13.おっさんが悔恨に号泣する顔は、見ていてたいへんいたたまれないものだという話【中編】


「……何言ってんだよ、おやっさん」


 さすがにドルセンの言葉が聞き捨てならず、シドは眉をひそめて言い返した。


「そりゃあ、確かに冒険者としての名声や階位の昇格とはあんまり縁がなかったけどさ。俺はミッドレイで冒険者らしい仕事をしてきたつもりだ。魔物を討伐して、隊商や開拓団を護衛して――」


「その辺の新米や半人前どもが小銭稼ぎでやるような仕事を、十年かけて続けてきたって訳だ」


 ドルセンは深く息をつく。

 思わず身を乗り出しかけたシド。その前へ。彼の勢いを遮るようにして、トンと木製のジョッキが置かれた。二人分。


「ミレイナさん……」


麦酒エールです。宴会の残りですから、払いは気にしないでくださいね」


 気勢をそがれ、当惑混じりで見上げてしまうシドへ微笑むと、ミレイナはくるりと踵を返して厨房に戻っていった。

 ドルセンがジョッキを取り、ぐいと麦酒エールを煽った。


「そぉとも。おめえは真っ当に仕事をしてきたさ。辺鄙な田舎すぎて冒険者なんざ寄り付かねえこの土地でよ、冒険者に求められる仕事を延々とこなし続けていやがった。

 そうだな――覚えてるか、シド。ミッグ・ザスの森に追い払ったゴブリンどもが、急に森の外へ溢れ出してきやがった時のことだ」


「ああ、思い出した。あれはたいへんだった……あちこちの村に散っちゃったせいで、さすがに一人じゃどうにもならなかったから、ドルセンや衛兵さん達にお願いして周縁の村の守りを固めてもらって」


「その間に村をひとつひとつまわって順繰りにゴブリンどもを掃討してよ。どうしても原因が気になるってんで、最後は森の中まで入ってったよなぁ。おめえ」


「で、そしたら小鬼ゴブリンロードが配下のゴブリンを扇動してたんだよな。あいつらめちゃくちゃいきり立ってて攻撃的で、おまけにロードが指揮まで取ってたから、やっつけるの苦労したよ」


「まあ、ゴブリンつーても巣や群れの掃討は一仕事だ。てめえ一人で、しかもロード上位種ホブゴブリンの類がいりゃあなおさらだ。で――」


 ――と。

 昔話に肩を震わせて笑っていたドルセンは、ふと鋭い目をしてシドを見遣った。



「――《邪視蜥蜴バジリスク》の単独討伐は、一体どんなもんだった? シド」



 重たい沈黙が。

 再び、二人の間に垂れこめた。


「いや……何言ってんだよドルセン。何の話を」


「ゴブリンどもがいきり立って森から溢れだした、ってやつよ。おそらくはお山の竜が消えて、竜の狩場だった土地をてめえのナワバリにしようとのそのそ出てきやがった、山嶺の魔獣だ」


 シドは言葉を返せなかった。ドルセンは、「フン」と鼻を鳴らす。


「《邪視蜥蜴バジリスク》――小型の火竜に匹敵する巨体の大蜥蜴。石化の魔眼と猛毒を持ち、その毒息は緑を枯らして土地を荒野にしちまうなんて伝承もある」


「………………………」


「《諸王立冒険者連盟機構》の認定脅威度Aランク。『討伐依頼の有無によらず、討伐証明のみによって報奨が支払われ、発見報告だけでも報酬を用意する』――数ある魔獣の中でも竜種クラスの厄ネタだ。首尾よく討伐できりゃあ、報奨金ががっぽりってくれえのな」


 そう――あの一件の真相は、そうしたことだった。


 いかなる理由によってか、本来の住処たる山嶺の荒れ地からミッグ・ザスの森へと降りた、一匹の巨大な《邪視蜥蜴バジリスク》。

 森から大量に溢れた小鬼ゴブリンの襲撃は、この強大なる魔物に恐れをなし、ロードの統率から逃げ出した集団の暴走スタンピードだった。

 もはや森には住めぬと恐怖し混乱したゴブリン達は、なりふり構わず自分たちが生き延びるための食料を手にせんとし、森の周縁にあった村々を襲い、略奪を働こうとしたのだった。


 ゴブリンどもの襲撃を撃退し、原因を除かんと森へ踏み入ったシドが見たものは――ロードの統率のもと恐るべき魔獣へ挑まんとする、の一群だった。


「おめえ、《邪視蜥蜴バジリスク》の討伐を報告しなかったろう。代わりにゴブリンのロードを討伐したことにして、事の帳尻を合わせやがった。違うか」


「それは……」


 シドは呻く。呻くしかできなかった。

 正直、シド自身とうの昔に忘れかけていた古い話だ。まして、あの場にいなかったドルセンが、決して知るよしもないはずの、


「おめえの言いてえことはわかるよ。何でこの俺がそんな話を知ってるのか、だろ? もう随分前の話になるがな、ミッグ・ザスの森に入ったやつがいるんだよ。勇者気取りでふざけた偽名なぞ名乗りやがる、『渡り』の女冒険者だった」


