第10話 秋葉原公園へGO!

■二〇一九年一月 再


 沢村はリュックを開けてスマホを取り出そうとしたが、どこにも無かった。店に置きっぱなしにしてしまったのだろうか。

 今の店がどうなっているのか気になった。ホームからエスカレータを下る。昭和通り口の改札を出ようとしたとき思わず切符を探してしまったが、慌てて財布からスイカを取り出して無事通過できた。記録は保持されていたようだ。

 三十年の月日は大きいと感じる。街には見知らぬビルが建ち、車はハイブリッド車まで走っている。しかし、街の区画や道路は大きくは変わってはいない。ふれあい橋を渡った際、橋から神田川を見る景観はあまり変わっていないように思えた。橋を渡り高架下を通り、店のあった場所に来た。

 小さなビルがあった。閉じたシャッターには『テナント募集』と書かれたパネルが貼られている。以前、忘年会の帰りに工藤と見に来た時と全く同じだった。

 沢村は呆然と立ち尽くす。

 店長はあの後どうなったのだろうか。店は再開できたのだろうか。

 元の時代に戻って来れたのはきっと良い事なのだろうと思うが、このタイミングなのか。心残りがあり過ぎる。

 今日はもうアパートに帰ろうと秋葉原駅へ戻った。うっかり券売機で切符を買おうとしてしまったがスイカで改札に入った。総武線に揺られながらふと何か忘れているような気がした。どこかに行く予定ではなかったか?

 思い出そうとしつつも眠気が襲ってきてうとうとしてしまった。

 吉祥寺のアパートに戻った後も、どっと疲れが出たのか、沢村は布団にくるまって眠ってしまった。


 次の日、まだ薄暗い早朝に目覚めてしまった。起き上がり、仕込みを始めなきゃと思ったところで我に返った。

 かつて見慣れた自分の部屋であった。部屋に貼ってあるカレンダーは二〇一九年一月となっている。本当に元の世界に戻ってきたんだと改めて思った。

 この世界で生きていくしかない。


 沢村にとっては久しぶりの会社だが、会社にとっては単なる翌日である。

 通用口から入り、休憩スペースにある自動販売機で紙パックのコーヒー牛乳を買い、ストローで飲みながら廊下を進む。廊下の壁にずらりとゲームのポスターが貼られているのを何となく眺める。『ドリポマ2』のポスターの前で足を止めた。何故か自然と心穏やかにそのポスターを見る事ができた。ずっと目を避けてきたのに何とも不思議な気分だった。

 二階に上がり、品質管理部のフロアに入ったとたん、怒鳴られた。

「おい沢村! 昨日はどうしたんだ?」

 ちょうど沢村のデスク付近に部長が立っており、こちらを指さしている。

 沢村はデスクに近づきながら考えていた。

「あ、えーと、すみません。ちょっと体調を崩しまして病院に行っておりました」とりあえずごまかした。

「そうだったのか? せめて先方とこっちには連絡してくれよ。携帯に掛けても全然つながらなかったぞ」

「すみません。スマホ無くしちゃったんです」

「無くした?」部長はちょっと不可思議そうな表情をする。

 ここで思い出した。秋葉原にある会社に打合せに行く予定だった。その直前に三十年前の秋葉原に行ってしまったのだった。

「本当にすみません。改めて打合せに行ってきます」

「そうしてくれ。先方には今日連絡すると伝えているから」

「はい、ほんと申し訳ないです……」

 部長が去っていき、沢村は椅子に座った。さっそく先方の会社に電話を掛け、平謝りしたあと、今日の午後に改めて打合せに行く事にした。打合せに使う資料などはリュックに入れっぱなしになっていた事を思い出した。リュックの中にくしゃくしゃになった資料があった。


 沢村は秋葉原駅の総武線下りホームに再び立った。ホームを歩いていると、例のミルクスタンドが目に入った。店の前まで来て立ち止まり、呆然と店を眺める。

 ここでコーヒー牛乳を飲んだ事がきっかけで過去に飛んだ。そして、反対側のホームにあるミルクスタンドで同じくコーヒー牛乳を飲んだら今の時代に戻って来た。どういうからくりなのかは謎だが、もしかするともしかするのでは。沢村は店員に「コーヒー牛乳ください」と商品札を指さして言った。

