第11話 令和元年『いずも亭』へGO!

■二〇一九年五月


 すっかり暖かくなり、夏のような青空の秋葉原は活気に満ちていた。

 五月から『令和元年』となり、新たな時代の幕開けを感じさせているかのようであった。


 鉄道の高架のすぐ側に二階建ての小さなビルがあり、その一階は小さなラーメン店になっている。

 五席のみのカウンター席は全て埋まっている。外に券売機があり数人の行列ができている。

 厨房には調理服を着た沢村がいて、食券を客から受け取っては次々とラーメンを作り、客に出している。

「この店なんていうの? 看板とかないじゃない?」中年男性の客が聞いてきた。

「あーすみません、看板がまだ間に合ってなくて。『いずも亭』っていいます」

「いずも亭ね。すっごくうまいよ」

「ありがとうございます!」

 そう言ってくれるととてもうれしい。沢村は思い切って店を始めてよかったと思った。

 この店はつい一週間ほど前に開店したが、それまでの怒涛の流れを思い返す。


 店長からのメッセージを受け取ったあの翌日、会社の早期希望退職制度に申し込んだ。同時にこの建物のテナント募集をしていた不動産屋に駆け込み、契約の話を進めた。さらに内装業者と店舗設計の話を進め、飲食店営業許可の取得、食品衛生責任者の取得も進めた。食材の仕入れも当時の記憶を頼りに調べまくって調達の目途をつけた。麺は老舗で今も続く三河屋に頼めた。生姜も当時と同じものを使い、もちろん深谷ねぎも外さない。

 それで何とか開店ができたのだ。しかし、店の看板の発注が遅れていたため、店名も分からない謎の店となっていた。道を通る人々はこっちを一目見るが首をかしげて通り過ぎていく事が多かった。

 一度、プリンタで店名を印刷した紙を貼っていたのだが、デザイン力の無さであまりに情けなくなり、剥がしてしまったのだ。

 とはいえ、それでも少しづつ客が来てくれるようになった。


 夜になり、閉店時間となった。

 最後の客が去った後、店のシャッターを下げ始める。その時、女性の声が聞こえた。

「あのう……、今日はもう閉店でしょうか?」

 見ると、グレーのスーツ姿の女性が店の前に立っていた。三十代くらいだろうか。

 沢村はシャッターから手を離し、女性の顔を見た。突然、不思議な感覚に襲われた。女性は目に力があり、長めの黒髪で、凛とした雰囲気がある。何故かずっと前から知っている気がする。

 沢村は我に返って答えた。

「あ、いいですよ」

 女性は券売機で食券を購入し、沢村に渡した。カウンターの真ん中の席に座る。

「はい。少々お待ちください」と沢村は厨房に戻りラーメンを作り始める。

 女性はきょろきょろと店内を眺めては、沢村の方を見て少し不思議そうな顔をした。

「あの、ネットで知ったのですが、このお店は『いずも亭』っていうんですよね?」

「はい、そうですよ。看板がまだ無いんですけどね」

「どうして、その店名にしたのですか?」

「昔、この場所に『いずも亭』というラーメン店があったんですよ」

「はい。私も知ってます」女性は興味津々な表情を見せる。

「そのラーメンが僕は大好きだったんです」

「私も大好きでした」女性は懐かしそうに目を細める。

 沢村は女性の前にラーメンを置く。

「お待たせしました。犬の絵のどんぶりじゃないですけど」

「えっ?」

 女性は不可思議そうな表情をした後、ラーメンを見て目を見開いた。しばらく静止していたが、香りを嗅いで、うなづいた。

 れんげでスープを一口飲むと、しばし呆然としていたが、割り箸を取って麺も食べ始めた。そのままずっと黙ったまま食べ続け、スープも飲み干した。

 女性は目に涙を浮かべていた。

「ごちそうさま……おいしかった」

「合格かな? 美香ちゃ……、美香さん」

 女性は目を見開き、涙を目に浮かべたまま沢村を見て微笑んだ。

「まぁまぁね……、弟子おじさん」

 

