蛾と蜘蛛と僕
還リ咲
蛾と蜘蛛と僕
『つまんね 早く打ち切られねーかな』
『信者は帰れよ』
『やっぱ外人はだめだわ国に帰れ』
『きっつ』
高校への通学路。僕はスマホで文字をスワイプし、ネットに放っていく。掲示板、SNSを乗り換えながら、嫌いな相手に対して一番気に障るような言葉を選ぶのだ。
一通り巡り終えたらソシャゲの周回を回し、それにも飽きたらSNSをひたすらリロードする。それの繰り返し。
やっぱり率直な意見を発信するのは、すっきりするなぁ! 心の中で僕は笑う。
そのとき、
プーーーー!!!!
眼の前で、トラックのクラクションがけたたましく鳴った。はっとすると同時に、自分が赤信号にも関わらず道路を横断しようとしていたことに気づく。僕は慌ててトラックの運転手に頭を下げ、歩道に戻る。運転手の顔なんか見れたものじゃなかった。周りの、同じく登校中の生徒達からの視線が痛い。クラスの友達に見られていたら……考えたくない。
はぁ……
下を向いたまま、ため息をつく。憂鬱だ。ただでさえつまらない学校生活の前に、こんな災難に遭うなんてたまったものじゃない。おまけにこの曇天ときた。今日は最悪な日だ。いっそ、あのトラックに轢かれていればとさえ思う。転生した先でスローライフなんかを営みたい。
僕はやり場のない怒りを込めて、路上の小石を蹴る。
てん、てんと歪な軌道を描いた小石は、道路脇の茂みに吸い込まれていった。
小石の五メートルの小旅行を見届けた僕はその茂みから目を離そうとするが、視界の端でなにか蠢くものが目に入った。
蛾だ。
あの不格好な体躯は蛾に違いない。
不思議なことに蛾は移動せずに、同じ場所で羽ばたき――いや、もがき続けている。よく見ると、蜘蛛の巣に引っかかっているようだ。
あんな低次の虫けらに構っている暇無い、そう思って僕はスマホを手に取ろうとする。
しかし、何故かあの蛾から目が離れない。
信号が青に変わった。学校近くの横断歩道だ。多くの生徒達が渡っていく。
それでも、蛾から目が離れない。
青になっても渡らずに、よそ見をして突っ立っている僕は、さっきの信号無視と同じくらい目立っているんじゃないだろうか。少しだけ体を縮める。
ゔ、とスマホが震えた。反射的に通知の内容を確認してしまう。
『あ さんが返信しました:言い返せなくなってて草 やっぱり雑魚じゃん』
いつもは全身の血が沸騰するレスバの通知も、今は冷めた目で見てしまう。スマホをしまう。
やっぱり、彼から目が離せない。
あの蛾は、僕なんじゃないか?