 店員が蓋を外し、瓶のコーヒー牛乳がカウンターに置かれる。沢村は恐る恐る手で取り、目をつむり一気に飲み干した。

 ぶるっと体が震える。当時の冬は今よりもずっと寒かったのだ。ゆっくり目を開けると、先ほどの店員がこちらを不思議そうに見ていた。ちょうど総武線がホームに入ってきたが、シルバーの車体に黄色いラインが入っている。何も変わってはいなかった。


 その後、秋葉原駅を出て、UDXビルに入っている会社に行き打ち合わせを行った。打合せは大きな問題はなく無事終わった。

 ただひとつ不可思議な点があった。沢村がリュックに入れっぱなしだった資料と、先方が見ている資料にわずかな差異があったのだ。同じ資料を見ているはずなのにである。バグ件数のわずかな違い程度で大した事ではなかったが、おそらく自分は少し古い資料を持って来てしまったのだろうと思った。


 アパートに帰ってから、パソコンで『いずも亭』についてネット検索をした。以前検索していた時には見られなかったコメントなどが掲示板に上がっていた。興味深くそのコメントを追っていった。それは、店長には弟子がいただの、いなかっただののようなものだった。短い期間だったがいた気がすると主張する人がいたが、そもそも昔の記憶なのであやふやである。

 そして、驚いた情報があった。閉店した時期についてである。沢村が知っているのは、大学を卒業した次の年、つまり一九九一年には閉店していたという事だったが、コメントを見ると一九九二年と書かれている。どういう事なのだろうと思い、沢村は工藤に電話をしようと思ったがスマホが無かった。しかたがないのでSNSで工藤にメッセージを送った。「いずも亭っていつ閉店したっけ?」と。案外早く返答が来た。「知ってるだろ? 卒業して二年後くらいだったろ」とのことだった。何かしら過去が変化したということだろうか。しかし、これ以上考えても仕方がない気がする。いずれにせよずいぶん昔の事なのだ。


 それからというもの、会社での沢村は気力もなく、だらだらと仕事をして過ごしていた。

 スマホを買わないといけないなと思いつつ、無いならな無いで問題ない気もしていた。あの時代の生活の影響だろうか。

「おはようございます。ご迷惑おかけしました」と矢野が隣の席に座った。

「おはよう。もう大丈夫なのかい?」

「インフルなんて久々だったんできつかったっす。打合せありがとうございました」

「ああ、特に問題はなかったよ。古いバージョンの資料持って行っちゃったけどね」

「あれ? あの資料は更新もしてないですけど間違ってました?」

「そうなの? まぁ大した事じゃなかったからいいか」

「助かりました。ふぅ」

 矢野は溜まったメールを確認しては「まじかー」などと言っている。

 沢村も新着メールを確認した。会社からの全体メールで早期希望退職制度についてのものが来ていた。四十五歳以上の社員を対象とし、退職金が大きく上乗せられる制度が施行されるという。この会社も近年経営状況が芳しくなかったので意外とは思わなかった。

「なんだ四十五歳からかー」と矢野が嘆く。

「この上乗せ額は魅力的だね」

「えー、沢村さん辞められたら困るんでかんべんしてくださいよ」

「はは、俺なんて再就職先なんて無いから無理だよ」


 昼休みのチャイムが鳴った。

「沢村さん、今日久々にラーメン行きます?」

「おお、いいねぇ」

 矢野は鞄からラーメン雑誌を取り出し、ぱらぱらページをめくる。

「新刊買ってみたら、よさげな店載ってたんですよ。少し歩くんですがいいですかね?」

「また雑誌買ったんだ。そうだねぇ……」

 沢村はふと忘れていた事を思い出した。思わずリュックを取り中をまさぐる。底の方にそれらしき手応えがあったので掴んで取り出した。実家から持ってきたラーメンのガイドブックだ。

「お、なんすかそれ」

 沢村は『いずも亭』が掲載されているページを開いた。前に見たときと特に変わりはなかった。写真には店長が写っている。記事内容も同じだ。ふと写真に写っているラジオに目が行った。シルバーと黒のラジオである。このラジオは見覚えがある。かつてあの店にあったのを自分は知っている。でも、自分があの店で修理したのは木目調のレトロなラジオだった。本の発行日を再び見てみると一九九〇年とある。つまり自分が今の時代に戻った後だ。

