21.襲撃といえば夜に来るのが、現実でも物語でも定型のパターンですよね


 ニミエールの河岸。

 月の光も届かぬ、森が作る影のうち


 白々と月明かりを反射する水面を滑る一隻の船を、そこから見つめるいくつもの目があった。


「――あの船で間違いないか?」


「ああ。《箱》の反応はあの船からだ。間違いねえ」


 そう応じる声の主――その手には、羅針儀を思わせる道具がある。

 ――附術工芸品アーティファクトだ。蛍火のようにほのかに光るその針は、ニミエール川を進む船の方向を真っ直ぐに指し示していた。


 折り重なる梢が作る影の中には、そうして言葉を交わす二人以外を含め、十名ほどの人影があった。


 ――。そう呼ぶべきであろう。


 高々と掲げる鎌首と長い尾。ほっそりと伸びる口吻。鱗に覆われた身体。たてがみを思わせて首筋や背中を飾る、魚のようなひれ――それらを備えたうえで、それでも木立に身を隠した影は、二本の脚で立つ『人』のそれらしい輪郭を描いている。


「明日には南オルランドの河川港へ入っちまう。やるなら今夜しかねえぞ」


「………………」


「仕掛けましょう、イクスリュード!」


 一人の影が気勢を上げる。

 その声に、人影の間から次々と同意する声が上がる。


「そうです。ラズカイエンやセルディードの言う通り――この闇夜の中ならば、匪賊の襲撃に偽装するも容易い!」


「相手は夜目も効かぬ人間サルども。いざとなれば船ごと始末も造作ない!」


「やりましょう、戦士長!」


「戦士長!!」


 苦渋を露わに。最も大きく雄々しい背鰭せびれを備えた一人――『戦士長』と呼ばれた男が唸った。


「……そう、だな」


 鎌首を――を思わせるその首を、ニミエールの水面へと向けて。

 男は夜の川面を行く船を、その視線の先に捉える。



 どうしてか。唐突に目が冴えた。

 おそらくほんの一瞬前までは、間違いなく眠っていたはずだ。


 シドはベッドに仰向けとなったまま、黒一色に染まった天井を見ていた。

 瞼を開けても閉じてもさして変わらぬ視界はさながら夢の続きのよう。しかし窓から細く差し込むほのかな月明かりが、かろうじてこれが現実であることを明らかにしていた。


 ――外輪船 《ウォーターフォウル》号の二等船室。ひとつの部屋に二段ないし三段の寝台を詰め込んだ三等船室や、広い部屋でめいめい雑魚寝する大部屋と異なり、狭くはあれど立派な個室である。

 若い頃は徹夜の一晩や二晩くらいなら、持ち前の体力でどうにかなっていたのだが。ここ何年かは歳を取るにつれ、夜はしっかり寝ないと翌日――どころか、下手をすればその先まで、大きく響くようになっていた。

 なので、シドは懐具合に余裕のある時は、なるべくしっかり寝られる環境を確保するように努めていた。代金はそのぶん高くつくが、そこはもう必要経費と割り切るほかない。


「……………………」


 ――ともあれ、そうした意味において、二等船室のこの部屋は十分な環境だった。

 少なくともナーザニスで乗船してから今まで、今夜のような形で眠りを打ち破られたことはなかった。

 体を起こし、履き古した頑丈なブーツを履く。鎖帷子チェインメイルを身に着けるかを僅かに迷い、時間を惜しんで剣を背負うだけに留めた。

 その時――


 かーん、かーん、かーん、かーん、かーん――!


