第9話 コーヒー牛乳で平成三十一年へGO!

 店長は秋葉原近辺にある総合病院へ入院となった。

 医師によると、とりあえず容体は安定しているが、意識が戻っておらず、細かな検査をしていく必要があるとのこと。沢村には話せない事もあるらしく、親族を呼んでほしいと頼まれた。


 沢村は一旦店に戻った。

 電話機の横にあるメモ用紙を見ると、店長の息子である清彦の名前と電話番号が書かれていた。別居した先の電話番号のはずだ。

 清彦の家に電話を掛けたが留守電に切り替わった。今日は月曜日なので会社に行っているものと思ったが、会社の電話番号は分からない。店長が入院したこと、病院に来てほしい事を録音した。

 沢村は、店長の入院生活で必要になる着替えや身の回りの品々を探してはバッグに詰め込んだ。


 病院に戻り店長の病室に入った。個室になっている。

 ベッドの上の店長は眠ったままである。呼吸器が付けられており、心電図がモニターされている。

 沢村は店長の着替えなどを収納棚にしまったりした。

 病室前の廊下にあるベンチに腰かけた。とにかく容体は安定しているとのことで一安心したのか、いつのまにかうとうととしてしまっていた。


 突然、男の声がした。

「あの……、店の方ですよね?」

 目を開けて声の方を見ると、店長の息子の清彦が目の前に立っていた。スーツ姿にブリーフケースを片手に持っている。

 沢村は目をこすってから立ち上がった。

「はい、沢村といいます。前に一度お会いしましたね」

「あの時は本当にありがとうございました」

 沢村が清彦に会うのは美香の家出騒動の時以来であった。

 清彦は病室の方を見た。

「それで、父は……?」

 病室の扉を開け、清彦を中に案内した。眠っている店長を見て清彦は心配そうな表情を浮かべた。

「今朝、腰の痛みを訴えた後、突然倒れてしまってそのまま入院となりました。とりあえず容体は安定しているそうです」

「……そうですか」

「医師から親族の方に話したいことがあるそうなので、お願いできますか?」

「はい、聞きに行ってみます」

 清彦は病室を出て行った。

 沢村は病室で待つことにした。


 一時間ほど経った後、病室に清彦が戻ってきた。やや暗い顔をしている。沢村と横並びになるように丸椅子に座った。

「白血病だそうです」

「えっ! 白血病?」驚いてやや大声になってしまったので、慌てて小声に戻す。

「腰痛だったと思うんですが……」

「腰痛の症状が出る事もあるそうです」

「そうなんですか……」

「今後、精密検査をして治療法など検討していくとのことです」

 眠っている店長を見て申し訳ない気持ちになった。

「すみません……、前から腰を痛がっている事は知っていたのですが、病院に行くことをもっと勧めるべきでした……」

「いえ、気にしないでください。言ったところで父は病院には行かないですよ。昔からずっと……」

「そうなんですか……」

 清彦は沢村の方を向いて改めて頭を下げた。

「ありがとうございます。もしあなたがいなかったら誰も気づかず、父は店に一人倒れたままだったかもしれません」

「いえ、そんな……」

 清彦は立ち上がった。

「あとは私が父を見ますから、お帰りになってくださって結構です。父が目を覚ましたら店に電話入れますので」

 沢村も立ち上がった。

「そうですか……、分かりました。また明日来ます」

 沢村は病室を出て行こうとしたが、ふと足を止めて清彦の方を向く。

「あの……」

「何でしょうか?」

「清彦さんは、お店を継ぐつもりはないんでしょうか?」

 清彦はちょっと驚いたような表情をして笑みを浮かべる。

