が振り回す棍棒は、それだけで十分以上の脅威だ。

 だが、


「悪戯を此処に。かかりし愚者は笑いもの――あらわれよ・《草結び》」


 力あることばに従い、魔術構成が起動する。

 同時に、スプリガンの巨体がつんのめるようにして、前のめりに転倒した。


 の魔術。

 地面から生やした魔力の罠――草を結んだものに靴先を引っかけて躓かせる、いわゆる『草結び』の罠を模した形状のそれで足先を引っかけ、その形状通りに対象を『転ばせる』魔術だ


 裏を返せばそれだけの、まるで子供の悪戯のような魔法だが。

 それは使い方次第では、恐るべき結果を招来しうるものでもある。たとえば、この魔術を吶喊とっかんする騎兵集団の前面に仕掛ければ、どうなるか。

 馬の脚を取られた騎兵は後続を巻き込みながら転倒し――のみならず、馬や他の後続の騎兵に押し潰されて死ぬ者すら出るだろう。


 大物を転ばせることもできる。たとえば、眼前の巨人のような。

 もっとも――そのためには、それ相応の強度と大きさの『罠』を編む必要は、無論あるが。


「よし」


 ――魔術とは技術である。求める結果を、必要な形で得られれば良い。

 これが、リアルド教室における魔術の在り方であった。


 無様に倒れた巨人スプリガンを前に、ジムはゆうゆうと腰にいた剣を抜剣する。


「リアルド教師せんせいとロト侍祭は、ウィンダムと共にここで援護を願います。ネロ、きみは私と来い」


「承知」


 石を擦り合わせるような声で応じ、長躯のネロがジムと並んで前に出る。


「極北の女神、悠久書庫の番人なる司書あなた氷と記録の女神アトリティアよ、書を護るあなたの使徒がため、どうか此処なる我らの身の上に、女神あなたの護りを遣わし給え」


「天の風・地の風・遍在する風の精霊。巻きて巻きて・流るる大河の如くなれ・寄りて寄りて・逆巻く渦の如く、ならん――」


「――はつぶてに・礫はかいに。我が手は土妖精ドウェルグの槌を取り・塊を打ち・打ちて鍛えし刃をなす」


 背中越しに三重の詠唱を聞きながら、ジムは身を起こそうとするスプリガンへ肉薄する。

 先行したネロが振り下ろす槌矛メイス巨人スプリガンの頭を打ち、その顔面を床へ叩きつける。さしたるダメージではなくとも、動きは止まった。

 その間にジムは縦一文字に剣を振るい、スプリガンの瞼を切る。附術強化された長剣は硬いスプリガンの皮膚を易々と割き、その下の眼球ごと断ち割っていた。


 傷を負ったけだものの、つんざくような叫びが上がる。

 同時に、術者達の魔術が完成した。


「書を護る障壁、氷と記録の女神アトリティアの加護よ在れ。《聖鎧せいがい》よ、護り給え」


「風よ・我らがもとに。万象へだてる瀑布ばくふの如くなりて――吹き、散らせ・《矢避けの風》」


「――我がしょうよりでて・く。《魔剣》よ・はしれ!」


 二重の防御魔術と、魔力の刃を放つ攻性魔術。

 ウィンダムが振り下ろした杖の先から青褪めた魔力刃がはしり、巨人スプリガンの目、そのもう一方を直撃した。


 両目を潰された痛みにもがき、暴れる巨人スプリガン

 遮二無二振り回され、遺跡の床を打つ棍棒を、ジムは軽やかに距離を取って躱す。


 仮に直撃したところで、ロトが張った《聖鎧》の護りは硬い。巨人の殴打といえど、一度や二度程度ならば十分に耐える。

 棍棒が床を打つたび、砕けた床、あるいは棍棒の破片が飛ぶが、それらもリアルド教師の張った《矢避けの風》が逸らしてくれる。ゆえにジム達は不測の負傷を恐れることなく、《聖鎧》の損耗すら危惧することなく、次の攻撃を見越した勇敢な回避行動を選択することができる。


 タイミングを見計らい、棍棒を持った巨人スプリガンの親指を斬る。握力を失い親指が離れた瞬間、その手から棍棒がすっぽ抜けた。

 あらぬ方へ飛んでいく棍棒を横目に見送り、ウィンダムが舌打ちした。


「おい、気をつけろ。こっちに飛んできたらどうしてくれるつもりだ」


「そこはきちんと向きをはかり、計算しているとも。私を侮らないでほしいな、ウィンダム」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくで応じるジム。


