14.おっさんが悔恨に号泣する顔は、見ていてたいへんいたたまれないものだという話【後編】
「ドルセン……」
――男泣きだった。
若い冒険者達を怒鳴りつけ、サボる者は尻を蹴り飛ばして仕事に放り込む、鬼の連盟支部長が――肩を震わせ、男泣きに泣いていた。
「おめえはいいやつだよ。いいや、それだけじゃねえ、おめえはいい冒険者なんだろうさ――だがなシド、おめえの《
シドは何も言えなかった。
ドルセンは硬く握った手を震わせながら、その声を大きくする。
「分かるか、シド。俺達だけなんだ! 他の連中にとってのおめえは、ただの《
「分かるよ。でも……知ってくれてるひとはいるんだろ?」
「分かってねえんだよ、こんボケが! おめえが他所の連中に、《
てめえがどんだけいい冒険者だろうが、んなこた連中に分かるはずもねえ――そんな、てめえの半分もまともに働いてねえような他所のウスノロどもに、目の前でてめえを鼻で笑われっちまう悔しさがよ、分かるのか!? 分かるってえのかてめえに! こうなっちまったのは、俺のせいかもしれねえんだって……それが、てめえみてえなボンヤリした野郎によぉ、分かるってのか! この俺の、みじめさが!!」
「ど、ドルセン。ドルセン……!」
「おめえはこの町にいちゃいけねえ男だったんだ! もっと都会のよ、でけえ支部でよ! 真っ当に冒険者して、真っ当に日の当たる場所に行くべきだったんだ!!
てめえにはそれだけのことができた! できる男だったのによぉ、それを……!」
声を詰まらせ、唸るドルセン。
そんなドルセンを前に、シドは――途方に暮れかけていた。
どうしたらいいかわからなかった。
それ以上に、何より――シドは、いたたまれなかった。
たぶんこれは、慰めても宥めてもまったく意味がない。ごうごうと燃え上がってしまった感情の火に、かえって余計な油を注いでしまうだけだ。
「………………」
今更ジョッキの
やがて、そうしているうちに、号泣しつづけるだけの燃料も尽きたのだろう。
ドルセンは泣くのをやめ、うっそりと唸った。
「……おめえはクビだ、シド。これ以上、こんなちっぽけな町にいちゃいけねえ」
「うん」
「世のため人のため、大いに結構だ。おめえはいいやつさ。だが――それだけのために突っ走るのなら、もうやめろ。おめえは自分のための冒険をするんだ」
――自分のための、冒険。
自分のための、
「いいか、誰かのためにじゃねえぞ――他の連中の都合なんざ、うっちゃっちまえ。
おめえは、おめえのための、金と、名誉と、功績を重ねて……誰もが目を輝かせて見上げちまうような、ひとかどの冒険者になるんだ。おめえはそうなれるはずだった、そのはずだった男なんだ」
「……うん」
そのことばに頷くのは、さすがに衒いがあったが。
それでも頷く。自分のためではなく――
「もし誰かのためというなら――そうするのが、この俺のためなんだと思え。わかるか」
「うん……」
耳が痛い。
こうしてミッドレイへ帰ってくる前にしていた冒険も――バートラドやフローラ、それからアレンやミリーといった将来ある若者達と一緒に、フィオレの使命だった《ティル・ナ・ノーグの杖》の奪還に付き合ったのも。
ドルセンに言わせれば、きっと、『誰かのための冒険』になってしまうだろうから。
十分な報酬は受け取ったつもりだ。
けれど、シドやバートラド達が、《真銀の森》より盗まれた
それを不満に思ったことはなかった。後悔もない。
それに代わる十分な報酬は受け取ったつもりだったし、みんなとの冒険は楽しかった。なりゆきで始まって、やむなく解散してしまったパーティだったけれど、一緒にいた甲斐はあったと確かに思える。
だが、それではいけないのだと。
それだけでは、いけないのだと。
もしかしたら、シド自身が自分でも心のどこかで思っていたかもしれないそのことを、ドルセンは大喝と号泣を以て突きつけたのだ。
