三章 はじめての遺跡都市・はじめての遺跡探索・はじめての大迷宮(※最大・最難・前人未踏)

35.到着! 《遺跡都市》オルランド――と、喜んでばかりもいられないのが人生というものでありまして


 《大陸》の南方。穏やかな《地中海イナーシー》をぐるりと囲む沿海地方。

 沿海州の東端、トラキア州。中央山脈の麓に近しいその地には、はるかなるいにしえの時代から、ひとつの大いなる塔が天高くそびえている。


 雲を、或いは蒼穹を貫き、彼方まで伸びる灰色の塔――名を《箱舟アーク》とされるその塔は、かつて絢爛なる魔法文明を誇りし《真人》達が、この世界へ残したとされる遺物――即ち、《迷宮》のひとつである。


 今より五百年の昔。

 《地中海イナーシー》沿海に住まう人類と妖精種は、かの《箱舟》より怒涛の如く溢れ出た数多の魔獣、魔物どもの蹂躙によって、滅びの淵に立たされていた。

 恵み深き地中海イナーシー沿海は魔物どもの狩場と呼ぶべき地獄と化し、数多の町と森が焼け、国が滅びた。

 その、絶望の只中にあって――ひとりの不屈なる戦士が立ち上がった。

 彼は一振りの剣を手に人々の先駆けとなり、地を埋め尽くす魔物どもを前にか弱き民草を護るべく、無謀ともいえる戦いに挑んでいった。


 男の名は、オルランド。


 男は強く、それ以上に雄々しく、勇敢な戦士であった。

 かの勇士が高らかに掲げる反攻の旗の下、沿海地方に住まうすべての人々が――妖精達が、そして獣人達が。故郷と家族、仲間を護らんと次々に立ち上がった。

 数多の戦士が、のみならず戦士ならざる人々が心を奮わせ、手に手を取って力を合わせた。

 やがて、十年の長い戦いを経て。彼らの力は波濤はとうの如き数多の魔物どもを、少しずつ少しずつ――その根源たる塔の麓へと追い返していった。


 そして、最後の決戦の時――

 オルランドの旗の下へ集った大いなるひとつの軍勢は、《箱舟》の膝元たる荒野の大地にあふれたすべての魔物を掃討し、逃げ去った魔物のことごとくを塔の中へと押し戻したという。


 しかし、その勝利は同時に、大いなる犠牲によって果たされたものでもあった。


 数多の人々。数多の妖精。数多の獣人――

 そして、常にその先頭にあって誰より雄々しく戦い続けた戦士オルランドもまた、《真人》がこの世に残した恐るべき幻想獣キュマイラの猛威を打ち払ったその代償として、遂にその命を落とした。


 偉大なる戦士は死の瞬間まで一度として大地にたおれ伏すことなく、最後は十年の戦いの中で常にその手にあった一振りの剣を地へと突き立てた。そして、魔物どもが逃げ去ったいにしえの《塔》を見据えるよう壮絶に立ちはだかりながら、しかし静かにその大いなる人生を終えたと伝えられている。


 その、大いなる事績を讃え――また、二度と恐るべき魔物どもが、《塔》より豊かなる大地へ溢れることなどなきように。

 最後の決戦を越えて生き残った人々は、かの地に一つの街を作り上げた。


 偉大なる英雄の名を冠した、その都市の名はオルランド。


 後に、その象徴たる《箱舟アーク》に由来して『遺跡都市オルランド』の名を冠することとなる――そこは、数多の戦士と守護者たち、そして冒険者と探求者達の都市であった。



 オルランドの《英雄広場》は、かつてオルランドの――《遺跡都市》の異名を以て大陸の冒険者すべてに広く知られるこの都市の、あらゆる意味での中心であった。

 そこは、英雄オルランドがその最期を迎えた地であるとされ、今はその偉業を讃える青銅ブロンズの像がその名残をとどめている。


 英雄オルランドの像は、高くそびえる台座に突き立てた剣の柄頭に両手を置いて雄々しく立ち、はるか蒼穹へ聳える《箱舟アーク》の塔を見つめている。それは、かの英雄がその最期の時まで地に斃れることなく剣を支えに立ち、おそるべき魔獣どもが逃げ去る塔を命尽きる瞬間まで見据え続けたという、故事に由来するものだ。


 長い時を経て都市は広がり、都市の地理的な意味での中心、商業的な意味での中心は、《英雄広場》から離れて久しい。

 しかし、《英雄広場》は今なおオルランドの象徴たるであり、オルランドを訪う旅人は必ず一度はこの像の前に立ち、その威容を見上げて彼の偉大なる戦いの人生へと思いを馳せるのだ。



「ふへぇー……」



 それは、遠くクロンツァルトの地からオルランドを訪った三十七歳のおっさん冒険者、シド・バレンスにとっても変わるところではなかった。


 剣を手に――レプリカだ、という話もあるが、青銅製の本体と異なり本物の剣だ――塔を見据えて立つ英雄の像を見上げて、シドは感嘆の息をついていた。


 完全に『おのぼり』な中年男の様子に、広場を行き交う地元の若い男女――オルランド生まれオルランド育ち、彼ら彼女らが言うところの『オルっ子』達からは、微笑ましさゆえとも軽侮からともつかない笑いが上がっていたようだったが、それらにまったく気づく様子もなく。

