47.食事時に空気が悪いのは大変いたたまれないことだと、分かってはいるのですが。いるのですが…


 シドと向かい合う形で、男女ふたりの冒険者が悠然と腰を下ろしていた。

 冒険者パーティ《軌道猟兵団》のリーダー、ジム・ドートレスと、パーティの紅一点である年嵩の女だった。

 残り四人は隣のテーブルを囲んで早速届いた料理を、まるで貴族の邸宅のコース料理に対するような所作で上品に味わっており、シドの隣に移動したフィオレは、唯一この場に満ちるぴりぴりした空気の正体を理解できず、不安げに視線を走らせていた。


 夕食時を迎えてにぎにぎしい《Leaf Stone》の店内で。

 この二つのテーブルだけが、ひどく張り詰めた冷たい空気に満たされていた。


「食べないのですか?」


 友好的な口ぶりで切り出したのは、ジムだった。


 白っぽい髪を短く刈った、精悍ながらも優男然とした美男子である。

 年の頃は二十代の半ばほど。鎧を外し、黒いハイネックと厚手のズボンの上下だけという格好で、逞しく鍛えられた若々しい身体の線が見て取れた。

 形のいい口の端には常に微笑みを浮かべているように見えたが、その実、浮かべた笑みは、どこか空々しい――そう感じてしまうのは、あるいはシド自身の先入観によるものであったかもしれない。


「こちらの土妖精ドワーフ風料理はおすすめです。森妖精エルフ風料理ももちろんおいしい。日によってどちらかしか供されないのが悩ましいところですが、それもまたくじを引くが如き楽しみがあると言えないこともない」


 言いながら、ジムは揚げたラビオリを口に運ぶ。


「どちらも里の風俗を持ち込みながら、トラキア風――あるいはこの街の人間の舌に合うよう、また材料を当地に合わせることで入手難度を下げ、元の風情を残しながらなおかつ廉価で提供するためのさりげないアレンジが加えられている。

 原型たる妖精種の風俗へ厳密に固執するのでなければ、これほど安価に、かつ元の風情を残した妖精種の料理を味わえる店を、私は他に知りません」


「なぜ、この店に?」


「要らぬことを知ってしまったあなたを始末するべく、後を追ってきた――とでも言えば、納得していただけますか?」


 ジムはクスリと含み笑った。


「偶然ですよ。別にあなたに対して思うところはありません――無論、あの交易商人のお嬢さんに関しても同じこと」


 わざわざサティアのことにまで言及するのは、牽制のつもりだろうか。

 厳しい面持ちで問い質すシドの眼光を、ジムは柳のようにゆうゆうと受け流す。


「あなた方は十分な仕事を果たし、我々はそれに見合う報酬を支払った。私達とあなた方の関係は、それだけのことです。

 ここを訪ったのは、冒険の前の景気づけ――明日からの探索に向け、英気を養うためです」


「その探索というのは、あの《鍵》を使ってですか?」


「ねえ、シド。《鍵》って――」


 ――何の話?

 そう問おうとしたフィオレの声は、その半ばで途切れた。

 ジムを見据えるシドの厳しい横顔に、どきりと竦んだせいだ。


 そんなフィオレのひるみに気づいてだろう。ジムは彼女へ目を向け、にこりと眦を細めた。


「あなたとは『はじめまして』になりますね、森妖精エルフのお嬢さん。私は、冒険者パーティ《軌道猟兵団》のジム・ドートレスと申します」


 そう名乗ると、彼は続いて隣の女性を手で示し、


「こちらはマヒロー・リアルド教師。学究都市イズウェルの教師であり、私の師匠にあたる方です」


「イズウェル――では、そちらの女性は《賢者の塔》の教師なのですか?」


 唸るように問うシドに、ジムは好ましげに微笑んだ。


「お詳しいのですね。仰るとおり、こちらリアルド教師は《賢者の塔》の教師。私と、あちらのテーブルのウィンダムは《塔》の学生――史学科の研究員です」


「……ねえ、シド。《賢者の塔》って……?」


 おそるおそるといった体で、訊ねてくるフィオレ。

 シドははたと我に返り、ばつの悪い心地で答える――ジム達と向かい合ってから完全にフィオレの存在を失念していたのだと、今になって気づかされたせいだった。


「カルファディア諸都市連合国の学究機関の名前だよ。もとは魔術研究――ないしは《真人》時代の魔術文明を解明するための結社だったのが、その範囲を広げて現在の学究機関という形に展開したものだそうだ」


