10.パーティへ加わるよう誘われたんですが、急に言われたってそんなの困る


 気まずい乾杯から一刻ほどが過ぎたころ。シドは一人で夜の街を歩いていた。


 目的地がある訳ではない。ただ、場の空気を気まずくさせてしまったのがいたたまれず、酔い覚ましを言い訳に《湖畔の宿り木》亭から逃げてきただけだった。


 夜の町は静かだった。

 メンベンドール男爵領の領都とはいえ、『領都』と呼びうる下限すれすれにかろうじて引っかかるくらいの小さな町だ。住民も相応にしかいないし、盛り場の数からして片手の数に満たない。


 そもミッドレイは、ほんの三十年ばかり歴史をさかのぼれば、辺境の一開拓村でしかなかったような土地柄である。


 もともとミッドレイを含むクロンツァルト西方の平原一帯は、さる古き悪竜がその縄張りとしていた《火竜の狩場》だった。

 しかし、ある時を境にその悪竜がぷつりとその姿を消し――やがてその巣から竜の姿が消えているのが確認されたのを機に、クロンツァルトの新領土として組み込まれた。言わば西方の新興開拓地フロンティアだ。


(ここも、だいぶん変わったよなぁ……)


 シドがこの街の冒険者になったばかりの頃は、この西方開拓地一帯は魔物の跳梁ちょうりょう激しい危険な土地だった。


 竜に恐れをなして長らく縮こまっていた人間種族などより、はるかに目端を利かせて竜の不在に気づき、その生息域を拡大していた小鬼ゴブリン豚鬼オークども。

 熊や狼といった肉食の獣。

 のみならず、畑を荒らしまわる鹿や猪も、人々の暮らしを脅かす危険な存在だった。


 ミッドレイにおける冒険者の仕事とは、これら害獣どもの討伐だった。あるいは、これと並行して開拓町村周辺の土地を歩き、地図の空白を埋めてゆくこと。


 みんな貧しかった。余裕がなかった。その年の冬を越える備蓄を集めるだけで精一杯の弱々しい開拓村が、この地方にはかつて、山ほどあった。冒険者に討伐を依頼したくとも、報酬の用意が到底できないような集落が。