 沢村は何か引っかかって考え込んでしまう。この本はリュックに入ったまま自分と同じように三十年前の時代に行き、また今の時代に戻って来た。

 そういえば、店に出版社の女性が取材の依頼をしてきたではないか。沢村は財布を取り出し、中から一枚の名刺を取り出した。その女性からもらった名刺だ。名刺に書かれている出版社名がガイドブックの出版社と同じである事が分かった。

「沢村さん?」

 沢村は立ち上がった。

「悪い矢野。急用思い出した。午後半休にするよ」

「えっ、そうなんですか。了解っす」

 沢村はリュックにガイドブックをしまい、矢野よりも先に部屋を出て行った。


 会社を出てそのまま吉祥寺駅まで行き、電車に乗った。

 電車に揺られながら考えを整理しようと思ったが、落ち着いて考える事ができなかった。先日の打合せの資料の差異の事もあり、とにもかくにも、この本を探す必要があると思ったのだ。厳密には、過去から戻って来たこの世界に存在する同じ本である。


 神保町駅に着いた。

 外に出ると、靖国通り沿いに書店がずらりと並んでいるのが見えた。古本屋も数多くあるようだ。

 かたっぱなしに古本屋に入っては同じ本を探した。店員に尋ねて一緒に探してもらったりしたが見つからない。さすがに三十年近く前の本、しかもラーメンのガイドブックというマニアックな本はそうそう残っていないのだろう。まずネットの古本販売サイトで検索しようとも思ったのだが、すぐにでもこの本を見たいと思って神保町まで来てしまった。

 すでに数十件は回っていた。路地裏にある古本屋でも見つからず、沢村は疲れ果ててしまった。


 そういえば昼飯を食べていなかった。この辺りに有名な老舗のラーメン屋があったはずだ。以前一度食べに来たことがある。記憶を頼りに路地を巡り、やっとその店を見つけた。

 夕方前の時間にもかかわらず、既に三人ほど店の外に並んでいた。

 やっと店内に入ったかと思うと、中でも並んでいた。スープのいい香りが漂っている。店員が並んでいる人に順に注文を聞いている。

 入り口のすぐ横に小さな本棚があることに気付いた。覗き込むと、マンガやラーメン雑誌が並んでいる。ラーメン雑誌をひとつ手に取ると、付箋が貼ってある。そのページを開くとこの店の紹介記事が載っていた。他の雑誌も付箋が貼られている。この店の紹介記事全てに貼っているんだなと思った。掲載してくれるのは店長にとってもうれしい事なのだろう。そんな事を思っていると、本棚の一番下の段の左端に、小さめの本があるのが見えた。しゃがみこんでその本を取った。

 あの本だった。手のひらに収まるくらいのラーメンのガイドブックだ。古びており、沢村が持っているものと見た目は同じだ。本の裏の発行日を見ると、一九九〇年発行とある。まさにこの本である。

 鼓動が速くなるのを感じていた。ぱらぱらとページをめくり『いずも亭』が掲載されているページを開く。沢村の本と同じように店の写真が載っている。店長が客にラーメンを手渡している。その奥、厨房の棚に置かれたラジオを見る。そのラジオは木目調のレトロなラジオだった。リュックから同じ本を出してそのページを開いた。沢村の本の方はシルバーと黒のラジオになっている。

 つまりこういう事だ。本来あの木目調のラジオは故障して、シルバーと黒のラジオに買い替えられたのだ。しかし、沢村が過去のあの店に行き、木目調のラジオを修理したため、引き続き使用されたのだろう。

 記事の方にも目を向けた。『生姜の香りただよう体もあったか醤油ラーメン』などの紹介部分は同じだが、後半の店長のコメント部分が異なっていた。

 『行方不明のお弟子さん?』という見出しがあり、これまで弟子を取らない事が信条だったのに弟子ができたという事に続き、忽然とその弟子が姿を消してしまったという事が書かれている。心臓の鼓動がさらに速くなった。

 『お弟子さんに伝えたいことは?』という記者の質問に対し、店長のコメントが最後に書かれている。


 『秋葉原公園で待っとるよ』


 沢村は目を見開き、息が荒くなった。

「お客さん、ご注文決まっていましたらお伺いします」

 気付くと、店員がすぐ後ろにいて注文を聞いていた。

 慌てて本を本棚に戻す。

「す、すみません!」と外に駆け出して行った。


 神保町駅から都営新宿線に乗り岩本町駅で降りた。

 駅の外に出るとすっかり日も暮れていた。沢村は昭和通りの歩道を小走りに進む。神田川を渡っている時、左方向を見ると川の先にふれあい橋が見えた。渡り終わったすぐ先の信号を渡り左に少し行くとその公園があった。秋葉原公園である。

