68.地位と実績を兼ね備えた真っ当そうな人物であるからといって、それ以外の部分も真っ当であるとは必ずしも限りません。


 はるかなるいにしえの時代。

 世界は、神々の祝福を受け魔法を極めた七柱ななつの種族が、芳醇なる魔法文明を築き栄えていたという。


 《真人しんじん》種族。

 その七柱とは即ち、


 ――《天種セライア

 ――《王種ルーラー

 ――《貴種ノーブル

 ――《龍種リヴァイアサン

 ――《獣種ビースト

 ――《翼種セイレン


 そして、


「――《宝種オーブ》。そう。此処なる彼女こそは、いにしえの時代より現在いまというはるかなる未来へ託された、《宝種オーブ》の末裔! !!」


 興奮に上ずった声で語るジムの前で。まるで眠り姫の棺が王子の前へその蓋を開くように、ガラス製と思しき透明の蓋がスライドした。

 もはや隔てるものなく目の前にある翠玉エメラルドの少女を前に――ジムは天を仰ぎ、感極まった吐息をこぼす。


「伝承に曰く。創世の神々がこの世界へと残した『滅亡』の呪いは、《宝種オーブ》から『時間』を奪ったという。即ちその伝承、その真実がこの姿なのだ。

 その身を宝石へと変えられ、という『呪い』! 二度と生の時間を刻むことなき永遠の停止、それこそが、神が彼らに与えた罰だったのだ!」


 そう。それこそが、神々が彼らに与えた罰であったのだろう。


 彼らを単なる宝石の彫像としか見做すことのなかった、その真実の価値も分からぬ衆愚どもにその身を砕かれ、ちっぽけな宝石のひとかけらとして売り飛ばされるまでの間――彼らはその不当に抗議の叫びを上げるどころか、迫りくる絶対の『死』に対する抵抗の意志を示すことすら、かなわなかったのだ。


 ああ、何とむごたらしき運命!


 このうえなき恐怖!!

 このうえなき屈辱!!


 断末魔の瞬間に彼らが抱いたであろう絶望と無常の嘆きを想い、ジムははらはらとその頬を涙に濡らした。そのはるかなる眠りの旅に思いを馳せながら、ジムは哀れな少女の頬をそっとてのひらで撫でた。


「おお――なんと滑らかな、てのひらに吸いつくような輝く肌。まさしくたまの肌。そう、宝石たまの肌なのだ!

 彼女という存在は、まさしくこの世にふたつと存在しないであろう、至高の宝石が如きもの……!」


 その手は少女のうなじを、鎖骨を、控えめな乳房の間を滑り、ひらたい腹から華奢な太ももまでの曲線を撫でる。

 ジムは陶酔に胸を熱くし、胸の高鳴りを吐息と変えて零した。

 激しい動悸に息が弾み、白目を血走らせた目の瞳孔は限界まで開いていた。火照った顔にはいつしかうっとりとゆがんだ笑みが浮かび、その口の端から垂れた涎が顎先へと伝っていた。

 ジムはたまらずその場に膝をつき、宝石の少女へ頬ずりしながら独り言つ。


「この肌に、いつまでも触れていたい……嗚呼、この美しき肉体、肌、そのすみずみまでを我が手の触れるところと穢し、私というちっぽけな人間の肉体を、このはるかなる少女の身体と結合し! 私という存在、その人生を! その聖域にまで刻みつけたいという欲望がこみ上げる……!」


「ジム」


「ああ! どうか何も言わないでくれ、我が友。ウィンダム・ジンよ! 分かっているとも――我々は彼女をこの哀れなる眠りのくびきから解き放ち、我らが歴史において誰一人なしえたことのなき、即ち《真人》種族との対話、はるかなるいにしえの時代の真実を知るという大業を成し遂げんがためにここまで来たのだと、私とて分かっている!」


 大いなる魔法文明を築き上げた旧人類との、対面。そして対話。


 これまで誰一人として成しえなかった、前人未踏の栄誉! 絶対不朽の名誉!!


 はしたなくも股間で勃起する己の分身を鎮めるべく、ジムはのけぞるようにして天を仰ぎ、己の使命を、これまでの冒険を想起する。


「そのためにこそ――我々はあらゆる手段を選ぶことなくここまで来た。此処より隔てられたる妖精達の故郷、異世界なる妖精郷ティル・ナ・ノーグへと渡り、《真人》にかけられた呪いを解き得る唯一の可能性、あらゆる毒、あらゆる呪詛、あらうる傷病を癒すという古妖精エルダー・シーの霊薬アニマ! この霊薬を持ち帰らんがため、我らは《杖》を強奪する盗賊に身をやつすことさえした。その結実――その完遂が目の前まで来ているのだと、理性において深く理解している。だが!」


「ジム」


「頼む、友よ。愚かな私に今しばしの、この胸の高鳴りを鎮めるための時間を与えてほしい。

 それが叶わなければ、私は――私は、彼女が長き眠りより目覚めたその瞬間、この宝石の少女の美しい裸身を抱きしめ、結婚を申し込まずにいられない。はしたなくも求婚せずにはいられない己を、抑えることができないだろうから……!」


