02.久しぶりに帰ってみたものの、「お前にやる仕事はねえ」と言われてしまった件


 シド・バレンスは今年三十七歳。

 冒険者歴二十余年のベテラン冒険者である。


 《大陸》中部ではありふれた焦げ茶の髪と、のどかな垂れ気味の目におさまった同色の瞳。ひょろりとした体躯に洗いざらしのありふれた服を着こんだ、温和な雰囲気の中年男だ。

 服の上に着こんだ鎖帷子チェインメイルと、その背に負った身の丈に迫る長さの両手剣ツヴァイハンダー――このふたつがなければ、町のどこにでもいる程度にはありふれた中年以上の何かには見えないだろう、そんな男だ。


「ねえ、シド。あなた本当に大丈夫なの?」


「へいきへいき。大丈夫だって」


 ひとりウェステルセンから旅立つシドに最後まで食い下がっていたのは、美しい森妖精エルフの娘――《真銀の森》部族長の娘であるフィオレだったが。

 とはいえ、旅立つシドを気づかわしげにしていたのは、他の仲間達も同様だった。


「や……やっぱり申し訳ないっすよ、オレ! エルレーン公にはまだ返事してないですし、仕官ならまた別の機会あるかもですし、オレはシドさんと一緒に」


「駄目だ、アレン。せっかくのチャンスをふいにしちゃいけない」


 厳しく。躾けるようにぴしゃりと、シドは少年剣士を窘めた。


「他にも仕官の声がかかるアテがあって、そちらと比べて慎重に検討したい――とか、そういう余地があっての留保なら俺だって止めないよ。けど、俺みたいなのに余計な気兼ねや義理立てして、みすみす夢を叶える機会を放り出すつもりなら、それは駄目だ。馬鹿な真似しちゃいけない」


「でも……」


「第一、ミリーをひとりで行かせるつもりかい? 留学使節団なんて、間違いなくアカデミーから選び抜かれた俊英エリートの集まりだぞ」


 シドは言う。


「ちいさい頃から英才教育みっちり受けて、その中からさらに厳選されて、矜持と自尊で鼻っ柱を高くした魔術師達だ。エルレーン公からの推薦があるとはいえ、在野の、それも魔術師見習いが真っ当に受け入れてもらえて、きちんとやっていけるだなんて、そんな保証はどこにもないんだ」


 これはさすがに、卑怯な言い草だったかもしれない。

 事実、アレンは目に見えて言葉に窮した。


「もちろんミリーの実力なら、彼らと比べて力不足ということは決してないと思う。けど、使節団の人間関係はまた別の問題だ――知らない集団の中で、ひとり知り合いがいるってだけでも、気持ちは大きく変わるものだよ。一緒にいてあげな」


「……でも、シドさん。オレが仕官の誘いを貰えたのは」


「なぁに、安心しろって! 見てのとおりのくたびれたおっさんだけど、そのぶん長く冒険者やってるんだ。パーティの解散だって今回が初めてなんかじゃなし、それに自分の拠点ホームへ帰れば、新しい仕事くらいいくらでも回してもらえるんだからさ。な!」


 すっかりしょげてしまったアレンの肩を、シドは力強く叩く。


「そうよ、アレンはちゃんと自分の夢を叶えるべきだわ。彼と行くなら私が」


「いや、フィオレだって帰らなきゃだろ。その――早く故郷の森へ持ち帰ってやらなきゃじゃないか」


「そんなの後回しでかまわないわよ! せめて、あなたの今後を見届けてから」


「今のフィオレが第一に気にすべきは、故郷の森へ帰る途中でその杖が盗まれずに済むかってことだよ」


 こちらにも、敢えて厳しく。シドは声を潜めて指摘してやる。


「――その杖の、の奪還。それがフィオレに与えられた役目だったはずだ。違うかい?」


「それは……」


 一年あまりの冒険を経てどうにかこうにか取り戻せたとはいえ、フィオレが持つトネリコの杖は、伝承にもうたわれる《ティル・ナ・ノーグの輝石》、そのひとつだ。


 はるかないにしえにこの世界から別たれた、あらゆる妖精種の故郷とされる土地――今は封ぜられたる異世界に存在するという妖精郷ティル・ナ・ノーグへ渡るための『鍵』たる杖を盗まれたという事実は、大陸最大の森妖精エルフ部族たる《真銀の森》の存続と尊厳そのものを揺るがしかねない大事件であった。

 そして、その不名誉を拭うべく極秘裏に杖の奪還を命じられたのが、族長の娘であるフィオレだったのだ。


「フィオレだって森に帰りたがってたじゃないか。ようやく胸を張って帰れるんだから、この期に及んで変な気なんか遣ってちゃだめだ」


「いつの話してるのよ! それに、あなた達は――ううん、あなたは、そのせいで」


「仔細を承知したうえで同行した冒険だ。それに、そのぶん報酬はしっかり貰ってる。だから、フィオレが負い目に思うようなことなんて何もない――そうだよな? バートラド」


「ああ」


 冒険の間パーティのリーダーを務めていた屈強の神官戦士バートラドは、苦い顔で首肯した。


「それは無論のことだ。おれ達は皆、『杖』にまつわる件を承知のうえで一緒に旅をしてきた仲間だ。だが、シド――」


「そう、つまりはそういうことだ。じゃ、そういう訳で俺はもう行くよ。たしかバートラドとフローラは、ランズベリーの聖堂に戻るんだよな?」


「……そのつもりだ。あそこがおれとフローラの仕える聖堂だからな」


「なら、そのうち子供の顔を見せてもらいに行くよ。フローラ、身体を大切にして、元気な子供を産みなよ」


「ええ、シド。きっと訪ねていらしてね。あなたも――」


「ああ、こっちはこっちで何とかぼちぼちやるよ。あと、みんな覚えてくれてるとは思うけど、俺の所属はミッドレイの《諸王立冒険者連盟機構》支部だから、近くに寄ったら訪ねてくれ。田舎かもしれないけど、景色の綺麗ないいところだよ」


