06.せっかく定宿へ帰れたからゆっくりしたいのに、そういうときほど不穏がやってきてしまう


 ミレイナの手による自家製の燻製肉とチーズ。ジャガイモと胡椒たっぷりのシチュー。そして焼きたての白パン。

 シドは一年と数か月ぶりで味わうミレイナの料理に、舌鼓を打っていた。


 簡単なものと言うが、とんでもない。いつもながら立派なごちそうである。

 背中から外した剣は壁に立てかけておき、くつろいだ心地で昼食を味わう――


(……と、できたらよかったんだけど)


 しみじみとした感慨を蹴散らすように、五人組の冒険者が囲むテーブルから銅鑼声が上がる。

 見たところ、リーダー格の男と大柄な一人が前衛を担う戦士。もう一人の男が探索の要となる斥候スカウト。残り二人の女は片方が魔術師、もう一人は遊撃手となる軽戦士のようだった。


 あまり柄のいい手合いではなかった。

 もとより冒険者という生業なりわい自体が、半ば当たり前の住人から外れた放浪者アウトローに近い存在なので、こうした手合いも少なからずいるものではあるが――どうやら彼らはここに来る前から、既にどこかで酒を引っかけてでもきていたらしく、傍目に見てもタガが外れかけていた。


 厨房のミレイナは、さりげなくテーブルの様子を伺っていた。

 ターニャは目に見えて警戒しながら――それでも能うる限りの愛嬌でそうした内心をよろい隠して、宿の看板娘らしくあろうと務めていたようだった。


「追加の麦酒エールみっつ、お持ちしましたっ!」


「おう。そこ置いてくれ」


 ターニャはなみなみと麦酒エールがれた木製のジョッキを置き、空いた皿とジョッキを重ね持って厨房へ戻ろうとする。

 そして、踵を返したその矢先。


 少女の尻を、男の手がつるりと撫でた。


「ひっ!?」


 悲鳴を上げるターニャ。はずみで食器を取り落とし、盛大な音を立てる。


「あっ……な、なな、何するんですかっ!?」


「おーおー、ガキみてぇなツラした小娘の割に、いい尻してんじゃねえの。なあ、今晩つきあわねえか。金ならたんまりあるぜ」


「知りません。結構です!」


 憤然と言い返し、散らばった食器を片付けていくターニャ。その手首を、男の手が掴む。

 よほど酒が進んでいるのか、その顔色は朱を大きく通り越し、耳まで赤黒く酒精の熱に染まっている。


「つれねえこと言うなよ、お嬢ちゃん。これでもオレ達ゃ、自由商業都市メルビルあたりじゃ鳴らした冒険者なんだぜぇ? あっちメルビルじゃ身の丈に合ういい仕事がなくなっちまったもんでよ、河岸を変えていっそう名を上げに行く途中なのさ。

 ……なあ、これからオレ達がどこへ行くと思う?」


「だから、知りませんったら! いい加減に」


「冒険者なら知らぬ者はいねえ《遺跡都市》! かの名高き遺跡都市、オルランドよ!」


 我知らず、食事の手が止まっていた。

 それは、こと《大陸》において冒険者を名乗るものであれば、一度は必ず耳にするであろう――


「発見と到達から今に至るまで数百年! 未だ誰一人として踏破に至った冒険者のいねえ、いにしえの《真人》種族が遺した最大・最難の大迷宮!――その遺跡を踏破する最初の冒険者に、このオレ達がなってやろうって訳さぁ!

 なぁ~、だからぉよお嬢ちゃん、今のうちにオレとつきあっとけよ。後々まで箔がつくぜぇ? なあ?」


「っ――やめてください! 放してっ!」


「おいおい、お前ら聞いたか? 『やめてくださぁ~~~~い』だってよぉ。田舎娘ちゃんはかーわいいねぇ! うはははは!!」


 ぎゃはははははははは――! と、酒精に濁った派手な笑い声が唱和する。

 さすがに見兼ねてだろう。顔色を変えたミレイナが、厨房からこちらへ姿を見せ、



「あのう……もう、その辺にしといてあげちゃもらえませんかね」



 ――その、彼女に先んじて。

 シドは、その場へ割って入った。

 席を立ち、いくぶんばつの悪い思いに頭を掻きながら。

 テーブルの男達がじろりとシドを睨み、同席する女二人は面白がるようににやにやと成り行きを見守りはじめる。


「いや……気分良く飲んでるとこ邪魔して申し訳ないんですけど。ここ、そういう店じゃないんですよ。それでなくてもまだ昼ですし」


「ぁあ? なんだオッサン、てめえ。関係ねえやつはすっこんでろや」


「俺はこの宿で間借りしてる人間です。その子とも古馴染で、だから関係ないってことはないんですよ」


 ターニャを掴んでいた手を離し、男が席を立った。

 背はシドより高く、横幅も広い。向こう傷の目立ついかつい面相を歪め、威嚇するように見下ろしてくる。

 ふと、シドの胸元――そこでくすんだ光を放つバッジに目を留め、男は鼻で笑った。


「おいオッサン、オレは金階位ゴールド・クラスだぜ? おめえなんぞよりはるか格上の冒険者よ。そこんとこわかってモノ言ってんだろうな?」


 ニヤニヤと愉悦に満ちたうすら笑いを広げ、男は凄む。


「しかも、だ! こんなクソど田舎の冒険者なんぞじゃあねぇぜ。生き馬の目を抜く自由商業都市メルビルで鳴らした強者つわものよ。オッサンみてえなヒョロいのは秒で完封だって、見りゃわかんだろ? なあ?」


「もめごとは勘弁してあげてくれませんか。宿の迷惑になります」


 繰り返すシドを、男は嘲笑った。

 にいぃ――っと、口の端を歪めて、


「……なあに、すぐに終わるさ。一発でなぁ!」


 振りかぶった男の拳が、シドの顔面を殴り据えた。その光景を見てしまったターニャが、「ひっ」と息を呑む。


「シドさん!?」


「……ったた」


 たたらを踏んでよろめき、シドは目の前の霧を払うようにふるふるとかぶりを振る。


 それだけだった。

 「な」と呻く男を見上げ、シドはへにゃりと愛想笑った。


「……今の一発で手打ちってことですか? いえ、そういうことなら、それで結構ですんで」


 殴られたこめかみをさすりながら、シドは言う。


「ここから先はどうかひとつ……お互い、上品な昼飯といきませんか」

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