12.おっさんが悔恨に号泣する顔は、見ていてたいへんいたたまれないものだという話【前編】
ユーグと別れたシドは、一人とぼとぼと《湖畔の宿り木》亭へ引き返した。
いい加減、酒場での騒ぎもお開きになったか、そうでなくともそろそろ気まずい空気は掃けているだろうと当たりをつけて戻ったシドは、宿の玄関にふたつの人影を見出して、ぽかんと目を丸くしてしまった。
宿の扉は開けっ放しで、中からこぼれる明かりがふたりの顔をおぼろげに浮かび上がらせていた。
その、人影の片方。
線の細い女性がふとシドの方を見て、そのたおやかな面に優しい笑みを広げた。
「おかえりなさい、シドさん」
「ただいま帰りました、ミレイナさん……ええと」
人影のもう一方。
背の低い、
「遅ぇぞシド。ひとを待たせやがって――こんな時間にフラフラと、一体どこほっつき歩いてやがった?」
「ドルセン……いや、何でここに、おやっさんが」
訳が分からず、シドは呆けたように顎を落としてしまう。
「え? ええと、べつに約束とかしてなかったよな? それが、どうして……?」
ドルセンは困惑するシドの問いには答えず、代わりにぐいと顎をしゃくって《湖畔の宿り木》亭の中を示した。
のしのしと店の中へ入るドルセンをぽかんと見守るしかなかったシドだが、やがてどうにか気持ちに踏ん切りをつけて、とぼとぼとその後に続いた。
◆
街の人々が集まっていた宴会騒ぎはとうに捌けて、一階の酒場はがらんとしていた。
宴会の間は騒がしかったターニャもおらず、今は部屋に戻って寝てしまったらしい。
そうして、今の一階にはテーブルを挟んで向かい合うシドとドルセン、明日の仕込みで厨房にいるミレイナの三人だけで、《湖畔の宿り木》亭の食堂兼酒場はひっそりと、夜の静寂に沈んでいた。
「……ミッドレイの連盟支部から除名って話なら、もう聞いたぞ?」
「んなもん俺だってわかっとる。ボケたジジィじゃねえんだ」
「気概も実績もない冒険者は、うちには必要ないって話も」
だん!
ドルセンは机を叩いて、シドの言葉を中断させた。理不尽だと思った。
「んなことよりも、シド。おめえこんな時間に、どこほっつき歩いてた」
「酔い覚ましに散歩してただけだよ。長歩きになったのは、まあ……たまたま何となくで」
ちら、とドルセンの方をを伺って。シドは項垂れ、ひっそりとため息を噛み殺した。
こちらが何か隠しているのだと、ドルセンは察している。
既にそれを確信している、そんな目をしていた。
「ユーグ・フェットに会ったよ。昼間の――決闘の相手だった冒険者だ」
「ああ、メルビルから来たとかいう都会
「パーティを組まないかと誘われた。彼らはこれから《遺跡都市》オルランドへ行くつもりで、俺にその仲間に加われる気はないかと」
テーブルの上に組んだ両手に視線を落としたまま、シドは続ける。
「ほう? あの遺跡都市か。都会
「断った。俺が仲間に加わっても、あのパーティにとってはいい結果にならないと思ったから」
その答えに、ドルセンからの反応はなかった。
数秒が過ぎ。十数秒が過ぎ。いい加減焦れたシドが視線を上げかけた時、
はぁ――――――――――っ……!
と。長く、深い、ドルセンのため息が聞こえた。
「シド。おめえがこの街で冒険者になって、何年になる?」
「二十二年。その話は昼間、おやっさんから聞かされたばかりだろ」
「……そうだな。そうだ。その通りだ」
ちらと視線を上げた時、ドルセンはシドを見ていなかった。
ミッドレイの《諸王立冒険者連盟機構》支部長である男が見ていたのは、カウンター横のコルクボード――ミレイナが飾っている絵葉書の群れだった。
「おめえがミッドレイに来たばっかの頃はよ。この町は町なんて呼ぶのもおこがましいくれえの、ちょっとでっけぇ開拓村って程度のもんだったな」
「そうだったかな……」
「そぉさ。連盟支部ってぇのも大した看板倒れ。真っ当に冒険者なんて言えるのは、『支部長』サマの俺ひとりって有様よ。んで、物好きにもそんなド田舎で冒険者を始めたのが、てめぇだ、シド」
「うん。何ていうか、気分……なりゆきだよな。それで、まあ」
ミレイナが集めて飾っている絵葉書――その奥の厨房で立ち働いているミレイナ当人の姿を視界の端に留めながら、シドはほろ苦く零す。
途端、ドルセンは「はん」と鼻で笑った。
「なぁにが成り行きだ。てめぇ、ミレイナに惚れてたんだろが」
「ば、っ……!」
喚きかけた。ドルセンのとんでもない言い草に頭が真っ白になって、時も場所も忘れて喚き散らすところだった。
「馬鹿言うなよ。つか、なに急に言い出すんだよ、おやっさん……! ミレイナさんは結婚してただろ、とっくに――」
「応とも、その通りよ。あの頃この町で一人
――ウィルフレッド。ウィルフレッド・シスカ。
ミレイナの夫でターニャの父親。十年前に
「兎にも角にも、てめえはこの町で冒険者になった。んで、開拓村のろくでもねえ貧乏人どもからの、ろくな儲けも出ねえ魔物討伐を、延々やってたよなぁ。俺とおめえでよ」
「……そうだったね」
やがて時は流れ、少しずつ町の形ができてきた。
人の流れが生まれ、やがてその中でこの町を拠点とする冒険者が現れるようになった。少しずつ。
そうした冒険者の育成と教導を、シドが請け負ったこともある。彼らのうち何割かは王都や他の大きな街へと流れ、残りの何割かはこの町に留まった。
そのうちさらに何割かはとうに冒険者を辞め、残った者の中には今なお一線にある者もあれば、後進の教導や支部の運営に力を注ぐ者もある。
シドがはじめてこの町を訪ってから、二十二年。
その間に、開拓村はひとつの町になり、開拓団の団長はウェステルセンの王家から正式に男爵の位を授かった。
町はどうにか領都と呼べる大きさになり――
支部長になった後も冒険者として一線に立ち続けていたドルセンは、妻との死別を境に第一線から退いた。母親を亡くした一人息子を置いて冒険になど行けないということもあったろうし、直前に受けていた仕事で負った怪我が思いのほか深かったということもあるだろう。
いずれにせよ、気持ちが折れたのだろう。以来、ドルセンはこの街で、支部長としての仕事に専心してきた。
「……今にして思えば」
懐旧に湿った声が。
水滴を零したように、ちいさな
「おめえをこの町に置いちまったのは、俺の間違いだったのかもしれねえな……」
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