探知機センサーに感ありだ」


 魔術師ウィンダムがそう言うと、ジムの熱弁はぴたりと止んだ。

 すっとその場で立ち上がり、男は氷の刃を思わせる鋭さでゆるりと振り返った。


「……それは、他の冒険者が来たということか? 我々のような明確な目的もなしに第四層を探索する物好きが、そうそういるとは思われないが」


 第四層は、実入りの乏しい階層である。

 階層そのものが他の階層と比べて狭いうえ、解放手段が不分明な扉で封鎖された未踏領域が多くを占める。

 塔の北半分は進入手段の一切が存在しない、完全に封鎖された未踏領域だった。他方、ジム達がいる南側はまだ探索がされているが、これは言い換えれば、入れるところはあらかたが荒らされつくした後ということだ。


 上層へ続く階段が、下層からの階段のすぐそばにあるのもあって、冒険者達は稼ぎの悪い第四層を通過し、より実入りのいい第五層より上の階層へと上がってゆくのが、この《塔》の常態であった。


「南側の探知機センサーじゃない。だ。北側の未踏領域が開いて、こちらへ出てきたやつがいる――かなりでかい」


 ウィンダムは言う。


「恐らくだが。この層の《宝種オーブ》を護る守護者ガーディアンだ」


「それは、どうにも奇妙な話だな」


 ジムは「ふむ」思案する体で、つるりとした顎を撫でた。


「仮にそんなものがいるとしたら、隣の部屋の荒らされようが腑に落ちない。この階層で魔獣との交戦があったという記録は、寡聞にして読んだ覚えがないのだが」


「その点は同感だ。だが、記録自体を残さなかったのかもしれんし、『彼女』の守護者ガーディアン以外は稼働できない状態だったのかもしれん。――いずれにせよ、現実として守護者らしき大質量の反応があり、俺達は対処する必要がある」


「やむをえない、な」


 ジムは率先して踵を返し、部屋を出た。

 後に続いて部屋を出た仲間達を振り返り、


「ゼク。きみはこの部屋に残って見張りとガードを頼む。この部屋に立ち入ろうとする者があった時は我々が調査中であることを説明し、それでもお引き取りを願えなければ腕ずくでの排除を」


 ゼクは頷く。《賢者の塔》のお抱え冒険者である彼は、《塔》の研究員たるジムの決定に忠実である。


 部下と呼びうるほどに忠実な冒険者とすれ違う瞬間、ジムは僅かの間その足を止め、その視線を《来訪者ノッカー》へと走らせた。

 そのうえで、ゼクを見遣る。彼は頷いた。


 それで十分だった。

 理解の早いゼクの賢明さは好ましく、ジムは口の端に笑みを刻む。



 ――余計な真似をするようなら、も同様に排除しろ。



 ジムは無言のうちに、そう命じたのだ。


 元より得体のしれない協力者。何を考えているかも定かでない相手。

 だが――その目論むところが、《軌道猟兵団》の目的を成就させることでないのは、疑いないところだ。《来訪者ノッカー》には《来訪者ノッカー》なりの目論見と思惑があり、故にこそこの状況にまでジム達を導いた。


 ――その目論見が、我々の大願成就に仇なすものであるならば。


 ――容赦は無用。始末せよ、と。


 忠実な冒険者ゼクの肩をぽんと一度叩き、ジムは部屋を後にした。

 ウィンダムらパーティの仲間がその後に続き、最後に――ひっそりと、一度だけため息をついて――リアルド教師が部屋を出た。

 彼らもジムの意図するところを察しているが、そのうえで止める者はない。


 《来訪者ノッカー》の胡散臭さもあやしさも、承知の上でこれまで手を組んでいたのだ。いざという時の排除もまた、当然ながら想定のうちに入っている。


「ウィンダム。友よ。どうやら我々には幸運がついているようだ」


「大願の成就を目前にして、守護者ガーディアンに襲われようとしているのが幸運か?」


「そうとも」


 ジムは力強く頷く。


守護者ガーディアンなどというものが現れた、その事実そのものが――我々が解読した、旧文明時代の文献に記されていた記述が真実であったという、その証明であるからだ。我々は検証の手間の一切を省き、次の行程へ進むことがかなう。これが幸運でなくて一体何だというのか」


「……成程。そいつはふるっている」


 廊下を進んだ先は、北側へと続く大きなホールだった。

 中央を貫く太い柱――塔のようなそれを挟んだ、その反対側。

 北側へと続く巨大な扉が開かれ、そこに一人の巨人が立っていた。


 ゴーレムを思わせる、岩のような肌をした巨人。だがゴーレムと違い、それは紛れもなく生き物、《魔獣》の一種である。

 やはり、という思いしかなかった。高揚に胸が躍るようだった。


「――《宝物庫を護る巨人スプリガン》」


 その名を口の端に載せて。

 ジムは腰に下げた長剣を抜剣した。仲間達もまた、各々の得物を構える。



 ――戦闘態勢である。


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