52.世界は思ったより狭いのかもしれないし、べつにそんなこともないのかもしれないという話。あと、大切な予定の前日はしっかり寝なさいという話。


「そう……ここオルランドへ来るまでの間に、そんなことが」


 《ウォーターフォウル》号での船旅で受けた襲撃と、水竜人ハイドラフォークの戦士達にまつわる一件。

 それらを聞き終えたフィオレは、難しい顔で唸った。


「これから、きみはどうするつもりでいるんだい? フィオレ」


 シドは問うた。


 現状、はからずも――本当にはからずも、彼女は《ティル・ナ・ノーグの杖》を奪った直接の犯人と接触できたのかもしれない。

 『杖』はその奪還を果たし、あるべき場所へと返納された。そうした意味で、一連の事件は幕を引いているとは言える――シドはそのつもりでいたし、フィオレもおそらくそうだったのだろうと思う。


 だが、


「どう、って?」


 フィオレはきょとんとして、首をかしがるばかりだった。

 この反応にはシドの方が戸惑う。


「いや、だから……彼らは《真銀の森》の宝物庫を襲って、《ティル・ナ・ノーグの杖》を盗んだ、直接の犯人かもしれないんだろう?」


「シド」


 前のめりになる彼を宥めるように、フィオレはシドの名を呼ぶ。


「まず、さっきの話はあくまで私の直感。推測と呼ぶにも、根拠が足りないくらいのね」


 フィオレはゆるゆるとかぶりを振った。


「彼らがあの時の襲撃者だった証拠は、今の時点では何もないわ。それに、たとえ本当に彼らがあの時の襲撃者だったのだとしても――今更、何をするつもりもないわ。むしろこれ以上は関わり合いになりたくないし、ならない方がいいと思う」


「でも」


 抗弁するシドを、フィオレはてのひらを向けて遮る。


「《杖》は私達が奪還したわ。そして私達が杖を取り戻した時、《杖》を持っていたのは


 噛んで含めるように。フィオレはゆっくりと言う。


「もし、本当に彼らがあの時の襲撃者だったとしても。それは彼らが単なる実行犯にすぎなかったか――仮に何かしらの理由をもって《杖》を奪ったのだとしても、それを後々になって手放した程度には、彼らにとって《杖》がだということだったんじゃないかしら」


「……既に、《杖》を奪取した目的を果たした後だということは」


「だとしても、私にとっては同じことよ。《杖》は取り戻され、故郷の宝物庫へ戻った」


 フィオレはかぶりを振る。


「その事実は変わらない。今の私がどうしたいか、ということなら――そうね」


 少しだけ、考えるそぶりを見せてから。

 フィオレは微笑んでいった。


「私はね、シド。あなたの力になりたいと思う」


「俺?」


 怪訝に呻くシドへ、こくりと頷くフィオレ。


「ミレイナさんやターニャちゃんから聞いたわ。シドがオルランドの遺跡に挑んで、冒険者として一旗揚げようとしていること。私もそれ、いいことだと思う」


 フィオレは眦を細めて、屈託なく微笑む。


「もしそうできたら、バートラドやフローラ、アレンやミリーだって、シドはもう大丈夫で、立派に元気にやってるんだって安心できるでしょ? もともと、あんな風に解散することさえなかったら――本当ならあのパーティのみんなで、あなたの目的に添う旅をしていたんだろうなって、私でも思うし」


「それは」


「だからね? もしシドが嫌じゃないならだけど、私はバートラド達みんなのぶんまで、あなたの力になりたい」


 懐かしむように目を細めていたフィオレは、やがてきっぱりと面を上げて。

 夜着を押し上げる自身の胸元に掌をあてがいながら。いくぶん前のめりに、身を乗り出して。


「あなたが、今のあなたに相応しい何者かになれるまで――今度は、私が。あなたの力になりたいの」


「……フィオレ」


 昂然と宣言した、そんな自分が急に恥ずかしくなったというように。フィオレは赤くなった頬を掻きながら、くすぐったげにはにかんだ。

 ややあって、誤魔化すようなせわしなさで、クッションから腰を上げる。


「えと……わ、私、エリックさんとナザリさん呼んでくるね! 私達の都合でだいぶん時間を貰っちゃったし、待たせちゃってると思うから」


「あ。いや、それなら俺が」


「ひとを呼びに行くくらい、私にだってできるわ。シドは先に休んでて」


 慌てて腰を上げかけたシドへ、フィオレは言う。


「明日こそ、オルランドの遺跡――《箱舟アーク》、だっけ。行かなきゃなんでしょ? だったら今日はちゃんと寝なくちゃだめ。あなた、顔色が良くないわ」


 明るく指摘しながら。フィオレはひらりと手を振って、階下へと降りていく。


 その背中を見送って――そうしているうちに、完全に面倒を見られている自分の不甲斐なさに行きあたって。


「……なんだかなぁ」


 シドは他にどうしようもなく天を仰いで、深く大きく、気の抜けた息をついたのだった。

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