09.ひとから褒められるというのは、ささやかでも実に気分がよくなってしまうことだと思いませんか?
陽もとっぷり落ちたミッドレイの町。
《湖畔の宿り木》亭は賑やな喧騒に満ちていた。
「ほんっとにありがとうございます、シドさん! ターニャのこと護ってくれて、このご恩を一体どう返したらいいものか……!」
「そうだよぉ、ヨハ
「いやいや、なに。ははは」
同じテーブルを囲んで。
左右から賑やかに誉めそやしてくる若い男女二人に、シドはついだらしなく緩んでしまいそうになる相好を恥ずかしくない程度に引き締めるのに、ひとかたならぬ苦労を強いられていた。
「決闘ねー、すごかったんだよ!? こう――相手の冒険者の剣を、ずばぁーって!
「なにそれ凄いな!? そんなの僕だって見たかった、いいなぁー!」
「えっへへー。いいでしょーヨハ
「今更だけど、ターニャ、まだヨハンのことヨハ兄って呼んでるんだね……」
「あっ。や、それは、あの」
「そうなんですよ、シドさん! もうじき結婚するっていうのにターニャったらいつまでも子供みたいな呼び方して」
「い、いいでしょー!? そんなのー、別にー! ヨハ兄はヨハ兄だもんっ!!」
それこそ子供っぽく机を叩いて喚くターニャに、周りのテーブルからどっと笑い声が上がる。
《湖畔の宿り木》亭の酒場兼食堂は、昼間の決闘騒ぎを見ていた者、話を聞いて後から駆け付けた者が押し寄せて、街の住人でいっぱいになっていた。
宿の厨房にあった食材は、時ならぬ形で押し寄せた客の大群を前に早々と尽きてしまい、後からやってきた客たちは「ミレイナさんやターニャちゃんに手間ぁかける訳にいかねぇよ!」と『テーブル代』なる金を渡し、あとは自分たちの家から持ち込んだ、あるいはその辺の店で買ったもの並べて勝手に酒盛りを始めていた。
誰もが顔見知り同然の、ゆるい田舎町ならではの、大変デタラメな賑わいの様相であった。
「しっかし、シドの旦那は相変わらずやりますねぇ! ムカつく都会の冒険者どもが、一蹴で返り討ちでしょ!?」
別のテーブルから大声で呼びかけてきたのは、この街の冒険者、そのひとりだった。酒が進んでいるのか、耳まで真っ赤になっている。
自由商業都市メルビルの冒険者パーティ、《ヒョルの長靴》――ユーグ・フェットとその仲間達は、既にミッドレイにはいない。
あの決闘騒ぎの後、彼らはあらためてミレイナとターニャへ謝罪するのみならず、一連の騒ぎに対しての賠償金――メルビル金貨四十枚だった――を支払った後、街から出ていったそうだ。
彼らが街を去ったという話を伝えてくれたのは、最前の冒険者と同じテーブルで飲んている若い衛兵だったが。同じテーブルを囲む町の若者と声を合わせて笑い、冒険者は放言する。
「いやぁー、ほんっと、おれも見たかったっす!
「いや……」
その彼に、いくぶんかの後ろめたさと申し訳なさを覚えてはいたが。
シドはかぶりを振って、その言葉を否定した。
「彼らは強い冒険者だったと思うよ。少なくとも、決闘した彼は『本物』だった――」
――交差直後の一閃。
――崩れた姿勢で剣閃を避けた直後に繰り出された突き。
この二つは紛れもなく、彼にとって『必殺』を期した一撃だったはずだ。
「本当に強かったんだ。昼間のときはうまく上を行けたかもしれないけれど、正直、危ない場面はいくつもあった」
あと少し見切りが遅れていれば、無様にやられていたのはシドの方だ。
まして、『決闘』には勝てたのだとしても――上手くやれたかと問われれば、到底そんな風には言えやしない。
「他の四人も、その彼が仲間と
――と。
言い終え、ふと顔を上げた時、酒場の中はしんと静まり返っていた。
そんな中、最前の若い冒険者が強張った顔をして、気まずくうなだれているのに気づく。シドは慌ててへらりとした笑みを広げ、早口で言い足した。
「まあ、そうは言っても、あからさまにガラの悪いパーティだったからね! ああいうアウトローとこの先関わり合いになりたいかって言われると――俺は嫌だなぁー。うん! 嫌すぎるなっ!」
あはははは、と殊更に笑っていると、やがて酒場のそこかしこからも笑い声が上がり、酒席の賑やかさが戻ってくる。
最前の若い冒険者も、やがて周りにつられるように、明るく笑っていた。
「いやぁ……あはは、ですよねぇ! あ、その、すんませんシドさん! おれ、酒が入って調子乗っちゃったみたいで!」
「そーだぞお前、今日だってシドさんだから一蹴だったんだ! お前くらいの腕じゃ無理な話だっつーの!」
「うっせ、おれだってその気になりゃやれるし!……そのうちな!」
おどける冒険者の冗談に、どっと酒精混じりの笑いがあがる。
そんな中、
「――やっぱり、シドさんは強い方なのよねぇ! これで万年銀階位なんだから、世の中って不思議よねぇ~!」
「おい、バカ!」
笑いながら言ったのは、大通りに面した靴屋の女将だった。
夫である靴屋の亭主が焦った声で咎めた時には――しかし、完全に手遅れだった。
酒場の活気は極限まで冷え切り、気まずく澱んでいた。あるいはその中には、《諸王立冒険者連盟機構》支部でのドルセンとシドのやりとりを知っていた者もいたかもしれない。
急激に重さを増した場の空気に失言を悟った靴屋の女将が、あたふたと周囲を見回す。
「おばさん……」
「あ、いえ、ちがうの。ちがうのよ? 悪く言うつもりじゃななかったのよ!?」
半ば無自覚でか、ターニャが咎める声音で呻いたのをきっかけに。
女将は慌てて弁明をまくしたてた。
「ほんとに違うのよ!? あたしはただ、ほんとうに単純に、不思議ねぇって思っただけで……ちがうのよ、シドさん。あたしったら昔から口が
「ああ、いえ……その、お気遣いなく。万年
フォローするつもりで、冗談めかしながら笑うシド。
だが、うまくはいかなかったようだった。多分、笑いに力が足りなかったせいだ――気まずさの濃度が、息苦しさを覚えるレベルにまでその域を上げる。
若い冒険者がおたおたと立ち上がり、声を張り上げた。
「ち、ちげーっすよシドさん! シドさんの
「そ、そうだな。そうだ! 我らの隠されしヒーロー、シドに乾杯!」
「少女を救った、隠されし英雄に乾杯!」
「ヒーローに乾杯だ! 乾杯!!」
いっそ心苦しくなりそうなほどに乾いた、浮つく明るさで。酒場の男達が乾杯を繰り返す。
シドも唱和する形で「乾杯」と応じ、ジョッキに残った酒を一息に干した。
好物の
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