42.女の子に目の前で泣かれてしまうと、男はいろいろと大変なものなのだとご承知ください。ほんとに。


 外ではあまりに目立ちすぎるから――ということで。


 人通りの多い《英雄広場》から場所を移し、《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部の応接である。

 眦に浮いた涙を拭いながら、シドに手を引かれて連盟支部の建屋へ向かうフィオレの姿はそりゃあもう目立っていた。

 注目の的だった。《英雄広場》はもちろん、支部の建屋の中でも。


 ただでさえ泣いている女の子は目を引いてしまうのに、フィオレは男女を問わず端整な美貌をもって知られる森妖精エルフ種族である。

 フィオレを急かさぬよう、しかし能うる限りの早足で、サイラスの案内に続いて支部の応接へと向かう間――終始、周りからちくちくと刺さってくる視線を感じながら、シドは胃が痛くて仕方なかった。

 ともあれ――


「……まさか、フィオレがオルランドに来てたなんて」


 その彼女も、奥まった応接の一室に通され、サイラスが手ずから入れてくれた紅茶の香りを感じるうちに、少しずつ気持ちが落ち着いていったようだった。

 二人きりではかえって気まずかろうと考えてか、サイラスは何も言わずこの場に同席してくれた――とはいえ正直なところを言えば、シドの脳裏には彼の顔を見るたびに最前の、セルマに対する『結婚の申し入れ』の一件がよぎってしまい、むしろ余計にいたたまれなかったのだが。


 だが、当のサイラスはそんな話などなかったとでもいうように、素知らぬ風で構えている。である以上――まして、事情を知らないフィオレまでいる現状、最前の話を蒸し返すことなどできようはずもない。


 今のシドにできることは、当座の、目の前に立ち現れた問題と向き合うことであるのだろう。


 ぐるぐると渦を巻く懊悩に踏ん切りをつけて。

 応接のソファセット――高貴な来客を迎える機会もあるからか、思いがけず瀟洒なつくりのものだった――でテーブルを挟んで向かい合い。

 シドはあらためて、対面に座るフィオレを見た。


「てっきり、きみは《真銀の森》に帰ったものとばかり……それがどうして」


「最初は、ミッドレイへ行ったの。あなたに会いに……ウェステルセンで別れた後、シドがちゃんと大丈夫だったか、確かめたくて」


 そうして落ち着いた後は、今度は感情を露わにしてしまった最前の一幕に恥じ入りながら。

 フィオレはとつとつと、そう話を切り出した。

 うっすら赤くなった目元と、白い頬に散った羞恥の朱が、常日頃は清流のように澄んだ彼女の雰囲気と相反して、ひどく艶めかしかった。


 ――フィオレ・セイフォングラム。


 金糸のように美しく伸びた髪を肩口で切りそろえた、エメラルドの瞳の少女。

 黄金きんの滝のように真っ直ぐ伸びた髪の間から覗く短剣ダガーのように長く尖った耳を見れば、彼女が森妖精エルフの娘であることは一目でそうと知れるだろう。

 シドにとっては、つい一月ほど前まで、《真銀の森》から奪われた秘宝――《ティル・ナ・ノーグの杖》奪還のための探索を共にしていた仲間の一人だ。


 ――事の起こりは、今から一年ほど前。ある夜の事。

 『杖』をおさめた宝物庫の警備をしていたフィオレは、突如として現れた襲撃者を前に力及ばず倒され、部族の秘宝たる『杖』の強奪を許してしまった。


 その事件を未然に防げなかった咎を負い、また族長の娘でありながら部族の秘宝をむざむざ奪われたという恥をすすぐべく、父たる族長より『《ティル・ナ・ノーグの杖》の極秘裏の奪還』という命を受けて旅立つこととなったのが、彼女フィオレだった。


「その、もちろんその前に一度、ちゃんと故郷の森には帰ったわ。《杖》を返しに――それが無事に終わったから、あらためてあなたの定宿を訪ねに行ったんだけど」


「……《湖畔の宿り木》亭まで来てくれてたのか」


 呆けたように、そう呻く。

 確かに、いつかあの探索の旅を懐かしんで訪ねてくれる日があるかもしれないと、自身が身を置く支部がある町や、定宿の名前を教えたのは、他ならぬシド当人だったが。


 しかし、まさか本当に――しかも、こんなに早く訪ねてくれようとは。ついぞ想像もしなかった展開である。


「シドがまた冒険に出たことは、宿屋の女将ミレイナさんとターニャさんに教えてもらったの。当のあなたはいつ帰るか分からないっていうし、だから」


「それで、わざわざオルランドまで、俺を探しに来てくれた……と」


「うん」


 こくり。

 フィオレは一度、ちいさく首肯した。


「その……すまない。なんだかフィオレには、たくさん手間をかけさせてしまったみたいで」


「ううん、そんなのはいいの。私が勝手に追いかけて来ただけなんだし。ただ――」


 陶製のカップを両手で抱え、その温度でてのひらをあたためるようにしながら。

 フィオレは息をついた。


「――オルランドに着いたまではよかったけれど、当のあなたはどこを探しても見つからなくて。連盟の支部ならもしかしたら、と思って訊ねてみたけれど、そんな冒険者は来ていないって言われてしまうし」


 じとりとした抗議の視線が、同席していたサイラスの方へと流れる。

 どうやら、彼がここの副支部長であることは――少なくとも、ここの関係者であることは――フィレオも承知のうえらしい。

 さすがにサイラス当人がフィオレの応対にあたったということはないのだろうが、とはいえ支部の責任者である。それが、自分が探していた当のシドと一緒にいたという状況に、鬱積した感情を抱いてしまうのは無理からぬことなのかもしれない。


 だが、当事者のシドとしては、ずきずきと胸が痛むのを感じずにはいられない。

 何せ、シドがオルランドに到着したのは今日なのだ。彼女が支部を訪った時点では、シドの存在など知りようもない。


「……ここまで来る途中で、シドに何かあったんじゃないかって。私、ずっと気が気じゃなかった。それが今日になって急に、『シド・バレンスが来た』って連盟からの連絡がもらえたから、急いで来てみたら」


 ――そこで、ばったりシド達と鉢合わせた。

 そうした経緯だったのだ。

 連絡を報せてくれた職員というのは、おそらくセルマであろう。


「なんか……その、ほんと、ごめん」


「だから、いいってば」


 律儀に頭を下げるシドに、フィオレは困ったように眉を垂らして笑った。


「でも、一体何があったの? たしかにミッドレイからオルランドまでは遠いけれど、ふつうに旅をしてたらそこまで時間はかからないはずでしょう?」


 シドの拠点――メンベンドール男爵領の領都ミッドレイから《遺跡都市》オルランドまでは、冒険者の脚で順当に進めば、最速で八日、のんびり進んでもおおむね半月程度といったところである。


 まずミッドレイからナーザニスまで、馬車と徒歩を継いで五日から六日。

 ナーザニスからは船に乗り換え、貨客船であればおおむね八日から十日――各所の河川港で停泊・積み荷の上げ下ろしを行わない直通の高速客船であれば、その半分以下の旅程で南オルランドの河川港に到着する。ここしばらくはいい天気の日が続いていたし、フィオレの旅程はおおむねこの範疇におさまるだろう。


 一方、シドがミッドレイからオルランドまでに要した日数は、


(一ヶ月……いや、もうちょっと長いか……)


 ナーザニスから南オルランドまでは、九日の船旅。


 問題は、その前。

 ナーザニスの河川港で船に乗るまでに、シドがかけた旅程は


 あろうことか、一ヶ月近い間が開いていたのだった。

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