「おい」


「え?」


 横合いから唐突に声をかけられて。振り返ったシドは、思わず「うわ」と呻きかけた。

 路地の隙間。人ひとりが通るのがやっとのそこで影のように佇んでいたのは、昼間に決闘騒ぎを繰り広げた敵手――黒衣の冒険者ユーグ・フェットだった。


「……びっくりした。町から出たんじゃなかったのか」


「出たさ。他の連中は街道から外れた森の中で野宿している。だが――ひとつ、どうしても拾っておきたい忘れ物があったんでな」


「その、剣を折ったのは謝るよ。手持ちがないもんで、すぐに弁償って訳にはいかないんだけれど」


「剣のことはどうでもいい。あんたに弁償させようとも思わん」


 えっ? と呻きかけ、気まずく背けていた顔を上げてしまうシド。どうやら『忘れ物』というのは、昼間の意趣返しの類ではなかったらしい

 現金な中年冒険者の反応に、ユーグは苦笑したようだった。


「そこまで意外か?」


「いや、意外というか……でも、あれは高価なものだろう? 聖霊銀ミスリル製の附術工芸品アーティファクトだと言ってたじゃないか」


「決闘をふっかけたのはこっちだ。尋常な決闘で敗北の泥にまみれたからと言って、結果に伴う損害を賠償しろなどとほざくのは筋が通らん」


「それは、そうかもしれないが……」


 ――だとしたら、本当にただの『忘れ物』ということだろうか。


「《湖畔の宿り木》亭――昼間の酒場に忘れてきたものがあるのなら、よければ俺が代わりに取りに行くよ。あなたが行くのは気まずいだろう」


「……あんた、お人よしだと言われないか?」


「え? ああ、たまに、まあ……けど、それが?」


「いいや。別に」


 ユーグは笑みを浮かべ、肩をすくめた。悪意を含んだ笑みではなかったが、好意的なものとも言い難い、乾いて軽い笑みだった。


「厚意には感謝するが、不要な気遣いだ。字義通りの『忘れ物』って訳じゃない」


「……なら、何なんだ。まさか、まだ俺に用があるとでも?」


「まさかも何も、その『まさか』だが?」


 言葉を失うシド。ユーグは路地から大通りへと出て、ミッドレイの街並みを見渡したようだった。


「昼間の決闘の件、連盟の支部には報告しないのか?」


「衛兵隊には事情を通したよ。多分だけど、そっちから話は伝わっているはずだ」


「そうじゃない。あんたは俺を倒した冒険者だ。尋常な決闘で、銀階位シルバー金階位ゴールドに勝った。圧倒的な形でな」


「圧倒的なんてことは――」


「あんたの主観はどうでもいい。結果を鑑みれば、俺の剣は一度としてあんたに届かず、逆に一度は素手で捻じ伏せられた」


「それは」


「挙句、自慢の附術強化剣アーティファクトを一撃で叩き折られた――実力でも装備でも、つまりは冒険者の名を冠する一人の戦闘者として、俺はあんたに完敗したという訳だ」


 ユーグは言う。

 淡々とした口調だが、その所作や表情には、自分の語りを嘲り、面白がっている気配があった。


「これは自慢で言うんだが、《ヒョルの長靴》は自由商業都市メルビルじゃちょっと知られたパーティだ。実績を勝ち赫々かくかくと頭角を現し、そのぶんだけ敵も多い」


「……あなた達がメルビルから出てきたのは、そのせいか?」


「半分はそうだ。もう半分はロキオム――あんたに真っ先に捻じ伏せられたやつが言ったとおりの理由さ」


 ――あの、禿頭の巨漢か。

 確かに彼は、上機嫌にこう語っていた。



あっちメルビルじゃ身の丈に合ういい仕事がなくなっちまったもんでよ、河岸を変えていっそう名を上げに行く途中なのよ――』



「大言壮語のうえに女好き、おまけに見る目のない頓馬とんまだが――酒さえなければ、あれもまあまあ気のいいやつだ。今回の件で少しは懲りただろうし、その意味じゃあんたに礼を言うべきかもな」


 くつくつと笑うユーグ。

 「なんだそれは」と、困惑混じりで唇を歪めながら――その時になって、シドは唐突に思い至った。


「……昼間の時、あなたが彼を痛めつけたのは懲罰だけの理由じゃない。だな?」


 あの時、ユーグに散々に痛めつけられた禿頭の男ロキオムを前に、それまで彼に抱いていたわだかまりや悪感情は、完全にユーグの一身へと向いた。

 自分の仲間すら酷薄に痛めつける、に対して。


「メルビルは激戦区レッドオーシャンだ」


 だが。

 ユーグはシドの問いには答えず、自分の話を続けた。


「並みの遺跡なぞとうの昔に掘りつくされてるし、残ってるのといったら探索の価値もないようなクズ遺跡か、冒険者を何十人も食い殺してきた厄ネタの迷宮メイズばかり。まあ、それだけならメルビルでもオルランドでも、状況はたいして変わりやしないんだが――」


「あなた達は敵が多い、か?」


 唸るシド。ユーグは苦笑した。


「さるお偉い方から、目をつけられちまってな――子飼いの冒険者どもを出し抜いて迷宮ひとつ踏破してやったのを、未だに腹に据えかねているらしい」


「……それは、また」


 いにしえの時代に大陸各地へ作られ、今の時代に遺された、《真人》種族の遺跡――その中でも《迷宮》と総称される遺跡群の踏破は、冒険者として最大の名誉だ。

 子飼いの冒険者がそれを成し遂げれば、出資者パトロンの名も上がり、その慧眼は喝采をもって讃えられる――少なくとも、自由商業都市メルビルやクロンツァルトではそうした文化がある。


「まあ、そういう訳だ。俺達も名が売れてきて、河岸かしを変えるにはいい頃合いでもあった。で、どうせ河岸を変えるのならいっそのこと、でかい一山当てに行こうという運びになってな――そこで、だ。シド・バレンス」


 話を切り、一泊置いて。

 ユーグはあらためて、シドへと向き直った。


「オルランドの遺跡を踏破し、冒険者として名を上げるつもりはないか?」


「なんだって?」


「かの遺跡は《大陸》最大にして最難、数百年に渡って謳われ続ける大迷宮だ。どれほど備えを積んでも過剰ということはなし、戦力はあればあるほどいい」


 つまり――と。

 ユーグは握手を求めるように、シドへその手を差し伸べる。



「――俺達と、パーティを組む気はないか?」

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