 シドの故郷であるクロンツァルトでいえば、王立アカデミーがこれに相当するだろう。

 歴史。数学。地理。天文。文学。医学。物理。錬金術。

 魔術もまた、そうした研究分野のうちのひとつである。


 たとえば、かつてシドやフィオレと共に《ティル・ナ・ノーグの杖》探索に挑んだ少女魔術師ミリーことミリーティアは、東方に冠たる魔術研究の頂――グランズベイル契法学院への交換留学に加わっているが。現状の彼女の身分は、外部からの特待生という形で魔術学科に迎えられた、王立アカデミーの学生ということになる。


「《賢者の塔》の教師は、そのすべてが研究者であると同時にすぐれた魔術師だ。

 そしてイズウェルには、《賢者の塔》の本部がある。もともと《学究都市》の名を冠するほど魔術研究の盛んな都市で、イズウェルで『教師』といえば即ち《賢者の塔》の教師を指すほどだという話だ。そも、カルファディア成立以前――トレニア半島が都市国家の群立地だった頃には、《賢者の塔》という組織自体がイズウェルにしか存在しなくて」


「よく勉強していらっしゃるのね」


 紅をさしたように赤い口の端を緩めて言ったのは、リアルド教師だった。

 波打つ黒髪に紅い唇。年の頃は四十代の半ばか、あるいは五十代であろうか――黄色系の肌にはしわが刻まれ、さすがに年齢は隠せなくなっているようだったが、それでも顎の線はたるむことなく、ほっそりと卵型をしている。


 長い睫に縁どられた眦は力強く厳しい。

 自律と自尊の人柄であることが、その風情からだけでも見て取れた。


「一介の冒険者でありながらそこまでカルファディアの歴史と内情を知る方は、実にまれなるものでしょう。オルランドの方ではなさそうですが、どちらの方かしら。ファーン王国――それとも中原のどこかから?」


「クロンツァルトから来ました。名高きオルランドの《箱舟アーク》へ挑むつもりで」


「まあ……」


 シドの答えは、リアルド教師にとって意外なものであったようだった。


 無理もないことではある。《大陸》北東部に位置するクロンツァルト平原地方は、南方の《地中海イナーシー》西端に位置するトレニア半島から見れば、ほぼ大陸の反対側と言っていい。


 感嘆の息をつくリアルド教師に代わり、ジムが話を引き取った。


「――話を続けましょうか。あちらのテーブルの四人は、先ほども紹介したウィンダム・ジン研究員、それからロト・ヘリオン待祭」


 どちらも見覚えのある顔だった。


 一人は、サティアが運んできた品に何かしらの鑑定と思しき魔術をかけていた、瘦身の魔術師。

 もう一人は、人懐っこい物言いが印象に残る、氷と記録の神アトリティアの聖印を下げた神官だ――紹介された今も、人懐っこく微笑んで軽くお辞儀を寄越してきた。


「奥の二人は、ネロ・ジェノアスとゼク・ガフラン。どちらも《塔》お抱えの冒険者です」


 どちらもジムやシド以上の屈強さで鍛え上げられた、戦士の体つきをしていた。

 一目でそうと見て取れる武器は帯びていなかったが、代わりにジムが持っているのと同じ、布でくるんだ長物を手元へ置いていた。


 その時、再びドアベルの音が鳴り、新たな客の来店を知らせた。


「いらっしゃ――」


 張りのあるナザリの呼びかけが、その半ばでぎょっとしたように途切れる。

 実際、そこにいたのは異様な風体の男――否、男とも女ともつかない中背を、ぞろりとしたフード付きの外套コートと仮面で覆ったその客は、男か女かの別さえあやふやだった。

 振り返ったジムが「おや」と唸り、目を細める。


「そして、あちらが我々の協力者――《来訪者ノッカー》と言えば、あなたにはお分かりいただけるでしょうか」

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