くすんだ銀の英雄譚~おひとよしおっさん冒険者のセカンドライフは、最大最難の大迷宮で~

遠野例

一章 三十七歳おっさん冒険者。今日この時が、新しい旅立ちの日。たぶん。

01.パーティが解散することになってしまったんだけど、祝い事が重なったせいなので誰のことも責められない


「では、此度こたびの仕事の――何よりフィオレの探索の旅、その完遂を祝って」


「「「「「かんぱーい!!!」」」」」


 声を合わせて、木製のジョッキを打ち合わせる。

 並々と満ちた飲み物は麦酒エールから果汁まで様々だったが、冒険の完遂を祝う心は、みな同じだった。


 《大陸》の四方を繋ぐ大動脈たる、大陸交易路の結節点。そのひとつ。

 《十字路の国》クロンツァルトがその絢爛をもって誇る王都にして商都、ウェステルセン――その下町の片隅、緩い坂を下る路地にひっそりとおさまった、酒場兼冒険者宿である。


 仕事上がりの冒険者達が集い、賑々しい熱気で充ちた酒場パブの片隅。その六人連れの冒険者パーティもまた、大きな丸テーブルいっぱいに並んだ温かな夕食を囲んでいた。


 パーティ最年長の冒険者であるシドは、剣士のアレンと魔術師のミリー――彼と対照的にパーティでいっとう若い、奇しくも揃って十五歳の少年少女が猛然と料理をがっつき始めるのを、微笑ましく見遣っていたが。

 ふと、隣に座る森妖精エルフの娘の表情が安堵で緩んでいるのに気づき、微笑ましげにしていた眦をいっそう緩めた。


「お疲れさま、フィオレ。おめでとう」


「え?」


 当の森妖精エルフの娘は、横合いからかけられた声にびっくりしたように、僅かの間、睫の長い目をきょとんとしばたたかせたが。

 程なくやわらかい笑みを広げ、シドのそれとジョッキを軽く打ち合わせた。


「ありがとう、シド……あなたこそ、お疲れさま」


 見た目、人間であれば二十歳に満たない年頃の若い森妖精エルフの娘――と言っても、人間よりはるかに長く生きる森妖精たる彼女の、実年齢を聞いたことはなかったが――フィオレは、布にくるんで大切そうに抱えた長物をてのひらで撫でながら、睫の長い切れ長の目を、くすぐったげに細めた。


 ――パーティのリーダー、乾杯の音頭を取ったぬしでもある神官戦士バートラド。

 ――バートラドの妻で、夫と同じく聖堂の神官戦士であるフローラ。

 ――クロンツァルトの騎士を志す、快活で無鉄砲な少年剣士アレン。

 ――没落した魔術師の家に生まれ育った、勝ち気な魔術師見習いの少女ミリー。

 ――盗まれた部族の秘宝、その奪還を族長より命ぜられ旅をしていた森妖精エルフの娘、フィオレ。


 そしてパーティの最年長、冒険者歴二十余年のベテラン冒険者たる彼、シド。

 焦げ茶の髪と瞳。ひょろりと痩せた体躯のせいか、あるいは洗いざらしの服のせいか、どことなくくたびれた風体の彼は、いくぶん遠慮がちにしながら、森妖精エルフの娘へ問いかけた。


「もし俺の気のせいだったら、笑ってくれていいんだけど……なんだか浮かない顔してないか? ようやくそのを取り戻して、胸を張って故郷の森へ帰れるっていうのに」


「……そうね」


 フィオレはテーブルを囲む冒険者達を見渡した。


「あなた達との冒険もこれで終わりなんだな――って思ったら。そしたら、今までの旅も悪くなかったなぁって」


 肩口で切りそろえた、輝くような直毛ストレートの金髪と、翠玉エメラルドの碧眼。ぴんと先の尖った長い耳と、旅の埃に塗れてなお白い珠の肌をした美しい森妖精エルフの娘は、慣れない麦酒エールで火照った息をつく。


「この杖――《ティル・ナ・ノーグの杖》を盗まれて、その咎を負って追放同然に放り出された旅だったはずなのに。なのに、こうして杖を取り戻した今は、もう少しこの旅をしてもよかったなぁ……なんて、ね。今更そんな風に、思えてきちゃって」


