そして俺は通訳になった

浦賀にメリケン海軍の提督「ペルリ」という者がやってきて、幕府に開国を要求したとのこと。


確かにメリケンは、日本の近くまでやってきて、捕鯨をさかんに行っている。

俺が今、こうして生きていられるのも、あの時、メリケンの船が日本の近くに来ていたからだった。

メリケンの捕鯨船は、広いぱしひこを渡ってやってくるので、水や薪などの補給が必要となる。

そのため、日本に港を開いてもらい、メリケンの捕鯨船が寄港できるようにしてほしいとのことであった。


俺は、メリケンの捕鯨船に命を助けられた身だ。

そして、船長の好意でメリケンにも渡らせてもらい、日本では学べないようなことをたくさん学ばせてもらった。

あのとき、日本が開国していれば、俺たちはすぐに日本に帰れたかもしれない。

もっとも、俺の場合は日本に帰れなかったからこそ、英語やさまざまな学問を学ぶことができたわけだが。



俺は思った。

日本は早く開国するべきだ。

そして、進んだ技術や考え方を取り入れるべきだ。


しかし、鎖国を続けるべきだ、という声も根強かった。


「攘夷」といって、外国船を打ち払い、鎖国を守り続けようという勢力もあり、開国派との争いが絶えず続いていた。


幕府は、ペルリと交渉するために英語が話せる人材を欲していた。

土佐にメリケン帰りの者がいると聞きつけた幕府は、さっそく俺を江戸に招いたのだった。


そして、俺は幕府お抱えの通訳となった。


俺は、武士の中でも「旗本」という身分になった。


さっそく、英会話の本の執筆に取り掛かった。

また、英語を話せるようになりたいという志士たちへの、英語教育も始めた。



安政元年、幕府は再びやってくるペルリに対し、開国するかどうかの返事をすることとなった。

日本は鎖国をしているが、阿蘭陀オランダとの貿易は続けていた。

よって、幕府には既に、阿蘭陀オランダ語の通訳はいたのだった。


一方、英語の通訳は俺だけ。


ペルリとの交渉での通訳は、当然、俺に任されるのだと思っていた。


しかし、俺は濡れ衣を着せられた。


阿蘭陀オランダ語の通訳をしていたやつが、俺のことを「ペルリが送り込んだ密偵」だと報告したのだった。

昔からいた通訳たちは、突然現れた俺に通訳の手柄を取られるのを恐れたのだろう。


こうして、俺は謀略にはまってしまい、ペルリとの交渉の通訳から外されてしまったのだった……


もちろん、俺は密偵などではない。


幕府は伏魔殿だった。


日米和親条約締結の通訳にはなれなかったが、俺の船に関する知識はその後も重宝された。

なにせ、数カ月間、船上で生活した経験があるからだ。



俺は、勝海舟や福沢諭吉らと共に、咸臨丸かんりんまるに乗って、西欧に派遣されることとなった。



咸臨丸は、俺たちを乗せて東へ東へと進んでいく。

俺は、夜明け前の海を見つめていた。


太平洋ぱしひこの水平線が、だんだんと明るくなっていく。


そして、海の向こうから眩しい太陽が昇ってきた。



日本も夜明けを迎えるだろう。


異国に向かう船の中で、俺はそう思った。



< 了 >


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

通訳になりたい!(とある漁民の波乱万丈物語)【実話】 神楽堂 @haiho_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画