 にこにこと笑顔を拡げたまま、しっかりと口を締めた背嚢を背負い。

 シドは手を振って、仲間達への別れを告げた。


「それじゃあ! みんな、達者で!」


 揚々とした足取りで、雑踏の中へと紛れてゆくシド。

 ――その背中を見送る五人の表情は、一様に暗かった。


「……ほんとうに大丈夫ですかね、シドさん」


「だといいんだが」


「あのひと……冒険者としての実績を積んで、階位クラスを上げるために、ウェステルセンまで出てきたって言ってたのに」


「ああ。おれも聞いた。たしかにそう言っていたよ」


 アレンとミリーが口々に言うのに、フィオレはただただ項垂れ、バートラドは力なくかぶりを振るしかできなかった。

 彼らの胸には――フローラも含めて――二枚の羽根に車輪を重ねた、ひとつのバッジが光っている。


 加護の術式を付与された銀星晶ステアライトが輝くそのバッジは、大陸諸国に広くそのネットワークを広げる《諸王立冒険者連盟機構》、そこに身を置く正式な冒険者であることを示す紋章エンブレムである。


 連盟に身を置く冒険者は、実績に応じて階位クラス分けがなされている。それは即ち、冒険者としての実力と実績を、分かりやすく示すものだ。

 冒険者になりたての青銅ブロンズが一番下。そこから順にカッパーシルバー水銀マーキュリーゴールド白金プラチナ琥珀アンバー翡翠ジェイド――そして最上位たる聖霊銀ミスリルの九階位。


 もっとも、九階位とは言っても琥珀アンバーより上は伝承として吟遊詩人たちに歌い継がれる英雄・英傑の領域にある。

 金階位ゴールドまで昇り詰めれば紛れもない一流。

 白金階位プラチナともなれば、冒険者たらんと志す者が仰ぐいただきの域だ。


 バートラドとフローラは金階位ゴールド。夫婦ともに、この国クロンツァルトでも一流として位置づけられる冒険者だ。


 アレンとミリーは水銀階位マーキュリー金階位ゴールドに比べれば格は落ちるが、ふたりが冒険者になって二年にもならない少年少女であることを思えば、将来性も含めて一目置かれる抜きん出た存在という評になる。


 フィオレは最も格落ちの銀階位シルバー。『銀を掲げて一人前』という言い回しからうかがえるとおり、冒険者としてはようやく一人前として認められる程度だ。

 だが、彼女は冒険者として登録してから一年にもならない新米である。もともと冒険者として名を挙げるつもりもなく、探索の旅の利便を求めて冒険者になった彼女の立場を思えば、この階位は十分以上の身分であっただろう。


 そして、シドは――――銀階位シルバー


 階位こそフィオレと同格だが、彼は長く冒険者としてやってきたベテランだ。

 そして、、シドは大きな問題を抱えている。それも、少なからず深刻な。


 冒険者として真面目に真摯に務めていればまず間違いなく到達できる銀階位シルバーに二十年以上とどまっているということは、畢竟ひっきょう、それ以上に昇格できる冒険者としての実績――それに値する冒険をできずにいるということ。その事実の証左とからだ。


 長くつけて雨風に晒されていたせいだろう。銀で作られたシドのバッジは古びてくすみ、陽を返してぴかぴかに光り輝くフィオレのそれと比べて見る影もない。


「本当に、大丈夫なのかしら……」


 フローラがぽつりとひとりごちたそのことばに返る声はなく。


 フィオレは上着の胸元を強く掴み、胸を詰まらせる感情に桜色の唇を噛んでいた。



 クロンツァルトの王都ウェステルセンから、馬車と徒歩の旅を継いで十日あまり。

 中原地方と中原以東を分断するパーン山脈を西方に臨む片田舎の小都市、ミッドレイ。

 メンベンドール男爵領の領都にして、都市と呼びうる下限に位置するのどかな小都市が、シドがその籍を置く《諸王立冒険者連盟機構》支部のある、彼の拠点ホームだった。


 まる一年と数か月ぶりになるシドの帰還は、驚きをもって迎えられた。


 久方ぶりに顔を合わせる馴染みの冒険者や、不在の間に加わったらしい新顔の冒険者と気さくな挨拶など交わしながら、カウンターに不機嫌な顔を見せていたミッドレイ支部の支部長――樽のような体つきと豊かな口髭が特徴のドルセンのところへ向かう。

 齢六十に手が届こうかというこの支部長は、シドが新米だった頃からこの支部の支部長を務めている、古くからの馴染みだった。


「やあ、ドルセンのおやっさん。帰ったよ」


「……シドか」


 戻って早々だが、ひとまず次の仕事のあてがあるかを確かめておきたかった。何せ、フィオレからの報酬があるとはいえその大半は現物支給で、今のシドは現金の持ち合わせに乏しい。

 当座の資金が得られる仕事があるなら、せっかくの貰い物の換金を考える前にそちらの方をあてにしたかったのだ。


 だが――



「おめえにやる仕事は、ねえ」



 へらりと愛想笑いするシドを、不機嫌に睨み上げて。


 古馴染みの支部長は開口一番、にべもなく撥ねつけた。

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