インターネットの情報網という蜘蛛の巣に搦め捕られ、抜け出そうともがいている。抜き身の刀を振り回すけれどその刃はナマクラで、余計に身動きが取れなくなっていく。
せっかく羽化できたのにな、と思う。毛虫から蛹へ、そして成虫として羽ばたくことが出来る個体は、全体の一パーセント以下だと聞いたことがある。
毛虫か。
僕も、毛虫だった。
中学では、周りにうまく馴染めなかった。友達も出来なかった。内心では周りの奴らを見下して、体中に毒針を生やして、うねうねとのたうち回っていた。
勉強だけは頑張れた。というより受験に賭けていた。環境が変われば、僕も変われると思っていたのだ。まるで、毛虫が蛹の中で一度どろどろに溶けてから、成虫の形へと生まれ変わるように。
必死の勉強の甲斐もあって、念願の高校に無事合格できた。百倍なんていう彼らの生存競争の倍率とは、比べ物にならない位の合格倍率だったけれど。
しかし蛹の中から出てきたのは、毛虫にそのまま羽が生えただけの化け物だった。体が重くてろくに空なんて飛べやしない。結局、新しい環境でも僕の習性は変わらなかった。友達はいないし、人とも喋れない。挙句の果てにはインターネットに捕らえられて、その上荒らし回る始末。
姿を重ね合わせることすら、蛾に失礼かもしれない。あの蛾は生きようともがいているけど、僕はもう抜け出そうと思っていすらいない。網の中でもがいて、隣の、同じく捕らえられた哀れな人間を攻撃するのは、ただの憂さ晴らしなのだ。僕を待っているのは、どこにも行けず、何者にも成れずに餓死していく末路だろう。
そのとき、茂みの奥からその巣の主が現れた。
毒々しい色をしたその蜘蛛は、ずんずんとあの蛾に近寄っていく。彼は餓死する前に食べられてしまうのか。
冷や汗が垂れてくる。
どうしたものか。
近寄って助けたいが、蜘蛛の巣に向かって手を伸ばしたりなんてしたら、また変な奴と思われてしまうかもしれない。
あの蜘蛛もそれなりに大きくて、怖い。噛みつかれたらどうしよう。
第一、これ以上遅れたら遅刻になってしまう。
自然の摂理に手を加えるなんていけないんじゃないか、なんて言い訳も出てくる。
でも、蜘蛛の足が彼を捕らえるまであと一歩にまで迫ったとき、
彼の複眼が、僕に助けを求めるようにこっちを向いた。
その瞬間、彼と僕の間に友情が芽生えた、ような気がする。
――待ってろよ、今助けてやる!
考えるより先に、体が動く。
茂みに駆け寄り、蜘蛛を追い払う。思ったより臆病だったようで、奥の方へ逃げていった。
他人の目は気にならなかった。
――初めてできた友達の、命の危機なのだ。いや、さっきから彼、なんて呼んでいるが、メスかもしれない。初めてできた女友達が蛾か。
拗らせ過ぎて、ついにおかしくなったのかと自分を笑う。でも、気持ちのいい笑いだ。
その勢いのまま、彼を蜘蛛の巣から救出する。
手に糸が絡まるが、思ったよりねばねばしていない。彼を傷つけないように、慎重に糸を取り除いていく。手だけでは身体にこびり付いた糸までは取りにくい。ハンカチを出して、拭き取る。
布越しでも伝わる彼の命の鼓動は、僕に生きる気力を与えてくれているようだった。
信号が五回ほどサイクルを繰り返したところで、やっと彼の身体はきれいになった。最初は汚いと思ったけど、なかなか蛾も美しいような気がする。もう、彼の気門を塞ぐものはない。
――もう捕まるなよ?
彼は、そんなのいいから早く出せといった具合に、僕の手の籠の中でばさばさと元気に羽ばたいている。
――じゃあな、頑張れよ!
僕は少しの物悲しさを覚えながらも、手を開いて、彼をこの広い世界へ解放する。
曇り空に向かって、彼はゆらゆらと飛んでいく。
僕にはもう未練がないといった感じだ。僕を捕食者だと思っていたのかもしれない。
でも、いいんだ。
彼が残した鱗粉と糸を拭きながら、周りを見渡す。もうすっかり人はいない。という事は、僕はもう遅刻だろう。
時間を確認しようとスマホを見ると、さっきの通知がまだ残っていた。
『あ さんが返信しました:言い返せなくなってて草 やっぱり雑魚じゃん』
僕はSNSを開き、いつものように指を滑らせる。でも今回は相手が嫌がるような言葉ではなくて。
『俺が悪かった ごめんよ』
彼を放ったように、ネットに言葉を放つ。
『は?』
という返信が来て、相手にはブロックされてしまったけど、心は何故かすがすがしい。
僕の体の毒針も、半分くらい抜け落ちた気がする。もう半分は、これから抜いていかなきゃな。
まず学校に行かなきゃ。そう思ってスマホから顔を上げると、空に晴れ間が出来ていた。
遠くでひらひらと舞う小さな影に、光が差す。
完
蛾と蜘蛛と僕 還リ咲 @kaerisaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます