27.どんな時でも、誰が相手でも、冷静な話し合いはたいせつたいせつ


「……昨日、船を襲った竜人だな」


「相違ない。話が早くて助かる」


 男の声で応じたのは、三人の真ん中に立つ、長躯の竜人だった。

 青ざめた鱗。後頭部から尾までを飾る背鰭せびれ。両前腕の甲のひれ――昨晩は魔力のブレードをまとっていたそこに今は魔力の気配はなく、普通の鰭であるようだったが。

 竜らしく口吻の長い顔つきはすっきりと精悍に整い、背鰭の立派さと併せて、男の血筋――あるいは育ちの良さを感じさせた。


 陽の明るさの下で外観の特徴をつぶさに見て、シドは彼らが何者であるかを理解した。


「ワーハイドラか……」


「言葉をさしはさむようだが、我々はその呼び方をあまり好まない。叶うならば、水竜人ハイドラフォークと呼んでもらいたいところだ」


「そちらの意向は承知した。それで、その水竜人ハイドラフォークがわざわざ俺達を追ってきた理由は何か?」


 言い直すシドの物言いに、竜人は意表を突かれたように目をしばたたかせ、それから表情を緩めたようだった。


「我々の目的は、里の神殿より奪われた秘宝の奪還にある。そして我々は、里より奪われた秘宝が、その馬車の中にあることを既に突き止めている」


 男は手にしていた羅針儀の針を、シドたちにも見えるように傾けてみせた。

 本来であれば北の方角を指す針は、真っすぐにサティアの馬車を指し示している。


「貴殿の力、のみならずその礼節に敬意を表し、私もまた礼節を以て応じよう。

 私は《月夜の森》の水竜人ハイドラフォーク――《翡翠の鱗》の部族において戦士長の座を預る、戦士イクスリュードだ」


「おい!」


 昂然と名乗る男――イクスリュードに、巨躯の竜人がかみついた。黒々とした鱗で総身を覆った彼は、昨日の『手甲つき』だ。

 だが、声を上げる巨躯の竜人には一瞥すらくれず、イクスリュードと名乗った竜人は続ける。


「彼らは皆、私と部族を同じくする戦士だ。戦士ラズカイエン、戦士プレシオーリア、戦士ヤズレン、戦士パトロキオス、戦士リティアーダ」


 ――成程。

 誰が誰かまでは判然としないが、それが彼ら――あるいは、彼女ら――ひとりひとりの名前であるということだ。


「ニミエール川の匪賊じゃなかったんだな」


「匪賊にその咎を着せるべく、襲撃の体を装ったのは事実だ。

 しかし、我々の目的は金銭に非ず。里より奪われた秘宝の奪還にこそある――その達成のため、私は貴公らとの間に交渉の場を設けたいと願うものだ」


「交渉?」


「そうだ」


 応じるイクスリュード。

 シドは御者席のサティアを伺うが、彼女は真っ青になって震えるばかりだった。


「サティア、どうする?」


「うえぇ!?」


 シドに呼びかけられたサティアは、その場で飛び上がりかけた。


「ちょ――おじさん! 何であたしに訊くの!!」


「どうやら彼らの目的は、きみの馬車の中にあるものらしい。渡してしまっていいものかい?」


「よくは……そんなの、よくないけど……! ちっともよくなんかないけど……!」


「だよね。わかった」


 狼狽するサティアへ微笑んでから。シドはあらためて、竜人達と向かい合った。


「――と、いうのがこちらの意向だ。あなた達の側にも事情はあるんだろうが、『はい、そうですか』と渡してしまう訳にいかないのは理解してほしい」


「てめえ……」


 火を噴きそうな唸りを上げたのは、黒鱗の巨躯だった。昨日の強敵、その一人――おそらくだが、ラズカイエンというのはこいつのことだろう。


「イクス。やはり人間サルども相手に交渉なんてよ、生っちょろい真似してやる必要はねえぜ。オレ達六人総がかりなら殺して奪える。前と後ろから挟み撃ちだ」


「やめろ、ラズカイエン。昨夜の敗北を経た今になってまで、どうしてそんな薄甘い確信を抱いていられる」


 イクスリュードは厳しく撥ねつけた。視線はシドに向けたまま、唸るラズカイエンの方は見もしなかった。


「……そもそも、あなた達の言う《秘宝》とは何だ?」


 内心、何となしに危ういものを感じながら、シドは問い返す。


「あなたの里から奪われたというそれが、どうしてこちらの馬車の中にあると確信することができる。その方位磁針コンパスがあるから、ということでいいのか?」


「端的に言えばそういうことだ。この呪具には、部族の秘宝を――門外不出として、はるかいにしえより部族の神殿で護られてきた《鍵》、それを収めた《箱》を指し示す、特別な魔術が付与されている」