 我ながら現金よね、と。

 鈴を鳴らすような声で笑い、フィオレは自嘲の息を零す


「私ひとりじゃ、とてもこんな探索はかなわなかった。これを取り返せたのは、みんなあなた達のおかげみたいなものなのに――ほんと、虫のいい話だわ。現金なのよね、我ながら」


「いいや、そんなことない。いいことだと思うよ、フィオレ。それは」


「……そう?」


 「ああ」と、シドは頷いた。


「いいことだよ。終わってから振り返って、終わってしまう名残を惜しめるのは。『思い出したくもないような辛い旅だった』だなんてうんざりするより、ずっといい」


 シドは強く、心から言う。そして、


「俺も嬉しい。きみとの旅は楽しかったから」


「うん……ありがとう」


 フィオレは、ちいさく笑った。

 ほんのり薄紅色に紅潮した、とても綺麗な微笑みだった。


 ――彼女フィオレの部族に、遥かいにしえより受け継がれた至宝。

 この世に三つ存在するという《ティル・ナ・ノーグの輝石》。そのひとつを宿したトネリコの杖を取り戻すため、フィオレはこの一年、シド達と一緒に旅をしていた。


 そも、この六人パーティそのものが、行きがかりでフィオレの探索に手を貸しはじめた五人の冒険者の、行きがかりで成立した寄り合い所帯だった。

 なりゆきから始まったパーティ。一年に渡って続いた探索の旅。

 本当に偶然から始まった関係だったが、いいパーティになったと思う。


 振り返れば、シドの胸にも名残りを惜しむ心がこみ上げてしまう。少なくともフィオレとの冒険は、今日この日の祝いをもってその幕を降ろすのだ。


「最後の鶏肉いただきー!」


「あぁ!? なにすんだよミリー、それオレの肉だろぉ!?」


「ざんねーん、そんなの決まってないし早いもの勝ちデース。ん-、おいしー♪」


「くっそー……ならオレも最後の揚げじゃがいただきっ!」


「ちょ。それこそ、あたしのぶんじゃん!」


「そんなの決まってないし早いもの勝ちデース。あー、揚げじゃがうめぇー」


 ミリーとアレンが、料理の取り合いで角突き合わせている。

 今日に限らず、また料理の取り合いに限らず、同い年であるこの二人のじゃれあいは、よくあることだったが。


「なによアレン、それ仕返しのつもり!? 男のくせに度量ちっさいわねぇ!」


「はー!? よっくもぬけぬけと! 先にがっついたのミリーじゃないかよ!!」


「はいはい、ふたりともそこまで。今夜はフィオレちゃんのお祝いなんだから、つまらないケンカなんてしないの。ほら、お料理なら追加を頼んであるわ」


 ――と。おっとりと仲裁に入ったフローラが、ちょうどウェイトレスが運んできた追加の鶏肉と揚げじゃがを受け取って、二人の前にどんと置く。

 できたて料理の湯気に乗って、香辛料の香りがテーブルいっぱいに漂う。

 少年少女はばつの悪そうな顔でお互いを伺い、それから揃って新しい料理を取り分けはじめた。

 リーダーであるバートラドも暖かくまなじりを細めて、そんな風にまだまだ子供っぽさの抜けないふたりを、微笑ましく眺めやっていた。



 ――やがて。

 宴もたけなわとなった頃。

 アレンがおもむろに、「あの」と切り出した。


「こんな時に言うのも難ですけど……聞いてもらっていいですか」


 珍しく神妙な様子のアレンに、シド達は傾聴する姿勢を取る。


「実はオレ、エルレーン公から仕官のお誘いをいただきました。自分に仕える騎士にならないかって」


「エルレーン公から? そいつはすごいじゃないか!」


 バートラドが真っ先に祝福の声を上げる。


 エルレーン公は、クロンツァルトが誇る騎士団が一つ――南星十字騎士団の惣領にして現国王の側近、王立アカデミーに名を連ねる理事のひとりでもある。今回の探索の旅の中で偶然にも縁を得た――この国において指折りの貴公子だ。

 アレンは「はい」と頷く。


「オレ……仕官して騎士になるのが夢でした。だから、今までお世話になったシドさんやバートラドさん達にはまだなんにもお礼を返せてなくて、申し訳ないばっかりなんですけど。でも……できればこのお誘いを、受けたいって思ってるんです」


「馬鹿言え、何が申し訳ないもんか! アレンの夢がかなうんだろ? 胸を張って誘いを受けるべきだ。なあ、みんなもそう思うだろ?」


 シドは心から激励した。アレンはまだ心苦しげにしていたが、仲間達の間から彼の離脱を咎める声が上がることはなく――むしろ、若い仲間へのあたたかな祝福の微笑みがあった。

 ひとりを除いて。


「あの。実はあたしも公爵さまからお誘いをいただいているんです。王立アカデミーの交換留学に参加して、グランズベイル契法学院へ魔法を学びに行かないかって」


 ミリーだった。

 一人前の魔術師になって、没落した家を再興するのが、彼女の夢だった。


「グランズベイル――って、あの《頂なる魔法国ディオ・クラウド》の!? 大陸ぜんぶ見渡しても、魔術教育の最高峰ってくらいのとこじゃないか!!」


「すごいわ、ミリー! あ、でも女の子一人で長旅なの? いくらあなたでも、ちょっと心配だわ……」


「いえ、それはへいきです、フィオレさん。あたし一人じゃないので。公爵さまの推薦で、アカデミーの留学使節団に入れてもらえるっておはなしですし……それに、アレンも来てくれるから」


「騎士になったら、最初の仕事はエルレーン公の随員で留学使節団の護衛ってことになってるんです。だから、ミリーの交換留学にはオレも一緒で」


 なんとなくのむずがゆい緊張を伴いながら、互いを見かわすふたり。

 きちんとお互いの視線を合わせられない初心うぶな少年少女の様子に、シドはほっこりとしてしまう。


(若いなぁ……)


 旅の間、何かと角突き合わせるふたりだったが――この少年少女がお互いをどう思っているのか。どう思いあうようになったのか。

 シド達のような周りの大人らからは、手に取るように察しがついていた。


「そっかぁ……なら、フィオレとだけじゃなくて、アレンやミリーともこれでしばしのお別れか。寂しくなるなぁ」


 若者たちの旅立ちは祝福されて然るべきもの。

 さりとて、それを見送る大人の側からすれば、一抹の寂しさはぬぐえない。しんみりと麦酒エールを煽るシドは、ふと流れてきた重々しい空気を感じてそちらを見遣る。


 バートラドとフローラだった。

 今にも「どうしよう」と言い出さんばかりの様子で、お互いの顔を窺っている。


「バートラド? フローラ?」


「どうしたの、ふたりとも急に。顔色がよくないわ」


「……シド。すまない」


 唐突に、バートラドが頭を下げた。


「へ?」


「おれ達もなんだ。今回の一件が落ち着いたら、冒険から離れるつもりでいた」


 頭を下げる夫の隣で、フローラは目に見えておろおろしていた。温厚で落ち着きのある、神官の鑑のような彼女としては、あまりに珍しいことに。


「そう、だったのか? いや、しかし、そりゃまた何で」


「妊娠したんだ……フローラが」


「子供ができたのか!? そりゃめでたい!!」


 シドは思わず席を蹴って立ち上がり、そのまま飛び上がらんばかりの歓声を上げた。

 この夫婦が長く子供に恵まれず、そのことで密かに悩んでいたのを――旅の最中に聞いていたからだ。


「なんだよ、揃って青い顔してるから一体何があったかと思ったら。よかったじゃないか、ふたりとも! ああ、それなら、もう冒険者なんて続けてる場合じゃないよな、お腹の中の子供が一番大事なんだから。どっかいいところに落ち着いて――いや、ふたりとも神官だから元いた聖堂に戻るのか? 何にせよ、フローラは体をいたわらなくっちゃ」


 ――と。

 そこまで、ひとしきりはしゃいだところで。

 シドは自分を見る、仲間達のひどく気まずげというか、痛ましげというか、とにかくそんな感じの視線に気がついた。


「……なに? どうしたんだ、みんな。急に黙っちゃって」


「シド……まさかと思うが、気づいてないなんてことないよな?」


「なにが?」


「フィオレの旅は終わった。アレンとミリーは夢を叶えてパーティから離れる。おれとフローラは、子供のために冒険者をやめる……」


 バートラドは、ひとり明るいシドを、重々しく見上げて。


「お前は、どうするんだ……?」


「俺?」


 笑顔のまま、呆けたように。

 テーブルの仲間達を見渡し、酒精で浮ついた頭をどうにかこうにか動かして――



「……あれ?」


 そして、遅れながらに気づく。そう。



 ――パーティ、解散。



 で、あった。

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