 その後、美香と話をした。

 店長は退院後、店を再開したが、数年後にまた入院することになり、そのまま亡くなったという。

 美香はそのころには母と地方に引っ越しをしていたため、見舞いにも行けなかったという。店長が亡くなった事も後から知ったようだ。

 店はそのまま閉店となり、店長の息子である清彦によって取り壊されたという。

 沢村は何ともいえないむなしさを感じていた。

「それにしても不思議なんですけど……」と美香は沢村をじっと見る。

「ど、どうしましたか?」

「弟子お……、いえ、沢村さんがあの『いずも亭』で働いてたのは今から三十年前ですよね?」

「そうですね……」

「私はまだ小学生くらいだったかしら」

「そうですね、確か一年生だったかと」

「それから三十年経ったので、私も三十七になります……」

 美香は沢村の顔をじろじろ見てくる。

「沢村さんは今何歳なんですか?」

「え、えーと…、五十一になります」と正直に言った。

 美香は不思議そうな顔をする。

「えっ、てことはあの当時二十一くらいですか?」

「そ、そうなりますね……」

「そんな若かったでしたっけ? 今とあまり変わってないような気がして……」

 沢村は焦った。

「あー、老け顔って言われてたし……。ほら、小学生から見たら二十代なんておじさんに見えると思うから」

 美香は納得いかないような表情をしたが、別の質問をしてきた。

「でも、なんで突然店を辞めちゃったんですか? これも後から知ったんですけど」

「あー、それはそう、急に実家に戻らなきゃいけなくなって、ちゃんと連絡もできなかったのは悪かったと思ってます……」

 とりあえずごまかした。

「そうだったんですか……。当時、寂しかったのを覚えてます。よく一緒に遊んでくれてましたよね」

「僕も楽しかったですよ」

 美香はちょっと恥ずかしそうな表情をしたが、おだやかな笑顔になった。

 沢村も笑顔になった。

「もしよければ、いつでも食べに来てください」

「はい」


■二〇一九年六月


 生きていると不思議な事が一つや二つ起こるものなのだなと沢村は思っていた。

 一つは間違いなく三十年前の世界に行った事だと思う。

 もう一つは先日、美香と婚姻届を出した事である。

 父に挨拶がてら、美香と実家へ行くこととなった。


 千葉駅を降りて美香と実家へ向かった。青い空が広がっている。気温も高めのため、額に汗を浮かべつつも到着し、玄関を開けた。

「父さん、来たよ」

 父が出てきた。

「おう、よく来たな」

「美香です。よろしくお願いいたします」と美香がお辞儀をする。

「ああ、よろしくお願いします」と父もやや硬くお辞儀をした。

 その時、台所の方からばたばた足音が聞こえてきた。

 その姿を見て沢村は仰天した。

 エプロン姿の母が出てきたのだ。

「あらぁよく来たわね!」

「美香です。よろしくお願いいたします」

 母はにこにこしながら美香の手を取った。

「ささ、上がって上がって」

「ち、ちょっと、ちょっと待って!」と沢村は母を制した。

「なぁに? あんたも上がんなさい」

 沢村は父に向かって小声で聞く。

「なんで母さん生きてんの?」

 父はぽかんとする。

「何言ってんだ?」

 三つ目の不思議な事が起きたのだった。


 居間には、弟、弟の妻の保奈美さん、その息子の翔太も来ていた。

 みんな美香を歓迎した。翔太は美香に抱き着いたりしている。

 母が自慢の料理をふるまった。母も美香にべったりでうれしそうにしている。

 沢村は正直、こんなにうれしがってくれるとは思っていなかった。

「なぁ兄貴、大学生の頃、ラーメン屋でバイトなんかしてたっけ?」

 弟が聞いてきた。いつの間にか美香とのなれあいの話になっていたようだ。

「あ、ああ、ちょっとだけしてたんだよ。小遣い稼ぎにね」

 美香と話していた父が沢村の方を見て言った。