「はは……、僕にはラーメンを作る才能なんてないですよ。まぁ……、別の仕事がしたいってのが正直なところです」

「そうですか……」

 沢村は頭を下げてから病室を出て行った。


 翌日、仕入れ業者に電話をして、しばらく食材の配達を中止してもらう事にした。

 店の外に出て、閉まっているシャッターに白い紙をガムテープで貼り付けた。マジックで『休業中』とだけ書いた。しばらく店は開けられないだろう。

 シャッターを眺めてため息をついていると、後ろから女性の声がした。

「あの……、すみません。お店の方でしょうか?」

 三十代くらいの女性が立っており、沢村の方を見ている。

「はい、そうですが」

「出版社の者です」と頭を下げ、続けた。

「実は、今度ラーメン店を特集した本を出す予定なのですが、こちらのお店を是非取材させていただきたいんです。店長さんとご相談したいのですが」

「そうですか……、実は店長は体調崩して入院しているんです。なので回復次第だと思いますが、いつとは言えない状況でして」

 その女性はシャッターの貼り紙を見て少し驚いたような表情になる。

「そうですか……。私、何度かこちらのラーメンを食べに来てまして、とてもおいしいのでいつか取材したいと思っていたんです」

「ありがとうございます」

 そういえばちょっと見覚えがある気がした。

 女性は笑みを浮かべて頭を下げた。

「では、店長さんが戻られたら改めて取材のご相談をさせてください」

 女性が名刺を出してきたので受け取った。

「はい。店長にも伝えておきます」

 女性は礼を言って去って行った。

 名刺を見ると、聞いたことのある大手の出版社であることが分かった。


 沢村は一旦店に戻る。病院に向かおうと思ったが、昨晩掛かってきた清彦からの電話を思い出した。店長はまだ目を覚ましてはいないとのこと。また、検査があるため面会できるとしても午後からとのことだった。

 白血病について詳しくはないが、血液の癌であると聞いたことがある。癌であれば早期発見が重要なのではないだろうか。腰が痛いと言っていた頃から既に病状は悪化していたのではないか。自分がもっと早く気づいていればと悔やまれる。

 沢村の母も癌だった。癌であることが発覚したときには既に末期だった。

 母の癌が発見されたのは、自分が会社に入ってから一年後くらいの時期だった。それはつまり今から一年半くらい後ということである。もし、もっと早く発見されていたら。

 時計を見ると、まだ午前の早い時間である。面会できるのは午後からなので、時間にも余裕がある。

 沢村はリュックを担ぎ、店から駆け出していた。

 秋葉原駅で切符を買い、総武線下りに乗り込んだ。


 千葉駅で電車を降りて、歩いて実家へと向かう。

 駅前はビルが少なく、当時はこんな感じだったと懐かしく思いつつも、実家付近の住宅街は大きくは変わっていないように思える。

 沢村は実家の近くまで来て、家屋を見た。実家は木造二階建ての一軒家である。建て替えなどはしていないため、姿形は変わらないが、妙に真新しく見える。

 さらに近づくと、庭に母がいるのが見えた。ホースを持って草木に水をやっており、元気そうに見える。

 ちょっと複雑な心境になっていると、家の玄関のドアが開いて誰かが出てくるのが見えた。当時の自分が似合わないスーツ姿で出てきた。母に向かって何か言った後、母が「いってらっしゃい」と言っている。

 沢村は通行人を装い顔を見られないようにする。当時の自分は駅の方に向かって歩いて行った。確かにこの頃、スーツを初めて買ったのを覚えている。おそらく就職面接に行ったのだろう。もしかするとうちの会社かもしれない。