「敵襲! 敵襲――――――――っ!!」


「――我ながら、こういう勘だけはいいんだからなぁ! まったくもう!」


 危急を告げる鐘が鳴らす音。切羽詰まった船員の警告。

 シドは船室を飛び出した。



 ありがたいことに、廊下は壁掛けのランタンに魔術の灯火が夜通し灯っており、走るのに支障ない程度には明るい。

 シドが飛び出した時点で、既に打ち鳴らされる鐘の音で起きた者が増えてきていたか、客室が並ぶ廊下は早くも空気がざわつき始めていた。


 その廊下を、障害となる人が増える前に走って駆け抜け、甲板へと向かう。


「わ!?」


「――っと!」


 角を曲がったところで、そちらから走ってきた二人組の船員と鉢合わせ、危うくぶつかりかけた。


「甲板は危険です! これから我々が避難誘導にあたりますので、乗客の皆さまはどうか落ち着いて」


「冒険者です! 事態が襲撃なら、力になれます!」


 とっさに叫び返すシドのいでたちを、最前にぶつかりかけた若い船員二人は、面食らったように上から下まで見渡していたが。

 しかしすぐに我へと返り、厳しい面持ちで首を縦に振った。


「助勢に感謝します。御武運を!」


「ありがとう。乗客はお任せします!」


 船員と別れ、甲板へ向かう。道は数日の旅程で完全に把握していた。


 ――真面目そうな、気持ちのいい青年達だ。

 もとより襲撃と分かった時点で船員側の助勢に入るつもりではあったが、その意気込みはいや増した。


 デッキに出ると、前方の甲板から剣戟と怒号が響いていた。

 甲板へと駆け込んだ時、そこは既に戦場だった。


 剣や斧、杖を手にして果敢に立ちはだかる船員たちと相対しているのは、上背においてはるかに彼らを上回る巨躯の人影だった。

 乏しい灯火に浮かび上がるその姿は、『二足歩行の竜』というべきものである。


竜人種ドラゴニュート――!)


 古くは亜人種族――当世では半人種ないし獣人種として分類される種のひとつ。

 文字通り、人型の竜。鋼のように堅牢な鱗と屈強な肉体を併せ持ち、『最強の獣人種』『生まれながらの戦士』とまでうたわれる存在だ。


 船員たちは圧倒的に不利だった。

 そこかしこで圧され、負傷している者、倒れ伏した者の姿もあった。


 竜の鱗は鉄よりも硬く、その爪は鋼をも切り裂く刃であるという。そして、人型の竜と呼ぶべき竜人種の肉体もまた、竜のそれに準ずる。

 即ち――船員たちが懸命に振るう武器は竜人の鱗を傷つけることさえままならず、逆に竜人の振るう爪は、船員たちの身体を紙のように引き裂いてしまうのだ。


「きえええええ――――――――っ!!」


 甲板の戦闘に目を奪われていたシドへ、竜人の一人が側面から躍りかかる。

 短剣ダガーのように伸びた鋭い爪を振り下ろすその間合いの内側へ飛び込み、シドは逆に竜人の顎を柄頭で打ち上げた。


 背中に負った長大な両手剣ツヴァイハンダーを抜剣する、その一挙動で与えた不意打ちの一撃に、竜人は「かはっ」と苦悶の呼気を吐いてのけぞる。

 剣を抜き放つと同時にリカッソを握り、腰だめに構えて両手でもう一撃。剣の柄頭を、人と近しい骨格を持つがゆえに比較的脆い腹部へと叩きこむ。


 痛みにあえいで涎を零し、前のめりになった竜人。その後背へ回り込むと、シドは力の限り、その背中を蹴り飛ばした。


「うごっ、うわっあああぁあぁぁぁ!?」


 悲鳴の尾を引いて、舷側からニミエールの川面へ落下する。

 派手に水飛沫の上がる音が、騒然たる甲板の怒号に僅かの間だけ混ざった。


「何だ、新手!?」


「この船の護衛か、小癪な!」


 仲間の悲鳴を聞き留めてか、甲板にいた竜人達のうち何人かがシドを見た。


「冒険者だ」


 無銘の両手剣ツヴァイハンダーを構え、シドは言う。


「命が惜しいなら、今すぐ帰れ――匪賊ひぞく相手に手加減してやるつもりはないが、逃げる背中を追うまではしない」

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