53.「人に歴史あり」とはよく言いますが、街にも歴史がありますよね。そういうの、浪漫だと思います。


 翌朝の目覚めは快適だった。

 木製の寝台に、藁を詰めた敷布団を敷いた寝床は快適だった。

 昨晩はフィオレとの話し合いを経てもなお、すっきりしないしこりが残っていたシドだったが、布団にくるまった後は思案に暮れる間もなく、いとも呆気なく眠りの底へと落ちてしまった。


 着替えと身支度を済ませて客室から広間へ出ると、隣の部屋で泊まっていたフィオレが同時に広間へ出てきたのと、ばっちり目が合った。


「あ。おはよう、シド」


「おはよう、フィオレ」


 頬を染めてはにかむフィオレに、挨拶する。


「ちゃんと眠れた? 顔色は……よくなったみたいだけど」


「おかげさまでぐっすり。けど、あの。昨日の俺、そんなに顔色ひどかった?」


 さすがに気になって訊ねると、フィオレはあっさりと頷いた。


「あんまり眠れてないんだなって思ったわ。おとといの夜は船への襲撃を撃退したって言ってたし、きっとそのせいなんだろうなって」


 事実その通りだったので、返す言葉がない。

 水竜人ハイドラフォークの戦士たちを撃退した後は、残敵がいないかの確認や後始末の手伝いでずっと起きていたので、確かにあまり眠れてはいなかった。


 内心いたたまれない思いで肩を縮めるシドを、フィオレが「さ」と促す。


「朝ごはんをいただいて、早く出かけましょう。今日は《箱舟アーク》って遺跡へ行くのよね? 私も楽しみ」


 気合を入れるようにぐっと拳を握って張り切るフィオレ。

 若い森妖精エルフの、少女のように瑞々しい屈託なさが、中年のおっさんの目にはまぶしくてならなかった。



 ナザリとエリクセルの二人で用意した朝食――作法は山妖精ドワーフ式で、厚手の敷布を敷いた上に並べた大皿料理を囲む形式だった――をいただき、シドはフィオレと共に《Leaf Stone》を出た。


「あんたらの部屋、しばらくとっとくからね。いつでも好きな時に帰っといで!」


「ありがとう、ナザリさん! いってきます!」


 カチカチと火打石を鳴らして見送りに出てくれたナザリの気遣いが、身に染みてありがたかった。少なくとも、次にくたくたにくたびれて探索から帰ったとき――身を投げ出して休む寝床の先は、何の心配もせずに済むのだ。


「――さて」


 あらためて、シドは《箱舟アーク》を――その高い塔の、空の果てへと吸われてしまうほどの高みにそびえる頂を振り仰いだ。


 オルランドの南門から、《箱舟アーク》に程近い北門までの距離は、オルランドという都市の規模から鑑みれば驚くほどに短い。

 オルランドという都市は一般的に想起される城塞都市のような円形・方形ではなく、東西に細長く広がっている。使い魔法ファミリアで使役した鳥の目で都市全体を見下ろせば、その姿はさながら、翼を広げた蝙蝠のそれを思わせるであろう。


 これはオルランドという都市のなりたちが、《箱舟アーク》に程近い渓谷へ築かれた防塞――《オルランドの北壁》にその端を発するがゆえのことである。


 いにしえの英雄オルランドを旗頭とする数多の戦士達の活躍によって、《箱舟アーク》より溢れ出した魔物をその高くそびえる塔の中へと押し戻した後。

 その大いなる事績を讃え、また再び恐るべき魔物どもが塔より豊かなる大地へ溢れることなどなきよう、最後の戦いを生き残った義勇軍の戦士達は、左右を高い崖に挟まれた護るに易い渓谷へ築いた砦――最終決戦の前線拠点ともなった、彼ら戦士達にとっての魂の故郷たるその砦を拡張し、《箱舟アーク》と相対する堅牢な防塞へと生まれ変わらせた。

 《オルランドの北壁》である。


 併せて、街の南方に広がるユーベック山地と小高い丘陵地、都市東方のリスペル大滝に発する水源たる清流クレメンティア川を結ぶ形で第二の防壁を築き、南方の兵站補給地たる河川港へと伸びる平地に道を敷いた。

 これらが、現在のオルランドの玄関口たる南壁と、河川港の街たる南オルランド、そして二つの都市を結ぶ大オルランド街道――またの名を《義勇軍街道》、あるいは《輜重しちょうの道》である。