 シドは逞しく若々しい――齢三十を迎えることなくこの地で息絶えたとされる英雄の像を見上げながら、年頃の割にほっそりと痩せた顎を撫でていた。


「……本当に、本物の剣なんだな……よく錆びないもんだなぁ、あれで」


 それとも、定期的に手入れしたり、交換したりしているんだろうか。

 ゆうに四メートルはある台座の上とあっては、そうした整備も一苦労であろうが。


「ヒィーッヒッヒッヒ! アナタ、オルランドは初めての方ですね?」


「えっ。誰ですか!?」


 突然声をかけてきたのは、丸眼鏡に出っ歯の小男だった。

 上着ジャケットの内側にベストを着込み、ネクタイを締めたスリーピース・スーツのいでたちはパリッとしていて実に身なりがよかったが。その身なりの良さをもってしても隠し切れない胡散臭さが、低い位置から見上げるぎょろりとした目の、小鬼ゴブリンのそれを思わせる眼光からにじみ出ていた。


「ヒィーッヒッヒッヒ。かの英雄オルランドが手にした剣は、大いなる神々の一柱ひとはしらより授けられた《不毀ふきの剣》であったと伝えられております。

 かの剣は決して折れることなく、欠けることなく、また錆びることも朽ちることもなく、常に油が滴るが如き輝きを放って英雄の手にあり続けたと伝えられているのです」


「はぁ、そうなんですか……すみません。お察しのとおり、なにぶんオルランドは初めてでして」


「ヒィーッヒッヒッヒ。無知を恥じることはありませんよ、おのぼりの方。ワタシがアナタの故郷を知らぬように、アナタがワタシの故郷、偉大なるオルランドを知らぬのは当然のこと。だからこそワタシのような者が、アナタのような方へこうしてお節介にも親切を施すのです。わかりますね?」


「はあ、ええと、はい……?」


「ヒィーッヒッヒッヒ。たとえばあのオルランド像。裸ですね。その手に在る剣以外は一糸まとわぬ素裸すはだかで、往時の逞しき肉体を現代にまで誇示しております」


「はあ、そうですね。裸ですね」


 オルランドの青銅像は、小男が言う通りの全裸である。

 とはいえ、いにしえの英雄をモチーフとした像の中にはこうした一糸まとわぬものも数多くあり、だからどうだというほど珍しいものではないのだが。


「ヒィーッヒッヒッヒ。かの英雄の像は不毀の英雄オルランドを讃えるべく建立されたときより常に全裸であり、下らぬ宗教的教条主義者どもの弾圧によって『英雄の像に服を着せよ! 淫猥なる全裸の不埒を衆目に晒してはならぬ!』などと愚昧にして蒙昧なる弾劾を受けたときでさえ、その美を覆うつまらぬ服などまとうことなく雄々しき素裸すはだかであり続けました。実に素晴らしいこととは思いませんか、アナタ」


「はあ、よくわかりません。素晴らしいんでしょうか」


「ヒィーッヒッヒッヒ。そうですとも。素晴らしいのですよ、アナタ。たとえばあの胸筋が描き出す艶めかしくも力強き曲線、段々に波打つ腹筋が描く稜線、硬く男らしく引き締まった尻のくぼみ。筋肉によって引き絞られたる硬い太もも! どこを切り取ってもたまらぬものとは思いませんか。同じ男として憧憬に胸を焦がし、劣情をそそるものを覚えずにいられないのではありませんか。アナタ」


「心底、どうとも言い難いのですが……その、こう、どうでしょうね」


 ――逃げたい。

 苦しげに呻きながら――この頃にはもう、それが偽らざるシドの本心となりつつあった。


「ヒィーッヒッヒッヒ。構いませんともアナタ。今は分からずとも、いずれ分かるようになります。そう、つまりはそうしたことなのです、このオルランド像。この高くそびえる台座によって高々と掲げられたる、その理由が分かりますかアナタ」


「はあ。ええと、オルランドが《箱舟アーク》の塔を見やすいように、でしょうか。それとも、誰かに剣が盗まれたりしないように、とか?」


「ヒィーッヒッヒッヒ。惜しい! 実は、かつてはあの像もこの台座の頂ではなく、我らと同じ大地に立つ時代があったのです! 我々はあの逞しき肉体をより近くで、つぶさに見つめることができた! その股間に雄々しくそびえる【不毀の剣】も!」


「はあ、そうですか、はい。……え?」


「ヒィーッヒッヒッヒ! この像にはかつてひとつの言い伝えがありました。偉大なるオルランドの像、その青銅の身体が備えたる【不毀の剣】に祈りを捧げれば、オルランドの如き強い子を産むこと叶うという言い伝えです!

 そのため街では夜ごと我が子を求める若妻達がひっそりと像を訪い、その身体でもって偉大なるオルランドへとなまめかしく媚び、やがて雄々しくそそりたつ【不毀の剣】をその熱くぬらついた股ぐらへと」


「すみません、いろいろありがとうございました! 俺この後も用事があるので、この辺で失礼を!」


「ヒッ!? お待ちなさい、おのぼりの方! ヒィーッヒッヒッヒ、ワタシの話はまだ途中なのですよォ!! オルランドの【不毀の剣】にまつわる伝説とは」


「あーっと、いえその、ほんと、十分教えていただきましたんで! すみませーん!!」


 ――見知らぬ誰かさんの猥談にまでは、さすがにつきあいきれません。


 まして、人目も多い真っ昼間とあっては。いくら中年のおっさんでも、躊躇いと羞恥心の方が先に立ちます。


 シドはほうほうの体で、オルランド像の前から逃げ出した。

 そして、本来の目的地たる《諸王立冒険者連盟機構》の支部、その建屋へと駆け込んだのだった。

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