「お前、ラーメン屋始めたってのは本当か? 会社はどうした?」

 まだ父に話していなかったのだ。

「会社は辞めたよ。秋葉原でラーメン屋を始めたんだ」

 全員がびっくりしたが、美香が店を手伝っている事、連日行列ができている事を話すと安心してくれたようだ。


 またも、いつの間にかゲーム大会になっていた。スーパーファミコンでゲームはもちろんスーパーマリオカートである。

「スーパーファミコンね。懐かしいな。私ゲーム得意なのよ」と美香が翔太に話している。

「勝負しようよ!」

 翔太と美香の対戦が始まった。すごくいい勝負だった。最初は翔太が勝ったが、次は美香が勝った。弟や保奈美さんも参加し盛り上がっている。

 後ろでその様子を眺めていた沢村は、横にいる母が美香の方を見ながら微笑んでいるのに気が付いた。

 母が沢村の方を見る。

「ほんと良かったね……。素敵な人ね」

「はは……、うん、まぁね」

「やっと安心できたわ」

 沢村は母が生きている事がまだ実感できていなかった。

「あのさ……、母さん病気とかしてなかったっけ?」

「病気? ああ、癌なら完治したじゃない」

 沢村はぎくっとした。

「癌? 癌だったんだ。やっぱり」

「知ってたでしょ? もうだいぶ前だけど、癌検診に行ったら見つかったのよ」

「癌検診行ったんだ」

「初期だったから治療もうまくいって、完治したわよ。今でも毎年検診行ってるわ」

「そうだったんだ……。そう……」沢村は良かったと思った。

「厚生省の人に感謝してるわ」

 沢村はぎくっとした。

「突然家に来て、癌検診を受けなさいって言うのよね。しかも確認しにまた来るって。結局来なかったけど」

 沢村は思った。今、確認しに来たんだと。


 長居してしまい、千葉駅に向かって美香と歩いている時には夜空が広がっていた。

「なんだかすっごく楽しかったわ」

「そりゃ良かったよ」

「素敵なご家族ね」

「あはは、そう見えるだけじゃない?」

「スーパーファミコンで思い出したんだけど、ちょっと不思議な事」

「スーファミで?」

 美香は足を止めて、沢村をじっと見つめる。

「私が小学生の頃、あなたが言ったことで引っかかっていた事があるの」

「なんか言った?」

「まだ発売も宣伝もされていないのに、スーパーファミコンって言ってたのよ」

 沢村はぎくっとした。美香は続ける。

「それから確か一年以上後に発売されたの。テレビのCMで見てびっくりしたわ。どうしてスーパーファミコンの事知ってたの?」

 沢村は必死にどう答えるかを考えていた。

「お、俺は当時、大学のパソコンサークルに入っていたから、ゲームの事とか、そういう情報が入ってくるんだよ。そうそう!」

 美香は納得いかない表情をする。

「ほんとかしら?」

「ほんとほんと」

「まぁいいわ」

 美香はまた歩き出した。

 沢村は冷や汗をかいていたが、その後は特にその話が出る事もなく、店に帰った。


■二〇一九年七月


 美香は商社で働いていたが、店の手伝いを本格的にしたいとのことで会社を辞めた。

 店は二階部分が狭いながらも住居となっており、そこで沢村は美香と一緒に住むことになった。

 美香は仕込みも手伝い始めており、生姜しぼり汁やチャーシューなどは既に習得済みである。自分より覚えが早いなと沢村は思った。


 今日も、沢村は早朝から仕込みを始める。

 沸騰している寸胴鍋にゲンコツを入れ、鶏ガラとモミジも入れる。アク取りを充分にし、丸鶏を入れ、玉ねぎ、生姜、にんにくを入れた。さらにアク取りをした後に長ねぎの青い部分を入れて弱火にする。しばらくした後にサバ節を投入した。これはダシとなる。

 別の鍋に淡口醤油、すりおろした生姜、日本酒、みりん、塩、にんにく、昆布を入れコンロの火を付ける。ゆっくり混ぜながら加熱していく。煮干しを入れ火を止めた。これはタレとなるのだ。

