28.おひとよしのおっさん冒険者だって、我慢がならない、本気で怒らずにいられないことがあるんです


「調子に乗るな、人間サル風情が!!」


 ラズカイエンが激発した。

 もはやその怒りを隠そうともせず――黒鱗の竜人は憎悪に煮えたぎった双眸で、噛み殺さんばかりにシドを睨みつけている。


「オレ達戦士には、てめぇら人間サルどもに殺された八人の復讐を果たす資格がある――貴様らをこの場でぶち殺し、力ずくで《鍵》を奪い返す資格がだ!

 そのオレ達がこうしてをしてやってるのは何故だと思う? 貴様ら人間サルどもに対する慈悲、それだけの理由にすぎんのだ。まだ、それが分からねえか!?」


「――?」


 その、一言で。

 シドの目が、不意にすぅっと細まった。


「……慈悲か。力ずくの奪還に失敗して、しっぽを巻いて逃げ帰り――然る後にあらためて提示した交渉の席が、あなたのいう『慈悲』なのか? 『人間サル風情』の辞書では、ついぞ見たことのない定義だけれど」


「口の利き方に気をつけろと、そう言ったつもりだがな」


「ラズカイエン、もうよせ」


「……どうも、昨日いたはずの顔ぶれが見えないけれど。きみ達は彼らがやられて、自分たちの手勢に余裕がなくなってしまったから……それで仕方なく、本当に仕方なく、今回の件を穏便におさめようと考えはじめたんじゃないのかい?」


人間サル。忠告してやる。取引を続けたいなら今すぐその口を閉じろ」


「ラズカイエン」


 イクスリュードが掣肘を重ねる。

 押し殺したその声は、しかし明確な苛立ちが滲み始めていた。しかし、自分の憤怒に捕らわれている黒鱗の竜人は、イクスリュードから漏れ出すそれに気づかない。

 ひっそりと息をつき、長躯の竜人はシドを見た。


「どうにも、貴殿は我々に手厳しいな――船上では行きがかり上相対したとはいえ、我々は貴殿に仇をなした覚えはないのだが。

 もしやいずこかで、我々の同胞が恨みを買ってしまってでもいただろうか」


 それはおそらく、長躯の竜人にとって何の気もない――ただただ、確認のためだけの問いかけだったのだろう。

 そして、故にこその。失望の気配にも似た細い溜息と共に、シドは零した。


「……昨日のあなた方の襲撃で、若い船員が一人死んだ」


「それは、もしや貴殿の友人か?」


「いいや、きちんと話したのは昨日がはじめてだ。同じ船で、顔だけは見かけていたけれど……話をして、ちゃんと『その人』だと分かったのは、その時が初めてだった」


 ――だが。

 だとしても。


「これが、あなた方の里を襲ったという何某であったなら。もしそうであったなら、俺があなた達に何を言うべき筋もなかったかもしれない。けれど、死んだのは――きっと、そんなものとは何の関係もなかったはずの、ただあの船で巻き込まれただけの普通の青年だ」


 突然の襲撃の只中で。

 おそらくは、自分だって恐ろしくてならなかっただろうに。


「真面目な……普通の、青年だったはずだ。彼は、


 それでも懸命に船員としての使命を果たし、どこかへはぐれてしまった子供を探しに行って――その果てに、竜人達の手にかかって命を落とした、勇敢な船員。


「あなた方は――いや、そちらの彼は、八人が死んだと言ったな。そして自分達には、その復讐を果たす権利があるのだと。

 もし、昨日の襲撃がその『復讐』なのだとしたら――無辜の同胞を殺された『人間』は、その復讐を果たす資格があるということにはならないか?」


「それは――」


「ハッ! ハハッ、ハァ――――ッハハハハハハハハッ!!」


 困惑混じりに反駁するイクスリュードの隣で。

 ラズカイエンが大笑した。とんでもない冗談を聞いた、とでもいうように。腹を抱えて笑いまくった。


「――身の程を弁えろ、人間サルが! オレ達は貴様らの卑劣で八人の尊い戦士を失い、昨日の戦いでさらに二人を失った! 誇り高き戦士達の命だ!」


「………………」


「それを……何様のつもりだ!? 貴様らちっぽけな人間サル風情の命など、その十倍積み上げてもなお釣り合わんわ! 百――いいや、千倍! 千倍の死体を積んでから出直してこい、物の価値も知らん莫迦バカ者が!!」


「……では、交渉は決裂だ」


 シドはもう一度、深くため息をついた。


「あなた方に《箱》とやらは渡さない。どうかこのまま、大人しく帰ってほしい」


 一瞬、水を打ったような沈黙が広がった。

 だが、その沈黙は長いものではなかった。

 憎悪をたぎらせて、黒鱗の竜人が吼える。


「――ぶち殺す!!!!」


「いい加減にしろ、ラズカイエン!!」


 ――そして。


 これまで一貫して穏やかな語りに努めていたイクスリュードが、とうとう怒りを爆発させた。

 他ならぬ自分たちの仲間――傍らに立つ、ラズカイエンに向けて、だ。


 さしもの竜人も、親友の激発には動揺を露わにした。


「い……イクスリュード、お前。何を」


「先に帰っていろ、ラズカイエン。どうやら貴様がいては、まとまる話もまとまらんらしい」


「ま、待てイクス! オレは、部族の戦士として」


「私はと言ったぞラズカイエン。聞こえなかったか」


 狼狽しきった巨躯の竜人を、イクスリュードは忌々しく睨み上げる。


「貴様の耳は飾りか。それとも、戦士長の命令が聞けんというか。理解できんというなら分かりやすく言いなおしてやる。貴様はもう帰れ、


 あまりにも痛烈な、拒絶に。

 巨躯の竜人は衝撃を受けたように立ち尽くし、きつく拳を固めた腕を戦慄かせた。


「イクス……イクスリュード、お前、オレに……親友に、向かって……!」


「……きみが親友だというなら、これ以上私の邪魔をしないでくれ。先に帰れ。そして少し頭を冷やせ、ラズカイエン」

 

「……………………!」


 落雷を受けたように、黒鱗の竜人は立ち尽くした。

 総身を震わせて。何かを言葉にしようと、口を開閉させ――やがて、そのすべてを諦めたように、がっくりと肩を落とした。

 その場に背を向け、森の奥へと戻っていく竜人。薄紅色の鱗をした女竜人がとっさにその背を追いかけたが、イクスリュードが「やめろ」と彼女を止めた。


「追うな、プレシオーリア。きみの気持ちは察するが、今のあいつにはこれくらいがいい薬だ」


「でも。イクスリュード」


 反駁しかけた彼女は――おそらく、一連の状況を振り返って、返す言葉がなかったのだろう。

 悄然と項垂れ――渋々といった様子ながら――戦士長たるイクスリュードの言葉に従った。


「失礼。みっともないところをお見せしてしまったようだ――非礼のあとで図々しい申し出とは百も承知だが、あらためて話を続けさせてほしい」


 イクスリュードは、激発させた感情の一切を拭い去った紳士的な所作でもって、あらためてシドと向かい合った。


「貴殿は、金銭による《箱》の引き渡しはまかりならないと仰った。ならば、そのうえでお尋ねしたい。

 貴殿が我々に提示しうる『妥協点』、その奈辺は――いかなるところにあるものか」

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