44.今日は一日、たくさんのことがありすぎました。おっさん冒険者はくたくたです、おっさんなので。


 脱線しかけた話を切り上げて。《諸王立冒険者連盟機構》支部の建屋を出た頃には、既に日が傾きかけていた。

 なんだかどっと疲れた気分で、シドは暮れなずむ空を仰いだ。


「お疲れですか?」


 冗談めかす風でそう訊ねてきたのは、わざわざ見送りにまで出てきてくれたサイラスだった。久方ぶりに再会した後輩の前で実におっさんくさいところを見せてしまったのに気づき、シドは気まずくはにかむ。


「言い訳みたいになるけど、今日はいろいろあったから……サイラスとこうして鉢合わせたこともだけど」


 思わず口にしそうになった、セルマへの求婚にまつわる一件は、きつく奥歯を噛んで磨り潰し。

 あらためて彼へと向き直り、シドは握手を求める手を差し出した。


 サイラスは口の端を緩め、その手を取った。


「お会いできて嬉しかったです、シドさん。シドさんは本当にお変わりなくて……何というか、懐かしくてなりませんでした」


「俺もだよ。いろいろ……せわしなかったけど、今日は会えて、本当によかった。嬉しかったよ」


 十年ぶりに取った手は、記憶にあった印象より、ずっと大きく、逞しかった。

 ごつごつと硬く荒れた、戦士のてのひらをしていた――冒険者はとうに引退したという口ぶりだったが、それでも己を鍛えることは未だやめていないのだと、それだけで知れる。


「それで、あらためて伺うのも今更のようですが。シドさんはこの後、どうされるおつもりなのですか?」


「そうだなぁ……」


 訊ねてきたサイラスだけではなく――シドと一緒に支部を出たフィオレも、彼の回答を待つように、傍らからじっと見上げてきている。


 ――心積もりを言うなら、だが。

 本当は今日のうちに一度、《箱舟アーク》への下見に行っておくくらいのつもりでいた。しかし、さすがに日が暮れつつある今からとなると、それも厳しい。


 天高くそびえる塔が目印になるおかげで、目的地だけは見失う心配がなかったが――とはいえ、塔の巨大さも相俟って正確な距離感は判然とせず、夜まで時間もない。向こうへ着く頃には完全に陽が落ちているだろうし、そうなれば畢竟、今晩は野宿を覚悟する必要も出てきてしまう。


 何せ、今晩の宿すら決まっていないのだ。

 ただでさえ冒険者――のみならず、多くの人々がひしめき合っているであろうオルランドだ。深夜の飛び込みで真っ当に宿を確保できる見込みがあるかとなれば、これまでの経験上、見込みはだいぶん心許ない。


 それでなくとも、今日は本当にいろいろなことがありすぎた。

 昨晩、《ウォーターフォウル》号を襲撃した水竜人達の一件にはじまり――昨夜から今日にかけて、喜びも奇縁も、後悔も痛恨も、あまりにたくさんのことが。


 情けない話だが、慶事に喜んだこともひっくるめて、心身の疲弊が無視しがたくなってきていた。


(歳、取ったってことだよなぁ……)


 しみじみと恥じ入るシド。内心でだけため息をつき、あらためて二人を見渡す。


「登録する冒険者宿どころか、今晩泊まる先も決まってないような有様だからね。ひとまずこの後は、今晩の宿を探しに行くつもり」


 やりたいことも、やらなければいけないことも、数え上げればキリがない。


 今日できなかった、《箱舟アーク》の下見。

 今後、オルランドで探索と冒険を続ける間の拠点となる、冒険者宿への登録。

 下見程度ならともかく、本格的な遺跡探索に臨むとなればパーティを組む仲間を探す必要も出てくるだろう――うらぶれた《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》をその末席に加えてくれる奇特なパーティが、ひとつでも見つかればいいのだが。


 いっそ、冒険者宿として登録させてもらう先の下見もかねて、今晩の宿をセルマに貰ったリストから選ぶのもいいかもしれない。


 いずれにせよ、シドにとってオルランドは初めて訪う土地だ。

 探索の『起点』にできる拠点は、早いうちに作っておきたかった。


「であれば、私の方で宿を手配をさせてください。今日は私のせいでお時間を取らせてしまいましたし――これでもオルランド支部の副支部長ですから、冒険者宿であれば大抵のところに顔がききます」


 いくぶん前のめり気味に言ってくるサイラスの申し出に、シドは苦笑気味で首を横に振る。


 自分などとは比べ物にならないくらい栄達したサイラス相手とは言え、シドはまだ、彼の先輩のつもりだ。まして、彼は彼なりの問題を抱えてもいるはずである。

 昔のよしみに甘えて、彼の権勢をいいように使ってしまうみたいな真似は、いくらなんでも気が引けた。みっともないにも程がある。


「なら、私のところに来る?」


「フィオレの?」


「うん」


 当惑気味に呻くシドへ、フィオレは頷く。


「私が泊まってる宿屋さん」


 ──成程。

 たしかに、振り返ってみれば何も不思議なことなどない。フィオレはシドの到着に先立つ半月あまりの期間を、既にこのオルランドで過ごしているのだ。当然、その間に寝起きしていた宿だってある。


「部屋の空きはまだあったはずだし……それに、もし空き部屋がなくなっちゃっても、ちゃんと広い部屋だから、シドが寝起きするぶんのベッドもちゃんとあるし。どうかしら」


 ふむ、と顎を撫でながら、フィオレの提案を吟味する。

 シドの方に迷いがあるのを見て取ってか、フィオレはたたみかけるように言葉を続ける。


「それに、シドとはもう少し、きちんとおはなししたいし」


「話?」


「アレンやミリー達にも、あなたのことを知らせてあげたいのよ。みんなにも、手紙で教えるって約束したから――だから、きちんと手紙にできるくらい、シドの近況を知っておきたいの」


 何の話だろうかと、若干引き気味に訝ってしまうシドへ――その態度で内心の警戒を察してか、フィオレはむっとしたように言う。


「アレンなんか、今にもあなたの後を追いかけかねないくらいの顔してたのよ。ミリーだってすごく後ろめたそうだった。手紙できちんと知らせるって約束して、それでようやく納得してもらえたんだから、あの子達には」


「そのう……苦労、させちゃったみたいだね」


「そうよ」


 細い眉をつりあげてめいっぱい「怒ってるんだからね?」と主張しながら、フィオレは唇を尖らせる。


「あの子達のこと――もちろんバートラドやフローラもだけど、きちんと安心させてあげたいって思わない?」


「うん……それは、はい。あげたいです……」


 シドは肩を縮めて、気まずく答えた。


 この一年間、共に《ティル・ナ・ノーグの杖》探索の旅をしてきた彼らの性格を鑑みれば――その葛藤は、十分に想像可能なものではあった。

 我ながら本当に情けない話だが、昔からそういうところにはさっぱり気が回らない。どうして自分はいつもこうなのだろう。


「……わかった」


 だが、そういう事であれば。

 このうえ謝絶するのは、もはやただの失礼であろう。


「じゃあ……今日のところは、フィオレの厚意に甘えさせてもらうよ。いいかな?」


 途端、フィオレの美貌がぱぁっと明るく輝く。


「もちろん! 任せてちょうだい、ついてきて!」


 フィオレは軽やかに踵を返す。

 サイラスに向けて深く頭を垂れ、今日の謝意を示してから――シドは彼女の後に続いて歩みを進めていった。

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