 特定の拠点や仕事場を定めず、方々を流れるように旅する冒険者を、冒険者たちの間では『渡り』ないし『渡り鳥』と呼ぶ。

 だが、


「いや、勇者て」


「言うに事欠いて《万能なる者イルダーナフ》――伝承にうたわれる魔王討伐の勇者、《翡翠の剣と琥珀の剣の勇者》サマときやがった。ふざけた女さ」


 呻くシド。ドルセンは鼻で笑った。


「とにかくその女が言うことにゃ、森の深奥にはの集落があったそうだ。んで、その群れじゃあ、先代のロードと忠勇なる上位種ホブどもが、――なぁんて物語があるそうでな」


「先代? じゃあ、あのロードはもう」


 とっさに問い返してしまい、シドは直後に自分の短慮に気づく。

 「あっ」と呻くシドに、ドルセンはにやりと笑った。


「ゴブリンどもの寿命は長くねえ。ロードだってそう大した差はねえさ。

 んで、その物語だが、最後はこう締めくくられるんだそうだ。『王と勇士は互いの大いなる力を認め合い、人と小鬼の間に大いなる隔てを置くことを誓約した』――とさ」


「…………………」


「おめえだろ、シド。『』サマってのはよ。厳密にいうなら単騎とは言えねえが、ゴブリンどもとの共闘なんて経緯は連盟の管轄外だ。《邪視蜥蜴バジリスク》討伐の名誉も褒賞もてめえのものになったはずだ。その紋章だってとうに水銀マーキュリーなりゴールドなりに更新できただろ――それが何故だ」


「……それは」


「ああ、言わなくていいさ。わかる。わかるよ。てめえのあっせぇ考えなんざ、俺には筒抜けよ」


 ドルセンは犬でも追い払うように、不機嫌な所作で手を振った。


「開拓村もミッドレイの連盟も、。そんな大金、どこのポッケを漁ったってありゃしねえんだ。あの頃どころか、今でもだ」


「……………………」


「だからと言って、『出さない』なんて訳にもいかねえ。この一件だけならおめえ一人が辞退すりゃあ美談の類になるかもしれねえが、裏を返せばそいつは、ミッドレイのお寒い懐具合を連盟の冒険者どもへ大公開しちまうって訳だ」


 その場限りの支払いだけなら、他所の支部から借り受ける形で支払うことはできただろうが。

 だが、それだけだ。その借金分の負担は、まるまるミッドレイへのしかかることとなる。


「ただでさえ辺鄙な田舎。どこにヤバい魔物がいるやらわかりゃしねえ。加えて危険な仕事や魔獣討伐を果たしたところで、それに見合う報酬カネは出てこねえときた。まともな冒険者なら寄りつかねえな、ンなお寒いところにゃよ」


「ドルセン、俺は」


「だが、ゴブリンのロード討伐程度なら褒賞も出せる。王つっても所詮はゴブリンの親玉だ。認定脅威度もD+――報酬の桁がゆうに二つ三つ変わる。冒険者としての功績、その大きさも同様にな」


 シドは項垂れる。とうに忘れかけていた秘密を暴かれた恥ずかしさで、項垂れた顔を上げられない。


「商売を支えるのは信用だ。

 今のミッドレイにゃ、それなりに冒険者どももいる――が、そいつはこの支部が冒険者を相手に、からこその実績だ。仕事を用意し、達成された仕事には見合った金を払い、正しく実績を評価する。その誠実な取引関係が信用を作り、このド田舎でもまあとりあえずやっていこうじゃねえかって連中を繋ぎ止めた」


 ドルセンは頬杖をついて、項垂れたシドの顔を下から見上げるようにする。

 それでこちらの表情を伺える訳ではなかったろうが、しかし揶揄めいた明るさを含んだドルセンの視線は、ちくちくと針のように刺さった。


「おめえは頭のいいやつだよなぁ、シド。そこまで考えて事を隠蔽したっていうならよ。

 おかげでミッドレイの連盟支部は体面と信用を失わなかった。今やこの町ミッドレイは男爵領の領都で、田舎なりにまあまあの暮らしができるくれえにはなった。町の大きさに見合う冒険者どももいて、厄介事を投げるにも困らねえ」


 ――だが。ドルセンの言葉は、揶揄に包んだ針のようだった。


「だがよ、シド。そうやって徳を積んでるうちに、今のおめえは《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だ」


「…………………」


「どうせこの一件だけじゃねえんだろ。ミッドレイの外の、他所の土地でもよ。てめえはおんなじような真似を繰り返してきてんだろ。違うか、シド、なあ?」


「ドルセン」


「おめえはいいやつだよ。まるっきり御伽噺の冒険者だ。まるでだ。もしかしたらおめえは、それで自分に納得してるのかもしれねえな。けどよ」


 御伽噺の冒険者。

 

 最前、ユーグ・フェットに言われたばかりの言葉が、語る誰かの口を変えて繰り返す。


「だがよ――俺は悔しいんだ。シド」


「おやっさん……?」


 呻くシド。ドルセンはテーブルを叩き、繰り返す。


「悔しいんだ、シド。俺はよ……悔しくて、たまらねえんだ。おれは……」

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