 視覚を潰され。武器を失い。巨人スプリガンはもはや、丸太のような腕を振り回し、足を踏み鳴らし、地を這う虫を潰す時のように床を打つしかできない。

 その間隙を縫って肉薄し、ネロの槌矛メイス巨人スプリガンの顔や腹を打つ。

 そうして衝撃と痛打で巨人の意識を攪乱する間に、ジムは後背へと回り込み、巨人の脚、その腱を断つ。スプリガンの巨体が、どっと倒れた。


 一方的に嬲るような、戦いだった。

 だが、《軌道猟兵団》にはこの一方的な戦いを楽しむ愉悦も、殊更に幻獣を嬲ろうなどという嗜虐もない。

 これらは膂力と体格において圧倒的優位にある敵に対し『安全に』戦うための、それのみを突き詰め、着実に相手の力を削ぐための戦術であった。


 巨人が咆哮する。

 その身体に、ばちばちと雷光が走る様を見る。

 同時に、どこからともなく空気の流れが生まれる。


 《宝物庫を護る巨人スプリガン》は嵐を招来するという。

 その伝承の意味するところがこれだ。かの幻獣は、風と雷を操るのだ。


「だが、遅きに失したよ。あまりにね」


 ジムは脚を止め、剣を鞘へ納めた。そして、それまでずっと背負っていた長物を手に取ると、手槍ほどの長さのそれを包む布を解く。


 長銃だった。施条銃ライフルである。


 銃身内部に施条しじょうという螺旋状の溝――銃弾に回転を加えることで弾道を安定させる機構を備えたその長銃は、カルファディアの都市常備軍でもごく一部で配備が始まったばかりの、最新型だ。


 イズウェル常備軍の先行配備分から融通させ、今回の冒険に際して更新したばかりの、最新装備。

 ――これこそが、《軌道団》の名の由来。彼らの切り札である。


 片膝をつき、銃床を肩に当てて銃身の向きを固定。そうしてジムが狙いを定める間に、ネロもまた同様に自身の長銃を構えている。


 咆哮し、暴れる巨人が、僅かに動きを止めた瞬間。

 その一瞬を見切り、二人の冒険者は引き金を引いた。




 ――少し、時間を遡る。



 第四層の隠し部屋。そこに繋がる、手前の一室である。

 ケーブルとチューブで天井と床に繋がれ、ずらりと並ぶガラス筒の群れ。その悉くが割られ、中身を持たないがらんどうとなったガラス筒が並ぶ室内で。


 冒険者ゼク・ガフランは壁に背中を預けて一見リラックスしたような姿勢を取りながら、その実、周囲の、そして、同じ部屋の片隅に茫洋と佇む《来訪者ノッカー》の気配へも、注意と警戒を払っていた。


 ――ふと。

 《来訪者ノッカー》が踵を返した。


「どちらへ行かれるのです?」


 どうということもない足取りで部屋の出口へ向かうその背中に、ゼクは呼びかけた。


「手洗いの類であれば、今少しの我慢を願います。ジム様達がお戻りになるまで、どうかこの部屋でお待ちください」


 応えはない。ゼクは続ける。


「第四層は完全な安全地帯とは言い難く、単独行動は危険です。そして、護衛として同行してさしあげたくとも、今の私はこの部屋の番をせねばならぬ身。あなたの安全を守って差し上げることができません」


 空々しい言い草ではある。

 しかし、《来訪者ノッカー》に敢えてこちらと敵対する意思がないならば、何らかの言い訳なり、抗弁はあるはずだ。


 《来訪者ノッカー》の応えはなかった。一時その脚を止めた彼――ないし、彼女――であったが、ゼクの制止を聞き終えると、取り合う気はないとばかりに無言で歩みを再開する。


「お戻りください。でなければ、あなたの安全を保障できません」


 愛用の獲物を引き抜く。幅広の小剣と槌矛メイスの二刀流である。

 《来訪者ノッカー》は背を向けたまま、脚を止めない。


 ゼクは舌打ちした。どうやらこいつは、とことんまでこちらを嘗めているらしい。


「……警告しましたよ」


 無防備そのものの、その背中へ。

 両手の得物を振りかぶり、ゼクは襲い掛かった。

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