第29話 プラナリア

「……黒江さんはプラナリアって知ってる?」

「あの……かわいいミミズみたいな?」

「そうそう、それ。一、二センチくらいの水の中に棲む生き物なんだけどさ、これが変わった奴なんだ」

「し、知ってる。少しだけど」

「なら話が早い。プラナリアは半分に切ると、なんと二匹のプラナリアになるんだ。しかも五分割すれば五匹に、十分割すれば十匹になる。その上二週間もすれば、脳まで完全に再生する」

「うん」

「でも凄いのはこれだけじゃ無い。プラナリアは記憶を長期間覚えている事が出来るんだけど、実は半分に切断された時に尻尾側から新たに頭部を再生した個体も、なぜか切断前の記憶を有しているんだよ。もちろん生物として遠いところに位置する人間とは単純に比較出来ないけど、これが脳以外の部分にも記憶を有する部位がある事の証拠になるとは思わないか?」

「お、思う」と、いつしか前のめりになっていた黒江が同意する。

「だろ?でも本当に驚くのはここからだ。実はこのプラナリアは、他のプラナリアを捕食すると、その個体の持っていた記憶を引き継ぐ事が出来るんだよ」

「凄い……」

「ここからは人の話になるんだけど、記憶ってのは神経ネットワークで担われるものだと以前は思われていた。でも実は一部の神経細胞には、単独で記憶を担っているものがあるという論文が発表されたんだ。それも同じ日本に住む研究者達によって」

「そ、そう……なんだ」

「腸なんかは脳から独立して動いていて、第二の脳とも呼ばれる自分で考える事の出来る臓器だし、そんなに凄い臓器なら記憶する能力があったって個人的にはおかしくないと思ってる。臓器移植でまれに記憶の転位が起こっているんじゃないかなんて話もあるけど、それどころか魂の転位すら起こってるんじゃないかと思うよ。こういうオカルトだと思われていた事が、科学的に証明される事がこれからあるかもね」

「面白いね。でも……」

 何かを逡巡する様子を見せてから、黒江が続けた。

「で、でもそれだと、さっきの魂の話と矛盾してる……?」

「そういうこと。無意識の内に、僕は恣意的な情報の取捨選択をしていたんだろう。でもだからと言って、すぐに意見を曲げる気はない。なんにだって例外ってものはある。プラナリアの場合は、切断しても死なずに体が再生するだろ?つまり魂の器がもう一つできるってことで、こういう場合に限って魂はそちらにも発生する……とも考えられる。クローン的に」

「確かに、否定できない……」

「だろ?物は言いようだし、全ては考え方次第だ」

 教祖になった黒江にはこれくらい話せるようになることを、一郎は望んでいる。

 だが、難しいだろうなとも思っていた。

 だからこそ、僕というサポート役が要るのだ。

「お、思ったんだけど」

「ん?」

「わ、私より、鈴木君の方が、教祖に向いてるよね……」

 本気なのか、それとも卑屈になっているのかは定かでないが、一郎はすぐに否定する。

「そんなことはないよ」

「あるよ……。わかるから、向いてないのが、自分で……」

「わかってないよ」と、一郎ははっきり言ってやった。

「自分ってのは自分で思うよりも自分じゃないし、自分のことを知らない。所詮鏡を通してしか全身すら見ることはできないし、それだって体の半分でしかない。裏を同時には見れない。知ってるんじゃなくて、知った気になっているだけだよ」

「……」

 黒江は黙っている。

 また僕が方便でも言っていると思ってるんだろうか?

 でもこれは、そうじゃない。

 一郎は続けた。

「じゃあ自分はどんな形をしているのか?それは他社の目、評価によって外部から形作られるところが大きい。あるいは他者との反発もだ。……簡単に言えば、他者が持つイメージとか先入観、バイアスだな。もちろんこれが全てじゃないけどね。……そして君は立派な教祖だよ、黒江さん」

「そう……なのかな……」

「うん、そうさ」

「鈴木君が言うなら、そうなのかもしれない……」

「ははっ、信用されてるんだな、僕は」

 一郎は軽口を叩いたつもりだったが、大真面目に返される。

「うん……だって、私のことを助けてくれたから……」

 むず痒い。

 胸を両手の爪でかきむしりたくなる衝動を押さえ、あくまで軽く返した。

「……まあ、面白そうだったからな。暇だったし」

「……ありがとう」

 胸が痛む。

 それが罪悪感からだということは一郎もわかっていた。

 だがそう言われたのなら、こう返すしかあるまい。

「……どういたしまして」


 ◇

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