07.もめごとは勘弁してほしいのだけれど、そういうのに限って向こうからは立ち去ってなどくれない


「て、め……てめ、この……」


 巨躯の男は言葉を失い、たじろぎながら後ずさる。

 テーブルではやし立てていた男の仲間達も、揃って言葉を失っていた。――真実、今の一発で『終わり』だと思っていたのだろう。


「あー……いえ、その、酒はべつに構いませんですけどね。そこはほら、女将さんや看板娘の迷惑にならないくらいに……ってことで。ただ――」


「なっ……めてんじゃねえぞ、おらあぁ!!」


 男が猛然と掴みかかる。

 「おっと」とその両手を自分の両手で掴み、四つに組み合う格好となるシド。


「馬鹿かよオッサン、このオレと四つに組み合うとはなぁ!」


 男は哄笑する。

 事実としても、筋肉の塊のような巨漢と痩身のシドとでは、純粋な腕力だけで比べてもその差は歴然のように見えるだろう。

 ――だが、


「腕っぷしの差を教えてやるぜ……まずはこの手、握りつぶし、て」


 男は、最後まで言い終えることはできなかった。

 目を剥き、瞠目するその目の前で――今にも握り潰されようとしていたのが、の方だったからだ。


「へ、え? ぅご……ば、馬鹿なぁ……こっ、ここ、こんなはずが」


 身の丈も横幅も、ゆうにひとまわりは上回る巨漢が。涙を滲ませ、苦悶に喘いでいた。

 シドが手首をぐるりとひねると、両腕を捻られた男の口から、潰れた悲鳴が上がる。


「――ただ、何て言うかその子、結婚の予定が控えてる子なんですよ。

 酒の上の乱行というのは、まあ荒事商売で血の気の多い冒険者ですし、起きてしまうことなのかもしれませんけど……なので、できればその分は、どうか彼女へ詫びてもらえないかな、と。ダメですかね?」


「やっやめ……たた助けてくれ、手がぁ! 手がっ、潰れ……っつつ、つぶれれれれ!」


 ひねられた腕は、もうろくに力も入っていない。

 逃げることも振り解くこともかなわず、男はもはや、いやいやと首を振って涙と鼻水をまき散らしながら、悲鳴混じりで喚くしかできなくなっていた。


「――すまなかった、詫びるよ。仲間の無礼を許してやってくれ」


 そう言って――


 席を立ったのは、一行のリーダー格と思しき男だった。

 先程、テーブルの仲間達が大笑する間も、ひとりだけ冷然と沈黙を保っていた男だ。


 黒衣の上下と黒の外套マント、それから腰に下げた長剣以外は、取り立てて目立つところもない男だったが――服の上に、黒く染めた革と鎖の防護具プロテクターを身に着けていた。


「ゆ、ユーグっ! リーダー! た、だずげ……いぎぃいぃ!?」


「いえ、あの……俺に詫びられても困ると言いますか」


「成程。確かに道理だ――申し訳なかった、お嬢さん」


 男はターニャの傍らで片膝をつくと、へたりこんだ彼女の手を取って金貨を握らせた。

 自由商業都市メルビルを中心に広く流通するメルビル金貨。これ一枚で、平均的な四人家族なら一ヶ月食べていくのに困らない額になる。


「――仲間の非礼を詫びさせてほしい。これは俺から、せめてもの誠意だ」


「ユーグ! ユーグっ……はやぐ、だず……げでええぇぇ……!」


「……そろそろ手を離してやってくれないか。さすがに悲鳴が耳障りだ」


「え。あ。そうですね――じゃあ、これで手打ち、ということで」


 あっさり事が落着したのに、安堵と共にむしろ拍子抜けしかけながら。

 シドは男の手を放してやる。うの体でシドから離れた男は、ひいひいと涙混じりの息をつきながら黒衣の男へ礼を言う。


「す、すまねえユーグ。助かったぜぇ……! ありがとよ、今からあのオッサンたたんでみせっから」


「なに」


 ――その、男のどてっ腹に。

 ユーグと呼ばれた男の靴底が突き刺さった。


「ぐ……ぇげぇえ……!?」


「な──」


 くの字に体を折って、その場に膝をつき。男は腹を抱えてその場に頽れ、ついさっきまでで飲み食いしていたものをのきなみ床に吐き戻してしまう。

 びしゃびしゃと汚い音と嘔吐の呻き、いやなにおいが広がる中――黒衣の男は仲間の頭を踏みつけ、吐き戻したばかりの吐瀉物にその顔を押し付けた。


「ごぉっ、ぃっ、ぎ!? り、リーダぁ、ユーグっ……! いでぇ! いで、やめで、ぐげえぇ!?」


「この頓馬とんまめ。恥をかかせやがって……威勢ばかり軒昂で、相手の得物もろくに見えなかったのか」


 冷然と言い放ち、涙目で哀願する仲間の頭を靴底で踏みにじる。

 テーブルを囲むほかの冒険者たちは、青い顔で完全に言葉を失っていた。


 黒衣の男――ユーグが見ていたのは、壁に立てかけられたシドの剣。柄頭まで含めればシドの身の丈ほどにもなるだろう、長大な両手剣ツヴァイハンダーだった。


「あのでかい得物を振り回すのに、どれほどの握力が要るものか……どれほどの腕力が、全身の膂力りょりょくが要るものか。前衛フロントのお前が、これっぽっちの想像もできなかったってのか、おい。ええ?」


「やめ、でぐれぇ! すまねえぇ……! たったた頼む、俺がわるがっ、ああ浅はかだっだぁ! 許してぇ……ゆ゛る゛じでぐれ゛えぇぇ……!!」


 潰れた喚きを上げつづける男に、ターニャが「ひっ」と悲鳴を上げる。


「おい、もうやめろ! そいつはあんたの仲間だろ!」


 さすがに見ていられず、シドは黒衣の男を止めに入る。

 

 男は冷めた目でシドを一瞥すると、足元で喚く仲間の顔面を蹴り抜いた。


「……卸したての靴にゲロがついたじゃねえか。糞が」


 盛大に舌打ちした男は、泡を吹いて気絶した仲間の服に爪先をねじ込み、靴にこびりついた吐瀉物を拭く。


「自由商業都市メルビルの冒険者パーティ、《ヒョルの長靴》のユーグ・フェットだ。あんたは?」


「……シド・バレンス。今は一人ソロの冒険者だ」


「一人? どうも見る目というやつがないらしいな、この街の冒険者どもは」


「パーティが解散してこっちに戻ってきたばかりだ。この街の冒険者を悪く言うのはやめてくれ」


 抗議するシドを、ユーグは鼻で笑った。


「そうかい……まあいいさ。シド・バレンス、そこのでかい得物を持って表に出ろ。この店の迷惑になりたくないならな」


 顎をしゃくり、宿の外――真昼の往来を示す。


「あんたにとっちゃただの災難だろうが、やられっぱなしはパーティの評判に関わる。この頓馬とんまも、一応は『仲間』なんでな――やられたぶんの意趣返し、この場でさせてもらおうか」

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