「すまない、ドルセン。おやっさん。俺はやっぱり分かってなかった――あんたに言われたこと、ちゃんと考えるよ。その、もっと、きちんとした形で……これからの冒険を、考える」
ドルセンは顔を上げなかった。
この昔気質の武骨な男は己を恥じているのだと、シドは察する。
だから、それ以上な何も言わない。「おう」と弱々しくかすれた声に応えることはせず――シドは自分のジョッキを手に取って、すっかり泡が消えてしまった
◆
突っ伏したまま、ドルセンはそのまま眠ってしまった。
散々に泣いたせいもあるだろうし、もともとが見た目に似合わず、酒に弱い男だというのもあっただろう。
ミレイナに借りた毛布をかけてやって、シドはやれやれと息をつく。
「おつかれさまでした、シドさん」
「ああ、ミレイナさん……」
仕込みを済ませたのか、厨房から出てきたミレイナに、シドはへにゃりと笑ってみせた。
「すみません、お騒がせして。それに何から何まで……いろいろ」
「いいえ」
ゆるゆるとかぶりを振って。その一言で穏やかにすべてを宥め、ミレイナは微笑んだ。
「でも……本当に。これからどうなさるおつもりなんですか? シドさんは」
「そうですねぇ……」
若干途方に暮れた心地で、二階まで吹き抜けになった酒場の天井を仰いでしまう。
――正義の冒険者、だなんて。そんな立派なものじゃない。
そうすべきだと思ったからそうしてきた。そうすることで不幸にならずに、泣かずに済むひとがいたから、自分が退く方がいいと思っただけだった。
他人の不幸の責任を背負うなんて、できやしなくて。だから、退かずにいるのが後ろめたくて、そうした――他の誰かの都合を押しのけてでも、望んだものに手を伸ばすだけの情熱、あるいは心の強さを、持てずにいただけだ。
――名を上げる機会なら、またいつかに来るはずだから、と。
あるいは――自分の目的を持って、全力で駆けてゆく誰かがいるのなら。
その誰かに道を譲っても、構いはすまい、と。自分は急ぐ必要も、焦る必要もなく、いつでも構わないのだから、と。
きっと、そんな風に『いつか』と言い訳しながら、中途半端に構え続けていただけだった。
ちゃんとできなかったことも、沢山ある。ドルセン達から
そんなもの作った覚えなんてない。ただ、開拓村はどこも自分達の土地で精一杯で、わざわざ危険なミッグ・ザスの森の奥まで入り込む余裕がなく、理由もない――言わば、森そのものがたまたま『大いなる隔て』とやらになっているに過ぎない。そんなものを大袈裟に語られるのは、たまらなくいたたまれなかった。
「…………………………」
――自分のための冒険。冒険者として功績を得て、階位を上げ、報酬を得る。
きっと、ずっとそんなものと向き合うことなくいたせいだ。そのための情熱も気概も持てずにいたせいだ。
いざそうするために、具体的にどこで何をどうするか。さしあたっての具体的な目標があるかと問われれば、シドには何もない。
「でも、まあ……どうにかしないとなんですよね。《
自覚がまったくなかったと言えば、それは嘘だ。
後悔はない。仕方がない。理由を求めるなら、それはいつだって最後の最後に、自分自身の決断へと帰着する。けれど――今のくすんだ己に一片の後ろめたさもないといってしまえば、それは間違いなく嘘なのだ。
「二十年、ですもんね。いい加減、もうこの先は冒険者として――いいえ、とうの昔に俺は、衰えてゆくばかりの人間だったんだから」
急ぐ必要も、焦る必要もなかった。
だからいつでも構わなかった。
ならば、自分が譲って他の誰かが笑顔になるなら、それもいいと。
そう――けれど、いつでもいいというのなら。
それが今だとしても、構いはしない。
構いはしない、はずだ。
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