48.「一緒に《箱舟》を探索しましょう」と誘われたんですが、これを受けるのがものすごーく気が進まない、おっさん冒険者三十七歳です。


「《来訪者ノッカー》……」


 ――『来るべき訪れを報せ、運命の扉を叩くもの』。

 ゆえに、『ノッカー』。


 前触れもなく姿を現した《来訪者ノッカー》の姿は、間道沿いの山小屋でジムから語られたその形容に対し、ひどく印象を感じさせるものだった。


 男としてはやや低め、女としてはやや高めの中背。雨避けを思わせる、薄汚れた色合いのフード付き外套コートの前を襟元まで閉めて着込み、身体の線はうかがえない。

 ただ、それでもうかがえる肩幅はどちらかといえば華奢で、袖口から覗く手袋をはめた手や指には、ほっそりした印象の輪郭が伺えた。

 金属とも陶器ともつかない奇妙な光沢のある、のっぺりとした仮面で顔を覆っており、顎の線のすっきりした輪郭以外にうかがえるものはない。


 総じて、男とも女ともつかない――ひどく茫漠とした佇まいが、シドが《来訪者ノッカー》から受けた印象だった。


「遅かったですね、《来訪者ノッカー》。先にはじめてしまっていましたよ」


 琥珀色の火酒が入ったグラスを掲げてみせるジム。

 《来訪者ノッカー》は仮面の向こう側からそんなジムへ一瞥くれたようだったが、特に何を言うでもなく、《軌道猟兵団》の四人が囲んでいた六人掛けテーブルの空き席に腰を下ろした。


 愛想というものが欠落した振舞いに、ジムはやれやれとばかりの所作でかぶりを振った。


「さて――我々の自己紹介はこれで終わりです。今度はあなた方のことを伺いたいところですが」


「シド・バレンス。クロンツァルトの冒険者です。パーティはこの前解散したばかりで、今は一人ソロで旅をしています」


単独ソロとは、また。かの名高き《箱舟》へ挑むには何とも頼りない――そちらの彼女は、お仲間ではないのですか?」


「彼女は――」


 ――どうすべきか。

 視線は正面のジムへ固定したまま、視界の端に捉えた《来訪者ノッカー》の様子を伺う。

 彼らの前で――特に、あの得体のしれない《来訪者ノッカー》の前で、フィオレの名前を出してもいいものだろうか。

 だが、


「フィオレと申します。彼と同じく、冒険者です」


 そうしてシドが内心の思案を巡らせる間に、フィオレが凛然と面を上げて、自ら名を名乗ってしまった。


「フィオレ?」


 ジムの眉が、ぴくんと撥ねる。


「もしや、あなたのお名前はフィオレ・セイフォングラム――かの《真銀の森》が部族長、フェルグス殿のご息女で?」


「……確かに、私はフェルグスの娘ですが。父をご存じなのですか?」


「三年ほど前、部族の秘宝たる《ティル・ナ・ノーグの輝石》を拝見させていただけないかとお願いにあがったことが。残念ながら、にべもなく断られてしまいましたが」


 あくまで過去の話ということか。ジムはさほど残念がる風もなく、かぶりを振っただけだったが。


「……部族の秘宝は、いたずらに外へ持ちだせるものではありません。同族たる私達でさえ、その姿を目にできるのは、定められた時に執り行われる祭儀の時のみです」


 フィオレは、形のいい眉をひそめた。


「そして――ひとつ訂正させていただくならば、我が《真銀の森》が奉りし秘宝は《ティル・ナ・ノーグの》です。お間違いなきよう」


「おや、これは失礼――申し訳ない」


 ですが、と。ジムは言う。


「不躾を承知でお願いに上がったのは、その『定められた祭儀の時』を待つ時間の余裕が、我々のような短命種にんげんにはなかった、それゆえのことと御寛恕ごかんじょいただきたい――しかし、それも今となっては詮無きこと。フェルグス殿には無理なお願いをしてしまったと、慚愧ざんきの念にたえぬ思いです」


 ああ、と何かを思い出した様子で、ジムが唸る。


「ですが、はるばる中原まで赴いた甲斐はありました。《真銀の森》の部族長フェルグスがこの世で最も寵愛ちょうあいし、部族諸人もろびとが讃える四つの宝石。《真緑しんりょくの四姉妹》――あの時は長女と三女の御方にお目通りが叶いましたが、そう、次女のお名前が」


 ――フィオレ・セイフォングラム。

 肘をついた両手で、口角の吊り上がった口元を隠しながら。男はじっとねめあげるように、フィオレの顔を見る。


「いや、こうして拝見すると、確かに。姉妹らしい面影を感じます――いや、実に可憐、実に美しい。はからずもこうしてお会いできたこと、光栄に存じます」


「……フェリシアとフューンに会われたのですね。私は叔父の随員で、森を離れていることが多かったものですから」


「であれば、此度はなおさら幸運なことです。かくも素晴らしき美姫と、こうしてまみえる機会をいただいた」


 饒舌に、高揚した熱弁をふるうジム。

 ――その一切が、奇妙に空々しく聞こえてならないのは、果して何故なのか。


「どうでしょう、お二人とも。こうして今この時に見えたのも何かの縁――我々と共に、《箱舟アーク》へ挑むというのは」


「あなた方と?」


「はい」


 ジムは頷く。


「特に、そちらなるシド・バレンス殿は、我々に対してひどく良くない印象をお持ちのようですが――いえ、無論それはやむなきことと、承知のうえではありますが。しかし我々の目的、その完遂を目の当たりとすれば、必ずやその価値を、その意義をご理解いただくことがかなうでしょう」


「ずいぶんと急なお話ですね。フィオレはともかく、俺なんかまだこの街での冒険者宿も決まっていないようなおのぼりで、しかも《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》ですよ?」


「階位など」


 芝居がかった大仰さで。ジムは鼻で笑った。


「たとえあなた方お二人が、冒険者になりたての青銅階位ブロンズであったとて、何ら変わるところはありません。道中の安全は、我々が保証いたします」


 ジムは昂然と請け負い――そして、胸元に留めていた紋章エンブレムを示して見せた。


 白金階位プラチナ・クラス――冒険者としてその高みに至った、選ばれし一握りのみに与えられる、栄光の紋章。


「もちろん、探索の完遂――その栄光は我々、《軌道猟兵団》のもの。しかし、その歴史的瞬間を証言する立会人となっていただけるならば、それは是非にとお願いしたいことだ」


 ましてや、と。ジムはフィオレを見遣った。


「とりわけ、それが中原に名高き森妖精エルフ部族、《真銀の森》部族長の縁者となれば、その言葉の信憑性はいや増すこととなるでしょう。

 何より我々の探索、その素晴らしき真価を森妖精エルフの歴史に刻む栄誉にあずかることかなうならば――それは未来永劫、時の果てまで我らの探索が語り継がれる保証に等しい。これに勝る名誉はない」


 あらためて、ジムは二人を見渡した。

 《軌道猟兵団》の他の面々は特に口を挟むつもりがないのか、ジムの『教師』であるというリアルド教師も含め、事の成り行きを見守るでもなく食事の手を進めている。


「これより《箱舟アーク》へ挑むおつもりなら、先達に付き従うのも経験のひとつ」


 ジムは茫漠とした――そのくせひどく熱を帯びた目を、にんまりと細める。


「我ら《軌道猟兵団》であれば万難を排し、あなた方の最初の冒険を、歴史的瞬間の目撃者となる誉れと共に完遂せしめると保証いたします――いかがですか?」


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