05.うらぶれもののおっさんは、ちょっとしたことですぐに落ち込んでしまう生き物なのだということ
二階の客室の数は全部で八つ。一番奥の一人部屋が、シドが定宿にしている部屋だ。自分が不在の間は完全な空き部屋になるので「自由に使ってもらって構わない」と繰り返し言っているのだが、にもかかわらずわざわざいつも空けておいてくれているらしい。ありがたいと同時に、シドはいつも申し訳ない気持ちになる。
ターニャが自慢していたとおり、部屋は綺麗で、埃っぽさもない。
久方ぶりに帰った我が家にほっと安堵する心地を覚えながら、一方で胸にさす翳りを意識せずにはいられない。
(いつまで、ここにいていいものやら……)
ヨハンはああ言っていたが、ドルセンは
何より――
「……………………」
ドルセンのことばには、何一つ間違ったところがない。
間違ったところがないからこそ、深々と胸に刺さった。
《諸王立冒険者連盟機構》に籍を置く冒険者は、その実力と実績に応じて、その等級を示す
かつて、東方の《
しかし、《大陸》という大地は広大だ。
ある土地では押しも押されもせぬ大英雄として名を馳せた傑物が、よその土地に移った途端まったくの無名として冷遇、嘲弄されるといった不幸な事故は、枚挙に
そうした――双方にとって不幸そのものでしかない事故を未然に防ぐべく導入されたのが、現在の
冒険者になりたての
そこから順に
もっとも、九階位とは言っても
「……………………」
シドは自分の胸元に留めた
紋章は階級の上下に伴い更新される。裏を返せば、等級の上下がなかった冒険者は、ずっと同じバッジを使い続けるということである。
《
それは、冒険者の中でようやく『一人前』と認められる
そのくせ、冒険者から離れてべつの生き方を始めることもできず、それゆえに復帰評定の考査で階位を下げられることもなく、後生大事に『冒険者』の肩書を抱えて燻り続けた――みじめでみっともない、半端者の証明。
ただただ、『一人前の冒険者である』という以上の何者にもなれなかった二十年。
その重さを、否応なく示してしまうもの。
「《
言い訳ならいくらでもできる。運がなかったのだとふてくされることもできる。だが、そんな風にすることこそが、一人の大人としてはあまりに情けない振る舞いだろう。
ヨハンやターニャ、ドルセンやミレイナさんのような人たちに――これまで冒険者として出会ってきた、自分みたいなやつによくしてくれた他にもたくさんの人たちに向かって、そんな風にできるはずがない。
「……はぁ」
背負った背嚢を降ろすついでに、ため息をつく。
正直なところ、自分の立場のあやうさには前々から自覚がないでもなかった。
だからこそ冒険者として一旗揚げてみせようと、一念発起して王都ウェステルセンまで繰り出していったのだ。
――それが、一年と数か月前。
(……言い訳、だものな。何を言っても)
ふるふるとかぶりを振って、ひとまず暗くなりかけた気分を切り替える。
まずは今日の昼食をいただこう。そう決めた。実際、空腹なのは間違いないし、空腹だと気分も余計に落ち込んで、ただでさえ暗い気分をいっそう暗澹とさせてしまう。
ほかの荷物と一緒に剣も部屋に置いていこうとして、ふと考えなおし、結局そちらは背負ったまま踵を返す。
部屋を出て、吹き抜けの階段をのんびり一階へ降りていると、宿の玄関が勢いよく開かれた。
ちょうど階下でテーブルを拭いていたターニャが、ぱっと振り返る。
「あ、いらっしゃいま――」
「酒だ! 五人分! あと食い物だ、手早くなぁ!!」
(うわぁ……)
思わず、声に出して呻きかけた。
旅の埃に汚れた旅装の五人組は、一目でそうと知れる冒険者のいでたちだった。
男が三人に女が二人。真っ先に入ってきたいかつい面相の大男が、上機嫌な銅鑼声を威圧するように張り上げる。
しかし、どうやらターニャの方は、今までこうした手合いと出くわした経験がなかったらしい。町の冒険者だとこういった荒くれは見たことがないし、主街道から大きく外れたこの町へ立ち寄る他所の冒険者は多くない。
びっくりした猫みたいに目を丸くして立ち尽くす少女の様子に、男はチッと盛大に舌打ちすると、
「おおい、ボケッとしてんな酒だ! あと食い物! 早く持ってこい!!」
「ぅえ? あ……は、はいっ……ただいま!」
逃げるように厨房へ入っていくターニャ。
その背を気づかわしげに見送りながらシドが一階へ降りたとき、最前の銅鑼声男に続いて入ってきた、一行のリーダーらしき男と目が合った。
鋭い目を眇めてこちらを見遣った男は――おそらく、シドの胸元の紋章に気づいてだろう。フッと鼻を鳴らして、それきりこちらへの興味を失ったようだった。
シドも相手側の紋章、その意匠を確かめる――
(いや、別にいいけど……)
若干うしろめたいような心地を覚えながら。
とはいえ、粗暴さを隠そうともしない冒険者達の振る舞いに、シドはきなくさいものを嗅ぎ取らずにはいられなかった。
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