 以前に工藤と来た時と同じで、昔の面影は無く、ただ広めの通路のようなスペースになっている。中央に木が一本立っており、あの公園の名残だと思うが、当時の公園を知らない人にとっては何故こんな所に木が立っているのか分からないだろう。

 沢村はその木に近づいた。木を囲っている円形の柵がある。工藤とここに腰かけた事を思い出す。柵を手でつかんでしゃがみ込んだ。先ほどラーメン店で見た本に載っていた店長の言葉を思い返す。

 『秋葉原公園で待っとるよ』

 以前、店長と飲んだ時に未来の秋葉原公園の話をしたことがあった。中央の木が一本残っていると。しかし、店長は相当酔っ払っていたため、翌日にはすっかり話を忘れていたはずだ。

 木の根元は土が顔を覗かせている。もし何かあるのだとすれば、ここしかないと思った。沢村は立ち上がり、駆け出した。

 駅近くの大型家電量販店に入り、アウトドア用品売り場へ行く。目的のものが見つかった。手で土を掘るのにちょうどよい大きさのスコップだ。あとペンタイプの懐中電灯も購入し公園に戻った。


 すっかり夜となり、だいぶ冷え込んできた。

 公園の周囲には駅に向かう人々の姿が見える。沢村は木の根元付近にしゃがみ込んだ。

 懐中電灯で根元近くの土の地面を照らしながら、スコップの先を位置をずらしながら土に刺し込んでいく。木の周りを一周したが特に手ごたえは無かった。少し掘りながら地中への距離を伸ばしつつ刺し込み続ける。ふと気づくと周囲を歩く人々がちらちらこちらを見ている。確かに怪しい以外の何ものでもない。警察でも呼ばれたらやっかいだ。そういえば近くに万世橋警察署があるではないか。

 少し焦ってスコップをやや強めに土に刺し込んだ。その時、コンというややくぐもった音が聞こえた。金属に触れたような音だ。その場所を急いで掘り進めた。

 その物体が見え始めた。直径七センチほどの丸い緑色の物体である。周囲の土を除きながら手で引っ張り出した。円筒形のその物体についた土を手で払う。いわゆるお茶の葉を入れておく金属の缶、茶筒だった。しかも、この茶筒には見覚えがある。静岡茶の銘柄名も同じだった。そう、『いずも亭』にあった茶筒だ。

 沢村は深呼吸した。茶筒の蓋をつかみ引っ張ったが固くて開かない。力を入れながらゆっくり回すようにすると蓋が回り始め、すぽっと外れた。中を覗くと板状のものがある。手でつかみ引っ張り出した。沢村のスマホだった。ちょっと本体が膨らんでいる。おそらくバッテリーが膨張したのだろう。一応電源ボタンを押してみたが反応がない。三十年近く経過しているだろうから当然だろう。

 茶筒の缶をさらに覗き込むと折りたたんだ紙が入っていたので取り出した。紙を開くと、ちょうど電話機の横に置いてあったメモ用紙っぽいなと思った。懐中電灯で紙を照らす。

 紙には、ボールペンでくねくねと箇条書きのように文字が書かれていた。


『公園に残る木はこれで合ってたかい?』

 合ってますよ店長。話覚えてたんですね。

『電話は座布団の下にあった』

 そういえば自分が座布団の下に隠した事を思い出した。

『俺の面倒を見てくれてありがとね。退院して店を続けられた』

 沢村はほっとした。

『突然未来に帰ったのかい?』

 それは本当に申し訳ないと思った。

『言いそびれていた。ラーメン合格だ』

 沢村は目を見開く。

『それがお前さんのラーメンだと思う』

 沢村は目頭が熱くなった。

『いつか店を継いでほしいと思ったけど、いまさらさね』

 沢村は涙を流していた。

 寒さで、鼻水も出てきた。

 広場を通る人々は沢村の姿を見ては不思議そうな顔をして通り過ぎていく。

 公園近くの道路を走る車の音、秋葉原駅からの電車の走行音が響いていた。

 夜空を見上げた。

 ビルの隙間から、星が煌めいているのが見えた。


(つづく) 

※次回最終話

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る