第56話 鈴木と黒江

 鈴木家に母が戻って早一ヶ月。

 まだその洗脳は解けていないが、学修会の施設では無く、自宅で過ごすことが明らかに彼女にいい影響を与えていた。

 情報が作為的に限られ、外界と敵対、関係を阻害するようなことばかりを教え込まれていただろうが、今では多少自身を客観視できているのかもしれないと、一郎も感じる。

 しかしいいことばかりでもない。

 背教者となった一郎の学校での立場は相変わらず厳しく、教室でも常に孤立していた。

 だが、それで何の不満もない。

 これでよかった。

 表立って話すことは無いが、根尾とも良好な関係が続いている。

 決して孤独ではなかったのだ。

 最善ではないが、これこそ一郎が望んだ結果。

 後悔は無い。

 ――そうも言い切れ無かった。

 実は一郎には一つだけ大きな心残りがあった。

 ……黒江ともう一度話したい。

 ちゃんと、全てを謝りたい。

 そんな心残りが――。

 それゆえだろうか、気がつくと伏木神社に足が向き、休みの日などは日がな一日境内を離れられなかった。

 もはや黒江が来る用事など無いのに、その場から動けずに――。

 学修会の一件で勢力を増した三組は週刊紙等のマスメディアでも取り上げられ始め、より教師や学校と溝を深くし、対立の様相を明確に呈していた。

 黒江と桐田は放課後になると連日生徒指導室に呼び出され、厳しく活動を追求され、説得と言う名の恫喝で三組の解散を迫られる日々。

 それ以外にも大きくなった三組の教祖としての活動は休日にまで及び、スケジュールまで管理され、黒江は桐田からいいように利用されている。

 伏木神社に彼女が現れることなど、あろうはずが無かった。

 ……帰るか。

 夜空に見える星座が蠍座、射手座、天秤座からペガスス座に変わった辺りで、一郎はベンチから腰を上げた。

 そして階段の鳥居へ目を向けた時、そこに人影が見えて硬直する。

 ――えっ。

 それもただの人影ではない。

 よく見知ったシルエット。

 この場所で待ち続けた相手。

 ――そう、黒江だった。

 言葉も出てこない程、一郎は驚き、未だ動けない。

 代わりに黒江の方から、歩み寄ってくる。

 袂を分かったあの日以来、会話どころか目すら合わせることの無かった二人が相対した。

 ブラインドのような厚い前髪に隠れては居るが、今黒江はこちらを真っ直ぐと見据えているのだろうことが一郎にはわかり、緊張が走る。

 最初に言葉を発したのは、黒江だった。

「ひ、久し振り」

「あ、ああ」

 どちらも緊張した声色。

「……座るか?」

「うん」

 これまでがそうであったよう適度な距離を空け、二人でベンチに腰掛ける。

 だが一郎はわからなかった。

 黒江がやってきた目的が、その真意が。

 長く重い沈黙が夜を支配する。

 意を決したように「あの」と、黒江が言った。

「鈴木君を助けたい」

 予想だにしない言葉に、一郎は返す言葉を無くしてしまう。

 それからあの日とは真逆の構図だなと、笑ってしまった。

 その後で、すぐ正気に戻って訊ねる。

「……目的はなんだ?」

 しかし、黒江は一郎にとって明快な答えは出さない。

「鈴木君と、友達になりたい……」

「は?」

 助けたい理由が、友達になりたい?

 意味がわからない。

 はぐらかされているのか?

 しかし黒江は大真面目に言葉を続けた。

「私にも、鈴木君にも、友達が必要」

「……馬鹿にしてるのか?友達くらい居るよ」

「それは本当に友達?」

「……」

 わからない。

 もはやわからない。

 昔は上部だけでない友達も居た。

 根尾とも確かに友達だった。

 淡い恋心を抱いてすらいた。

 一郎の勘違いでなければ、根尾もだ。

 だが学修会の一件以来、そんな次元の関係ではいられなくなる。

 決死隊のような、戦友のような、よくも悪くも、関係性は変わってしまった。

 そしてそれは、友達や親友と呼ぶのを躊躇するような関係だった。

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