 自分の後ろ姿を見送る。とりあえず合格を祈ってみた。

「何か御用?」と突然声を掛けられ沢村はぎくっとした。

 母が門の前に立っており、沢村を見ている。

 内心相当慌ててしまったが、表情に出さないよう平静さを装った。

「あ、すみません。厚生労働省の者です」と少し声色を変えて話す。

 母はきょとんとして首をかしげる。

「厚生……労働省?」

「あ、厚生省の者です」

 あぶない、この時代はまだ厚生省と労働省は別々のはずだ。

「省庁の人ってスーツじゃなくて普段着なの?」母は沢村の服装を見ている。

「あ、省エネの一環でして」

「しょうえね?」母はぽかんとしている。

「今回伺ったのは、健康促進運動の普及のためとなります」

「はぁ」

「お母さま、最近健康診断には行ってらっしゃいますか?」

「健康診断? そういえばずいぶん行ってないわね」

「知らないうちに何かの病気になっている事も多くあるのです」

「まぁそうね。行った方がいいわねぇ」

「是非そうしてください。癌検診もお忘れなく」

「えっ、癌?」

「国が推奨していますので、お願いします」

「まぁ、念のためしておくのも良いわね」

「ご理解ありがとうございます。必ず受けてください。後で確認しに来ます」

「えっ、また来るの?」

「はい。皆様がすこやかに過ごせるための運動なので」

「はぁ、分かりました」

「ではよろしくお願いします」

 母は首をかしげながら沢村の事をじっと見ている。やはり怪しまれているのだろうか。

「あなた、どこかで会った事ある?」

「えっ? いえ、無いと思いますよ」

「そう」

「では失礼します!」

 沢村は体の向きを変えると逃げるようにその場を去った。角を曲がるまで振り返らなかった。

 今になって心臓がどきどきしてきた。咄嗟にあんなことを言ってしまったが、怪しい人間にしか見えないだろう。

 そのまま千葉駅に戻り、総武線の上りに乗った。


 沢村は電車に揺られながら、車内を見回した。客は本や雑誌を読んでいたり、新聞を読んでいる人もいる。ウォークマンで音楽を聴いている人もちらほらいる。おそらくカセットテープだろう。あとはだいたい友人同士話しているか、眠っているかだ。当然だがスマホを見ている人など一人もいない。

 自分がこの時代にいる事、これからもこの時代で生きていくことを改めて考えていた。まずは店長が回復し、一緒に店をやりたい。そしていつしか店を継ぎたい。そんな思いが強くなってくるのを感じていた。

 いつの間にかうとうとしてしまっていた。「秋葉原ー秋葉原ー」というアナウンスで目を覚まし、慌てて電車を降りた。

 総武線上りの五番ホームを歩く沢村は、喉の渇きを覚えていた。そういえば朝から何も飲んでいなかった。自動販売機を探そうとホーム周辺を見回したとき、なんとミルクスタンドが目に入った。

 うっかり忘れていた。秋葉原駅には総武線の上りと下りのホームそれぞれにミルクスタンドがある。つまり二つあるのだ。学生時代は大学の最寄りの水道橋駅から来ていたので下りホームのミルクスタンドばかり利用しており、上りホームのミルクスタンドはこれまでほとんど利用したことが無かった。

 沢村はミルクスタンドの前に立った。ずらりと並ぶ飲料の中から当然の如くいつもの瓶のコーヒー牛乳を頼んだ。女性店員が蓋を外してカウンターに置いてくれる。飛びつくように手でつかみ、目をつむってそのまま一気に飲み干す。冷たく甘いコーヒー牛乳が喉を通り過ぎていき、全身に鳥肌が立つような感覚を味わった。一気に飲んだためか、立ち眩みのようになり数歩よろけてしまった。

 目を開けた沢村は違和感を覚えた。いつしか感じたあの違和感に似ている。

 目の前のミルクスタンドはそのままに見えるが、ちょっと先ほどと違うような気もする。何故か店員が中年の男性になっており、沢村の方を不思議そうに見ては周囲をきょろきょろ見ている。

 ホームに総武線の車両が入ってきた。しかし何かが違う。前面が真っ黄色ではなく、シルバーに黄色いラインが入っている。なんだか懐かしい思いがしたがちょっと混乱してきた。停車したのでよくよく見てみると、車体はシルバーで黄色いラインが上下に二本入っている。まさかと思い、ホームにある小さなコンビニに駆け込み、新聞紙を掴んで開いた。

 日付は『二〇一九年(平成三十一年)一月七日』と書かれている。

 愕然としつつ、新聞紙を戻し、ふらふらとホームに戻る。ホームの時計を見ると、十三時五十分くらいだった。確か、自分が過去に飛んだ直後くらいではないか?

 反対側の総武線下りのホームにも電車が入ってきて停車した。やはりシルバーの車体に黄色いラインが入っている。

 そうなのだ。自分は戻って来たのだ。二〇一九年、平成三十一年に。


(つづく)

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