24.幕間:匪賊の襲撃で避難していた交易商人の少女は、その頃一体どうしていたか


 外輪船 《ウォーターフォウル号》の乗客が避難先として誘導されたのは、大部屋――船体後部に位置する、船内でもっとも広い部屋だった。

 廊下にかけられていたのを持ち込んだのだろうランタンが灯す光を囲んで、集められた乗客の顔は一様に不安に満ちていた。

 それはサティア――交易商人の少女サティア・イゼットもまた同様だった。周りの『ご婦人』や小娘どもみたいに涙を浮かべて震えるような無様は晒さずいられたが、それでも不安で表情が強張り、頭の芯が痺れてしまうのばかりはどうにもならない。


 ――胸の芯から、震えがこみ上げる。

 ――恐れで、思考が働かない。


(今時、まだ匪賊が残ってたなんて……)


 ニミエール川を行き来する大型船舶は、《地中海イナーシー》と北方の平原地方――のみならず、その間に広がる草原ステップ地帯や、《竜の背骨》を形成する山々の山麓に広がる諸国を繋ぐ、交易と水運の大動脈だ。

 それゆえということもあってか、一頃のニミエール川流域は、船の積み荷や乗客の金品を狙う匪賊どもの巣窟であったという。


 川を行き来する船は各々で護衛を雇い、匪賊の襲撃に対抗をはかったが、それにも限度がある。頻発する被害にたまりかねた商人たちの訴えを受けて、ニミエール川流域の諸国は一斉に、本格的な匪賊の討伐へと乗り出した。


 一国のみの討伐であれば、情勢が落ち着くまで他の国へと潜んでいればいい。だが、流域全体で一斉に討伐が行われたとあっては、狩場を変えたところで何ら意味を持つことはない。

 匪賊どもは次々と捕らえられ、首を刎ねられた――程度であれば、まだ生易しい方で、ところによってはニミエールの川辺で残酷な刑罰にかけて一晩中その悲鳴を響かせ、腐敗しかけの死体を並べるようなことまでした土地もあったらしい。


 当時、匪賊がどれだけ諸国の、人々の憎悪を買っていたか。その証左である。


 ともあれその甲斐あって、匪賊による船舶の襲撃は絶無に等しい状態となり、流域の治安は雲を突かんばかりの勢いでその向上を見た。

 少なくともここ十年の間、匪賊による船の被害はない。これに伴い船の護衛に充てる費用も減り、自然と護衛の数、質は下がっていった。


(……冗談じゃないわよ)


 一人、延々と泣き叫ぶ女の声が、サティアは耳障りで仕方なかった。

 子供とはぐれた母親らしい。子供が、子供が、と繰り返し、それ以外はほとんど意味をなさない言葉をまき散らして、不安と恐れで暗澹とした室内の空気をやすりで磨くように、刺々しく尖らせていた。


 中には、そんな母親に同情する者もあるようだった。泣き続ける母親に寄り添って慰め励ます、『心優しい』方々もいるようだった。


 ――クソ喰らえだと思った。


(あんたの子供なんか知らないわよ……!)


 あるいは、サティアの中にも同性として、同じ女であるが故のかすかな同情くらいはあったかもしれないが。

 けれど、そんなものを遥かに上回って苛烈に燃える焦燥と不安が、彼女を激しく苛立たせていた。



(家族が心配なのが――家族を失うのが恐ろしいのが。……!?)