「《鍵》――鍵と言ったが、それは一体、何の《鍵》なんだ?」


「それは我々も知らないことだ。ただ、《翡翠の鱗》ははるかいにしえの時代にその守護を命ぜられた部族だ。それは我らが《月夜の森》へ渡るよりさらに古くから――かの森へ移り住みし後は、その深奥にある水源に神殿を建て、そこで《鍵》をおさめた《箱》を護り続けてきた」


 イクスリュードは言う。


「秘宝は《箱》に納められ、対となる鍵なくしてこれを開くことはできない。我々は《箱》とその中に封ぜられたる秘宝――即ち《鍵》を奪還し、これを再び神殿へと納める。秘宝の守護を定められし、部族の戦士としての使命だ」


「……八人だ」


 唐突に。

 唸るように言ったのは、ラズカイエンだった。

 今にも溢れ出さんばかりの憎悪で、男の声はふつふつと煮えたぎっていた。


「その日、《箱》を守護していた戦士八人が、てめえら人間サルに殺された……人間サルの雑魚助どもがやること、戦士の風上にもおけねえ卑劣なやり口で、誇り高い戦士達を殺しやがったに決まってる」


「ラズカイエン」


 再び。イクスリュードがラズカイエンを掣肘する。

 シドはかろうじて押し黙るラズカイエンを一瞥し、あらためてイクスリュードを見遣った。


「口を挟む形で申し訳ないが、俺達はあなた方の森における一件には一切の関与をしていない。こちらの彼女は一連の事情を知らされないまま、ただ件の《箱》の運搬を引き受けただけの無関係の人間だろう」


「そ、そう! そうだよ! あたし、お金もらって荷物運んできただけだし!!」


 喚くように訴えるサティアを、イクスリュードは一瞥した。

 ひっそりと息をつき、あらためて続ける。


「……無論、我々とてただで《箱》を返せなどとは言わない。この期に及んで、そこまで図々しい申し出をするつもりはない」


 イクスリュードは、ラズカイエンと反対側に立つもう一人――薄紅色の鱗と、線の細い体つきをしたその竜人は、女性なのではないかと思った――を見た。

 その竜人は、それまで両手で持っていた箱のふたを開き、中をシドたちに見せた。


 ――宝石だった。

 箱いっぱいの宝石が、陽光を受けてまばゆい光を返していた。

 御者席のサティアがごくりと生唾を飲み込む。


「娘、お前は金を貰って運び屋をしていると言ったな? 我々は人間の金銭を持たないが、さりとて人間の街と交易が絶無という訳ではない――お前が受け取ったという額、我々はその倍に相当する宝石を渡そう」


 いくぶんか、子供をなだめる大人を思わせる口ぶりで。イクスリュードはサティアへ言う。

 優しいということもできたし、軽んじているということもできる。そうした類の、『大人』の猫撫で声だった。


「それを以て、《箱》を買い取らせてもらいたい。この条件ではどうか?」


「……それは」


「あまり、よろしくはないな」


 逡巡するサティアに代わって――

 シドが応じた。きつく、唇を歪めながら。

 イクスリュードは眉間にしわを寄せたようだった。


「何故だ? 我々は補償をすると言っているつもりだ。そちらの娘が受け取った額、それ以上の対価を以てだ。このうえ何が不足だと?」


「今回だけの事なら、それでいいかもしれない。けれど、より多くの対価を受け取ったからと言って、唯々諾々とものを引き渡してしまったら――それはこれから先の彼女の、『』に関わってしまう問題だ」

 

「信用……」


「そう。信用だ。与えられた仕事を正しくこなし、それに見合った正しい対価を受け取る。商取引というのはそのための契約で、それは両者の互恵関係で成立している」


 それは、いつぞやにドルセンが言っていたことだ。

 信用を積み重ね、護り続ける。これのみをもって、それらは成立する。


「他の誰かからより多くの報酬が提示されたからと、この契約を反故にしてしまえば――それは互恵関係の破壊だ。たとえそれが心ならずの結果であったとしても、彼女の信用は失墜し、これから先の仕事を失うことにもなる」


 シドは言う。静かに。


「あなた達とて、そうだろう。《箱》を護るという『約束』を裏切った。何者かの襲撃によって、心ならずも

 その結果が今であるということとを思えば――その重さは、理解できるはずだ」

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