50.証拠がないと言われればそのとおりですが、それでも疑念は深まる一方で。


 《Leaf Stone》の二階――この店にとっての『宿』と呼ぶべきスペースは、ひとつの広間を中心に置いて、その広間を囲むように部屋の扉が並ぶ、山妖精ドワーフ式の設えをしていた。

 美しい模様を編みこんだ絨毯や、クッションを敷き詰めた広間の仕立ては森妖精エルフ式。壁につるしたタペストリも、いつだったかに森妖精エルフの集落で見た彼らの住居、その内装を想起させるものだった。

 階段を上がってすぐのところで靴を脱ぎ、靴箱におさめてから広間へ上がる。


 左右に並ぶ扉は全部で八つ。山妖精ドワーフの様式に則るなら、そのうちいくつかは店の主であるエリクセルとナザリのための部屋であり、それ以外の客間が、フィオレやシドのような泊り客のための部屋というつくりであろう。

 風呂や手洗い、洗濯場といった諸々は水場のある一階に設えられていたが、それ以外の生活空間は、基本的にこの二階部分へ集約されているようだった。


 時間的に下の店を開ける前になるであろう朝食は、この広間でとるのかもしれない。

 その場合は、やはり食事の作法も山妖精ドワーフ式――クッションを敷いた上に腰を落ち着け、大皿に盛った料理を囲みながら手元へ料理を取り分けるといったやり方になるのだろうか。


 そんなことをつらつら考えていたのは、身体の方が割と限界に近かったせいかもしれなかった。具体的には、テーブルいっぱいに並べられた山妖精ドワーフ料理をかろうじて綺麗に平らげ、もはや寸毫の隙間もないだろうというほど重たくなった腹とかが。

 シドは絨毯の上にぱたりと倒れ、柔らかいクッションを枕にぐったりと仰向けで横になった。


 ――もう無理だ。もうこれ以上はどうあっても入らない。


 まさかあれだけ食わせた後に、デザートまでついてくるとは思わなかった。しかもゼリーやミルクプディングみたいなさらっといただけるものではなく、食の細いものならそれひとつで朝食になるであろうというほどしっかりした、ナッツとドライフルーツ入りのパウンドケーキである。添えられた珈琲コーヒーも、蜂蜜とミルクをたっぷり注いだ、とろけるように甘くずしりと腹にたまる一杯だった。


(しばらくはだめそうだ……お腹が重くて動けない……)


 そして、はっきり言ってしまえば、フィオレはその『食が細い』側だ。

 種族的な傾向として、森妖精エルフは基本的に食が細い。


 彼女もだいぶん頑張ってはいたが、それでも山盛りの料理を完食するためには、シドが頑張るほかなかった。


「シド?」


 重たい腹を抱えてうんうんと眉根を寄せて唸っていたシドへ。

 気づかわしげに眉を垂らしながら呼びかけてきたのは、フィオレだった。

 階下で湯をつかっていたのか、肩にかかる長さのブロンドはしっとりと艶めき、白々とした珠の柔肌はほのかに上気していたようだった。


 服もくつろいだものに着替えていた。くるぶしまで裾が届く、ワンピース様の寝間着姿だ。

 寝転がったまま、まじまじ見上げているのはさすがに躊躇われ、シドはよっとばかりに体を起こした。


「お風呂、空いたわ。シドも後でどう? さっぱりするわよ」


「そうだね。腹具合がもう少し落ち着いたら……それよりも、さっきの話の続きだけど」


「うん」


 夕食の折、人目をはばかって中断した話だ。

 シドと向かい合う位置にクッションを敷き、フィオレはその上で膝を折って正座する。

 ふと、階下にいるのだろうエリクセルとナザリの夫婦の存在が脳裡をよぎった。あの二人には、聞かれても大丈夫なものだろうか、と――


「エリクセルさんとナザリさんはまだ下で後片付けしてるわ。私が呼びに行くまでは下にいてほしいって、お願いしてきた」


「なら、早めにこっちの話を済ませないといけないか」


 フィオレはいたずらっぽく頬を染めて笑い、「うん」ともう一度頷いた。


「彼らに――私が、さっきの冒険者のひとたちを警戒した理由、だったよね。まずはそこから話しましょうか」


「ああ。頼むよ」


 傾聴の姿勢を取るシドに。

 一転して表情を引き締め、フィオレは切り出した。


「私が彼らと一線を引いたのは――あのジムというひとが、《真銀の森》の秘宝をティル・ナ・ノーグのと呼んだから」


 『ティル・ナ・ノーグの』ではなく、『ティル・ナ・ノーグの』。


 《真銀の森》の秘宝として奉られてきたトネリコの杖は、伝承にもうたわれる《ティル・ナ・ノーグの輝石》、そのひとつだ。

 その正体は、はるかないにしえにこの世界から別たれた、あらゆる妖精種の故郷とされる土地――今は封ぜられたる異世界に存在するという妖精郷ティル・ナ・ノーグへ渡るための『鍵』。あるいは『通行証』と呼ぶべきものであった。


「それは、そこまで重大な違いなのかい? あの杖におさめられている石が《ティル・ナ・ノーグの輝石》であることは、俺も知っているくらいのことだけど」


「シドがそれを知っているのは、どうして?」


「それは、フィオレが教えてくれたから――」


「私があなたに、バートラドやフローラ達にもそれを教えたのは、私達が他ならぬ『杖』の、杖に封じられた『輝石』の力で、《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へ迷い込んでしまったから。そうじゃなかった?」


 シドの答えを遮る形で、フィオレは言った。


「事の次第を正しく理解してもらい、みんなで無事に帰るために――そのために必要と信じた情報を、私は提供した。《輝石》のことは無暗に広めないでほしいって、お願いもしたはずよ」


「ああ。そのことなら覚えてるよ、ちゃんと」


 思いがけず厳しいフィオレの物言いに、若干焦りながらもそう請け負うシド。


 だが、元より《ティル・ナ・ノーグの杖》の奪還自体が、『極秘裏のうちに果たすべし』とされた探索である。どのみち『杖』の探索自体が、誰にも明かすことを許されない秘密なのだ。

 ゆえに、『杖』の正体が伝承にうたわれる《ティル・ナ・ノーグの輝石》であるという事実も、それら伏せられた秘密の一環――あるいはその理由の本質であると見做し、実のところそれ以上の疑問を抱くことをしてこなかった。


森妖精エルフ部族が奉る秘宝の中に、妖精郷ティル・ナ・ノーグの名を冠するものは多くあるわ」


 伝承にうたわれる《ティル・ナ・ノーグの輝石》の在り処。それは誰ひとり知る者はないと、そう語り継がれている。

 だが――


「妖精郷――妖精の故郷とされるあの場所へ渡る鍵、《ティル・ナ・ノーグの輝石》は、それら秘宝の中にいるの。そして、どれが《輝石》を封じた秘宝であるかを知っているひとは――森妖精エルフの中にさえいないはずなの」


 フィオレはふるふるとかぶりを振る。


「ほかならぬ、秘宝の継承者――口伝として伝えられる、部族長の血族を別にすれば、だけどね」

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