 最後に、あるものをタレに加える。

 そう、なんてことはない。『うまみ調味料』である。

 昔からずっと、沢村が即席ラーメンなどを作るときにかかさず入れていた調味料である。これを入れるだけで格段とおいしくなる。これが自分の味なのだ。店長には完全に見破られていた。


 やっと店名の看板の取り付けが完了した。ラジオも置いて常に放送を流すようにした。当時のレトロなものと同じものはさすがに手に入らなかったので、それでも昔のトランジスタラジオをオークションサイトで手に入れた。

 あと、沢村のスマホに入っていたマイクロSDカードを見てみると、なんと撮影した画像データがちゃんと残っていた。店長と沢村が並んで写っている写真だ。二人とも赤い顔をしていて、店長は目を見開いている。相当酔っ払っていたときに撮ったものだ。

 

 開店準備をしてシャッターを開けた。すると目の前に男が立っていた。工藤である。沢村を目にしたとたん詰めよってきた。

「沢村! どういうことなんだ? この店いつ始めたんだ? 会社辞めたのか? 全然聞いてなかったぞ!」

「改めて話そうと思ってたんだよ。とりあえず食べるかい? おごるよ」

「お……、おう。悪いな」と工藤はカウンター席に座った。

「いらっしゃいませ」

 調理服姿の美香が厨房に出てきたのを見て工藤は目を見開いた。

「あの人は?」

「あ、えーと……、妻です」

「なんだって! 結婚したのか!」

「うん」

 工藤は驚いた表情で美香と沢村を交互に見た。

「あー、俺は沢村とは大学の頃からの友人で。おめでとうございます」と工藤は席を立って美香に向かって言った。

「ありがとうございます。美香です。よろしくお願いいたします」と美香もぺこりと頭を下げる。

「おまちどうさま」沢村はラーメンをカウンターに置く。

 工藤は席に座り、ラーメンを見る。

「これってお前……、再現したのか?」

「まぁ、食べてみてよ」

 工藤はラーメンを食べ始めた。スープを飲んで驚きの表情をし、うなづきながら食べ進めた。スープを飲み干すまで一言もしゃべらなかった。

 工藤はしばらく黙っていたが、顔を上げて言った。

「『いずも亭』のラーメンだ……。もっとうまい気もする……。お前……、すげぇな」

「ありがとう」

 沢村はほっとした。よく一緒に食べていたラーメンの味は工藤もよく知っている。美香も微笑んでいた。

「よく再現できたな。ラーメン好きなのは知ってるけど、そこまでの腕を持ってたのか?」

「うーん、まぁ試行錯誤を繰り返して何とかってところかな」

「ふーん……」と工藤は店内を見回して、壁に貼ってある写真に目が行った。

 写真には、かつての『いずも亭』の店長が赤ら顔で目を見開いている姿が写っている。

「おい、その写真どうしたんだ? それ店長だよな」

「ああ……、昔のラーメン雑誌に載ってた写真だよ」とさりげなく嘘を言った。

「そうなのか? しかし酔っ払ってるところなんてよく載せるな。笑える」と笑い出す。

 美香もつられて笑う。

「そうですよね、どうしてこんな写真なのかしらって思います」

 確かにこんな写真を貼るのもどうかと沢村自身思ったが、自分があの時代で店長と共に過ごした日々の証でもあるのだ。

 ただし、沢村も一緒に写っているのでそこはカットした。よく見ると、沢村の肩あたりが少し写っている。


 開店時間を過ぎ、客が次々と増えてきた。

「いらっしゃいませ」沢村と美香は応対していく。

 工藤は席を立つ。

「ごちそうさま。また来るよ。でもさ、まったくふざけた店名にしたもんだな」

「そうかい?」

 工藤が店を出る。

 券売機に十人以上客が並んでいる。

 真新しい大きな看板が見える。

 店名はこう書かれている。


 『タイムスリップ いずも亭』


(了)

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秋葉原いずも亭物語 貞弘弘貞 @SADA_HIRO

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