43.これは個人的な趣味の問題とは思うのですが、気楽な一人旅での寄り道って楽しいんですよ。とっても。ほんとに。

【回想】


 ――時を遡ること、およそ半月前。


 ナーザニスをその領都とする、ヴェルメニー公爵領。

 その北端近く――パーン山脈の周縁をなす、緑豊かなタルペチア山の裾野に広がる、とある農村であった。


「いやぁー、助かったよ冒険者さん。これで今年の畑は安泰だわ! 大した銭も払えなんだってのにいろいろしてくれてよ、ほんと助かっちまったよ! ありがとうなぁ!」


「こちらこそ、お役に立てて何よりです。それに報酬だけじゃなく、こんなお土産までもらっちゃって」


「なに水臭いこと言ってんだい、せめてもの詫びさ! うちの村の干し肉は領都でも評判のうまいやつだからよ。酒にも合うし、旅の間にじっくり味わってくんな!!」


「ナーザニスで串焼きにして売ってた、あれですよね? そいつは楽しみだなぁ……ご馳走になります」


 ミッドレイからナーザニスまで、乗合馬車と徒歩を継いで五日。一人前の冒険者としては標準的な旅程でもって、シドはニミエール川の河川港を有する領都ナーザニスまで到着していた。


 二十年以上冒険者としてやってきたシドだが、ナーザニスまで来たのはこの時が初めてだった。というより、水運の拠点たる河川港やそこでの交易に用があるのでもなければ、他所の土地の人間が積極的にナーザニスを訪うこと自体が、なかなか機会のないことではある。


 次の貨客船が出向するまで一日の間があったのをいいことに、少し街中を見ていこうと思い立ったのが、そもそもの発端だった。



『その恰好。あんた、冒険者さんだろう?』



 ――と。市場で屋台を出していた串焼き屋の親父が、声をかけてきたのだった。

 曰く、村の何人かと市場へ品を売りに来た彼は、村までの帰路に護衛として同行してくれる冒険者を探しているのだ、と。

 半白の髪を短く刈った人懐っこい串焼き屋の親父は、慣れた調子で小気味よく、これまでの経緯をそう語った。


『ナーザニスまでの行きは、たまたま村に立ち寄ってた冒険者さんがこっちへ来るってんで相乗りしてもらったんだがねぇ。それじゃあ帰りをどうしたもんかと思ってたところでよ、ちょうど通りかかったのが、あんただ』


 特段、先を急ぐ旅でもなし。

 護衛の報酬も相応。

 断る理由もなかったし、まして渋るような理由はひとつもなかった。


『いいですよ、俺でよければ。引き受けます』


 ――と。

 気安く請け負って同道した先。


 シドが男達の護衛として村へ到着した時、村は食料を求めて畑を荒らしに来た猪への対処に追われていた。


 壊された柵の修理。罠の追加。

 畑を荒らしに来た猪の拿捕――及び、解体。


『あの。もしかして、街で売ってた串焼きの肉って……』


『おうよ。こいつら毎年懲りずにのこのこ出てきやがるからなぁ! 腐らすのももったいねえからよ、干し肉やら燻製肉やらにして、自分らで食ったり街で売ったりしてんのさ!』


 からからと笑いながら、村人は言った。


『ま……今年はいつになく面倒だがね。えらい凶暴なやつがいてよ』


 日頃は雇わないという、行き帰りの護衛を雇ったのも、それゆえのこと。

 猪の中に一頭、やたらと凶暴なやつがいて、街道を行き交う馬車が繰り返し襲われていたからだった。

 護衛を終えた後、そうした猪への対処まで付き合っていったのは――その時点では、もはや完全になりゆきだった。



「――それで、到着が遅れたっていうの?」


「そういうことになります……」


 呆れたように呻くフィオレに、シドはいたたまれなさのあまりしかめた渋面で頷いた。

 心配をかけてしまったフィオレには、申し訳ないことをしたと心からすまなく思うが。

 しかしこれに関しては、シドにも言い訳というか、言い分はあった。だってフィオレが自分の後を追いかけてきているなんて展開は、想像の斜め上のさらに外だったし。


 所詮、後の予定も己の一存で自由にできる気楽な一人旅。

 ナーザニスからの行き帰りと村での滞在で半月を潰したのは確かに寄り道というには少々長くはあったが、さりとて滞在が長すぎるというほどでもない。もとよりそれで誰が困ることもないと、気楽に構えていたのだ。


 そして、これは完全な余談だが。

 お土産にもらった干し肉はとてもおいしかった。

 野趣あふれる猪の干し肉を嚙み千切りながら星空の下で煽る葡萄酒は、たまらなく贅沢な味わいだった。


「……まあ、猪退治といえばそれまでなんだけどね。今にして考えれば、あの時は村に残っててよかったと思うよ。何せ、こーんなでっかい猪まで出てきたんだから」


「こーんな……?」


 大きく両腕を広げて、大きさをアピールするシド。

 それに付き合う形で自分も両腕を広げる仕草をしながら、腑に落ちないといわんばかりに眉をひそめるフィオレ。


「そうそう。こーんなでっかい、熊みたいにでかいやつ。村の柵を壊したのも、あいつだったんだろうね」


 猪は、基本的に臆病な生き物だ。人間に対し向かってくることはあるし、純粋に生き物として強いので相対すれば脅威だが、決して『好戦的』な生き物ではない。

 だが、あの猪は違った。黒々とした硬い毛並みと熊並みの巨躯をした猪は、シドや村の住人たちを『敵』と見定め襲い掛かってきた。猪らしからぬ、だったのだ。


「もしかしたら、あれは山の猪たちのボス……いや、山のヌシっていうのかな? そんな感じのやつだったのかもしれないね。あいつの肉もおいしかったなぁ」


 村の倣いに則り、猪の肉は解体して干し肉に――その前に、一部は切り分けて村人たちで分配した。

 シドは猪退治の直接の功労者ということで多めの分け前が貰えたのだが、所詮は旅の空、生肉を貰っても使い道がないということで、その日のうちにすべて焼いて、村人たちと一緒に食べてしまった。


「ほーんと、おいしかった。来年こっちに帰ってこれるようだったら、またあの村に行ってみようかなってくらい。干し肉でもおいしいと思うよ、あれは」


「あの、シドさん」


 傍らで話を聞いていたサイラスが、控えめに割って入った。


「私の勘違いでしたら申し訳ないのですが――その猪、もしや《魔猪まちょ》というやつではないでしょうか」


「まちょ?」


 きょとんと眼を瞬かせるシドとフィオレ。サイラスは「ええ」と頷く。


「《諸王立冒険者連盟機構》による脅威度認定C+〜B+。『戦闘訓練の経験を持たない場合、単体であっても成獣の対処は困難。のみならずきわめて狂暴、被害報告も多くあり、討伐時には所定の報酬を用意する』――立派な《魔獣》の類です」


 総じて気性は狂暴。のみならず硬質の毛並みと並々ならぬ巨体を誇り、猪と侮ってかかった冒険者や戦士が返り討ちに遭うことも少なくない。

 記録によれば、竜に匹敵する巨体を誇り、のみならず魔術を行使して猛威を振るった、恐るべき怪物もいたという。


 呆けたままのシドに、サイラスはさらに言う。


「クロンツァルト平原以東ではあまり見かけない魔獣ですが、中央山脈群やその周辺では、目撃や討伐の報告が上がる連中です。討伐証明が取れれば、功績として認定も出ます」


「そうなの!? あ、いや、でも……それ、もう十日以上も前の話だからなあ」


 仮に今から戻れたとしても、件の猪はとっくの昔に解体済み。

 他の猪共々、干し肉か燻製肉にされている真っ最中であろう。


「その時に知っていればともかく、今からじゃ……本当に魔猪だったかもわからないし。よしんば肉で討伐認定が出るとしても、俺が貰ったぶんはぜんぶ食べちゃったし。さすがに今更だよ、これは」


「……まあ、そうかもしれませんが」


「シド……」


 はは、と力なく笑うしかないシド。

 村に着いた時点で、あの猪が討伐認定が出る魔獣だと分かっていれば――と、今更ながら悔やまずにはいられなかったが。


 フィオレとサイラス、同情を帯びたふたりぶんの視線がちくちく刺さってくるのが、シドにはこのうえなくいたたまれなかった。


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