 こうした成り立ちゆえ、オルランドは北方を背の高い渓谷の頂に、南西を中央山脈群から枝分かれした山地に、東から南東にかけてをクレメンティア川と小高い丘陵地に塞がれた空隙のような平地で、家並みが縮こまるように身を寄せ合う街だった――少なくとも、その始まりにおいては。


 命知らずの冒険者達によって《箱舟アーク》の探索が始まり、のみならず研究者や技師、冒険者達の存在と、彼らが持ち帰るいにしえの遺産をあてこんだ商人達が集まるにつれ、都市は否応なくその拡張を強いられた。

 都市は東西に広がった。

 即ち――北を壁のように連なる崖の頂に、南をユーベック山地に塞がれた西方の渓谷地と、クレメンティア川とニミエール川の二つの河川に挟まれた東方の平地へ、である。

 クレメンティア川にかかる石造りの大橋を渡った先は現在のオルランドの人口の半数が暮らす計画都市であり、また丘陵地に接して眺望に優れた山の手は、富裕層が多く住まう上流市街となった。

 他方、西方の市街はユーベック山地の鉱産資源をその源として、鉱業と工業、冶金やきんと鍛冶の街へと成長した。


 《オルランドの北壁》の門を出て都市の北側へ出ると、塔を中心に緩やかに傾斜し、すり鉢のようになった不毛の荒れ野。いかなる理由によってか草一本生えない乾いた荒地を越えた先には、三方を峻険なる稜線に囲まれた、緑深き森が広がっている。


 緑豊かなまま残された、未開の土地。

 水と緑に恵まれた豊かな盆地が手つかずのまま残されているのは、かのオルランドの死より数百年を経てなお、未だ一度として塔より掃討されたことのない魔物・魔獣たちの脅威を、オルランドの中枢を占める人々が警戒しつづけていればこそである。


 もし、再び《箱舟アーク》より、かのオルランドの時代と同じく怒涛の如き魔物どもの群れが溢れ出せば――南を他ならぬ《箱舟アーク》に、三方を高い山々に塞がれた北方の緑地に住まう人々に逃げ場はなく、そのすべてが暴悪なる魔物どもの餌とされてしまうであろう未来は、火を見るより明らかであったからだ。


 だが――北壁の外、塔へと続く荒地は、その限りではない。

 往来も多く、塔へと向かう冒険者や学者、彼らを相手取る商人達で賑わっている。


「――あれ?」


 そんな中。

 左右に雑多な露店が並ぶ往来を抜けた先の、広場のように開けた一角――煉瓦で組んだ箱のような、大衆食堂や簡易宿の軒先が並ぶ中にひっそりとおさまった《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部の出張所。


 その前に見覚えのある顔を見かけ、シドは思わず足を止めていた。


「サイラス。それにセルマさんも」


「おや、シドさん。それにフィオレさんも」


 歩み寄るこちらに気づき、迎えるように向き直るサイラス。その隣で、良家に仕えるメイドのような楚々とした所作で首を垂れるセルマ。


「もしや、これから《箱舟アーク》探索ですか。いよいよですね」


「登録先の冒険者宿もまだ決まってないし、今日のところは様子見くらいのつもりだけれど……サイラスこそ、何かあったのかい?」


 北壁より北側の出張所は、探索に向かい、また帰還した冒険者たちの利便性のために設けられた小規模な出先機関である。支部の副長たるサイラスがここにいるというのは、いくぶん奇異な状況であった。

 案の定、サイラスは難しい顔で眉をひそめる。


「一言で言ってしまえば、物取りの類ではあるのですが――」


 そう言いながら振り仰ぐ先は、《オルランドの北壁》の左右を塞ぐ、高く切り立った崖である。その頂には鬱蒼木々が茂り、森は周囲の山並みへ――目の粗い鋸のように空を切り分ける中央山脈群の稜線へと続いているようだった。


「……どうにも、引っかかる案件でして」


「というと?」


 問い返すシドに、サイラスは言葉を選びながら答えた。



「犯人はだ、と」


「竜人――」


 どきりと心臓が跳ねるのを自覚した。

 ええ、と。サイラスは頷く。


「被害に遭った店は、建屋そのものが完全に倒壊しているのですが……被害者の店主が言うことには、見上げるような巨躯の竜人の仕業だ、と」

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