最終話
青青としていた草が枯れ始め茶色く変わる。草原は乾季を迎えていた。
冬支度をする前に
「じゃあ、おとっつぁん、おっかさんも元気で……」
「
「もう、おっかさんは心配性だね。大丈夫だって言ってるじゃない!」
玉蘭は馬にまたがったまま北の方角を眺めた。もう出発しなければいけなかったが、最後にもう一度だけ、あの人に会いたいと思った。
それに天が応えたのだろうか。
「……え」
娘は自分の目を疑った。草原の向こうから、黒衣をまとった主がものすごい速さで駆けてくるのが見えた。
この時期、この場所にその姿が現れたことはなかったというのに。
「
瞬く間に彼はあっけにとられる玉蘭の前に立ち、両手を差し出した。
「行くな……! そなたは我の唯一、我の”つがい”だ……!!」
黒翠が懇願する。いつにない必死な表情。
玉蘭は一瞬何を言われているのかわからなかった。
”つがい”の意味は。
「黒翠様……その……もしかして……成人、されたの、ですか……?」
信じられないと思いながら、玉蘭は尋ねた。確かあの時、成人まではあと2~3年あると言ってはいなかったか。
「ああ、そのようだ。待たせてすまなかった。どうか我と共に来てはくれまいか……」
そんなつらそうな表情を見たのは初めてだった。玉蘭の目がうっすらと潤む。
「でも、私……」
「そなたが誰かと結婚すると御母堂から教えてもらった。だが、我はそなたでないとだめなのだ。どうか……」
本当はすぐにでもその大きな手を取りたかった。けれども玉蘭は1人ではない。いくら両親が伝えてくれたとはいえ、そのあとを考えると手放しで喜ぶことはできなかった。
その背中を押したのは、父親で。
「行きなさい。相手方には、わしらが謝っておくから」
「でも、おとっつぁん……」
一度は嫁に行くと言ったのだ。ことはそう簡単にいかないことぐらい玉蘭でもわかる。
「いいんじゃ。お前は眷属様を好いているだろう」
けれど父親は首を振った。
「だけど……」
「行きなさい」
寂しそうな、それでいてほっとしたような父親の顔を見て玉蘭はそれ以上何も言えなくなる。
「子の幸せを、願わぬ親がいるものか……!!」
父親の慟哭にも似た叫びを聞いた途端、黒翠は玉蘭を馬から下ろし、絶対に離さぬとばかりにきつく抱きしめた。
「相手方には我が直接謝罪に参ります。今までこちらの事情で振り回して申し訳ありませんでした。この償いはいずれ……」
それに玉蘭の両親は首を振った。
「いいえ、いいえ……娘が、玉蘭が幸せになってくれればそれで……どうか……どうか……」
「はい、必ず幸せにします……!!」
黒翠の力強い断言にとうとう両親は安堵の涙を流したのだった。
その日のうちに黒翠は準備を整え、己の両親、玉蘭と共に彼女が結婚する予定だったという家に向かった。
そこで玉蘭が己にとって”つがい”だということ。”つがい”というのは四神の眷属にとって一生に1人だけしか存在しないのだということを説明し、丁寧に謝罪した。
相手方はその誠実さにほだされたようだった。
玉蘭より2つばかり年上の青年。
彼は優しい笑みを浮かべ、こう言った。
「僕から花嫁を奪うのです。必ず彼女を幸せにしていただくと約束してください」
「はい、もちろん約束します」
いい人なのだと玉蘭は思った。
初めて顔を合わせた自分のことを案じてくれるぐらい、青年は誠実な人だった。
でも、玉蘭は黒翠に恋してしまった。
(どうか、この方も幸せに……)
黒翠と共に深々と頭を下げながら、玉蘭は心からそう願った。
2人は両親と玄武の眷属たちに見守られて結婚した。
玉蘭は黒翠が彼女を玄武の領地に連れて行くのだと思っていたが、予想に反し彼は草原に残った。
「玉蘭、我ら四神の眷属は元々子ができにくい。そなたの両親が生きているうちに孫を見せてやれる保証はない。だからせめて、そなたを育んだこの地で我も生きていきたいと思う」
「黒翠様……!!」
玉蘭を”つがい”だと結婚してくれただけでなく一時的とはいえ婿入りまでしてくれた。
この方と生きていく。
ずっとずうっと。
玉蘭は涙をこらえることができなかった。そんな妻を、黒翠は優しく抱きしめた。
* *
10年後2人に第一子が産まれた。
玉蘭の両親はことのほか喜び、同じ玄武の眷属たちも祝いに訪れた。
眷属と人の間に産まれた子もまた眷属である。けれど変わり者のその子どもは母である玉蘭の両親が亡くなってからも草原で暮らすことを望んだ。
それから約140年が経ち、とうとう四神の花嫁が降臨したとの報があった。
「ねぇあなた。黒月が花嫁様の”守護”になったってことは、あの子は一生花嫁様の側に付き従うってことよね?」
「そういうことになるな」
甘えるように肩に頭をもたせかけている妻に黒翠が応える。
「そう……なら花嫁様が玄武様と結婚してくれたらいいわね。そうしたら黒月もこちらに戻ってきてくるでしょう?」
妻らしい言葉に黒翠は口元に笑みをはいた。
「そうだな」
玄武はどうあれその花嫁は人間である。
四神(玄武・朱雀・白虎・青龍)のうちの誰をまず選ぶのかは花嫁次第。
けれどそんな未来を想像するぐらいは許されるだろう。
「そうだわあなた! もう少し暖かくなったら息子に会いに行きません? また羊の乳をもらいにいきたいわ」
「ああ、そうしよう」
妻の提案に黒翠は草原の情景を思い浮かべた。
慣れない仕草でお茶を用意してくれた妻を思い出す。
憧れの眼差しを向けてくれていた少女の側にはいつも、沢山の家畜とどこまでも続く草原、そして果ての見えない青い空が広がっていた。
「”つがい”とは関係なく、我はそなたに恋をしたのやもしれぬ……」
そんな夫の呟きを耳にして、玉蘭はまた頬を真っ赤に染めたのだった。
終幕
補足:
四神の眷属の身体能力はハンパないです。チートです(笑)
50歳で成人なのですが、基本長命の為自分の年を厳密に数えておりません。
その為齟齬が起き、玉蘭が切ない思いをすることになりました。
黒翠はその後も妻を溺愛し、たくさんの子宝に恵まれ幸せに暮らしました。
なにぶん「四神」関連作なのでよくわからない箇所がありましたらごめんなさい(汗
2人の恋にお付き合いいただき、ありがとうございました!
参考資料っぽいもの:
キッコーマン国際食文化研究センターのページより
http://www.kikkoman.co.jp/kiifc/tenji/tenji08/mongol00.html
「中国少数民族服飾」 藏迎春編 China Intercontinental Press(書籍)
初恋は草海に抱かれ 浅葱 @asagi
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