 ――結果から言えば、女は泣き止んだ。


 護衛だとかいう何某――これも女だった――が、乗客の中で一人だけはぐれていた九歳の子供――こっちも女だった――を見つけて、ご親切にわざわざ大部屋まで連れて来たからだ。

 母親は無事手元に戻った娘を抱きしめてわっと大泣きすると、それきり飴を貰った餓鬼ガキみたいにぴたりと泣くのを止めて、まるで自分達全員が無事に助かったみたいな呑気顔で「よかったね」「よかったね」と繰り返していた。阿呆か。


 夜明けの曙光を迎えつつあった大部屋の中は、子供の無事に安堵する善良な人々と、ようやく煩い女が泣き止んでくれたことに辟易混じりの安堵を広げるいくぶん善良さを欠いた人々がいて、サティアは後者のような人間が自分以外にもいたことに、内心気持ちが軽くなるのを感じていた。


 匪賊の撃退と、安全宣言が出されたのは、その少し後のことだった。


 船員の口から安全を告げられると、乗客たちの間でようやっと一様に安堵が広がった。その後は自分の部屋へ寝に戻る者、船員を相手に喜びを炸裂させる者、知り合いやたまたま周りにいた乗客と恐ろしい夜の記憶を語り合う者――と、様々だった。


「あのう」


「はい?」


 サティアも腰を上げて、部屋へ戻る前に――ひとつ、これだけは確かめておかねばならないことを、船員に訊ねた。


「荷物……船倉の馬車は無事でしょうか。あたし、交易商人で」


 船員は、「ああ」と得心いった風で唸った。

 おそらく船員へ駆け寄った乗客の中に、似たような質問を寄越した商人が既にいたのだろう。


「匪賊どもは船倉に到達するより前に、すべて撃退しました。今、念のために人をやって状況を確認していますが――まず問題はないでしょう」


「あとで、自分で確認させてもらうことってできます?」


「できるとしても、こちらの確認が終わった後になると思いますが……ご希望は承りました。船長に確認してみます」


「お願いします。――ありがとう」


 お人よしそうな若い船員に頭を下げ、サティアは話題を変えた。


「ところで……襲ってきたのって、どういう連中だったんです? 今時、匪賊だなんて」


「我々も、まだよくは……ただ、どうも竜人ドラゴニュートの類だったらしくて」


竜人ドラゴニュート――」


 不意に。サティアの脳裏でぴんと繋がるものがあった。


 ――、あった。


「《月夜の森》のあぶれ者かもしれませんね。ただ、実際のところは今後の調査待ちになるかと……」


 若い船員の言葉を、サティアは既に半分以上聞いて流していた。



 ――獣人達の王国たる《月夜の森》の中には、竜人種の部族が形成する里が複数、点在しているという。

 サティアが乗船した港は、ラーセリー。《月夜の森》に最も近い河川港だ。


 交易商人であるサティアは、一昨日までラーセリーで商売をしていた。オルランドから持ち出した品を売り切り、代わりにラーセリーでの仕入れも終えて、帰路の船となる《ウォーターフォウル》号の到着を翌日に控えてのんびりと時間をつぶしていたあの日――サティアはふたつ、『アルバイト』を頼まれた。


 それらはオルランドへの荷物の配達――つまるところ、『運び屋』の仕事だ。

 各地を巡回する交易商人がその手の仕事を兼業するのはさして珍しいことではないし、サティアもその例に漏れない。


 客の金払いもよく、さほどの手間もかからない――割のいい仕事だと見切って、二つ返事で引き受けてしまったが。


「……………………」


「あのう。どうかされましたか?」


「いえ、べつに……ただ、あたしニミエール川を行き来してる商人なんで。こういうことがあると、これから怖いなって」


「船舶組合にも今回の件は報告を入れます。すぐに対応されますよ」


 「だから、どうぞご安心ください」と、責任感たっぷりに請け負う若い船員へ礼を言ってから。

 サティアは大部屋を出て、部屋へと向かいながら――これからの事に頭を巡らせ始めた。


(……偶然、かもしれない。ただの偶然で、あたしが無暗に不安になってるだけかも)


 そうであれば、何の問題もない。サティアの気にしすぎに過ぎないなら、それが一番いい。

 ――だが、このタイミングでの符号は、一体どういうことだろう。


「……………………」


 夜半に叩き起こされて濁った頭を振り、思考を巡らせる。

 たまたまの偶然なら別にいい。だが、もし――そうでなかったとしたら。

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