第4話 0理論
「例えばこれは僕が中学生の頃、何か嫌なことやつらいことがあった時に考えていたことなんだけど。全てはプラマイゼロ。そう思うと、なんだか楽になるんだ」
「どういうこと?」
「これは例えだけど、黒江さんは世界一の大金持ちで百歳まで生きるのと、貧困で病気になって十歳までしか生きられないのだと、どちらが幸せだと思う?」
「……お金持ちの方に決まってる」
「なんで?」
「だって、そっちの方が、できることも多くて、不自由なく、幸せだから……」
「僕はどちらも感じる幸せは同じ、プラスマイナスゼロだと思うんだ」
「そんなのおかしい。じゃ、じゃあさっきの二つの例え話を、そのプラスマイナスゼロで説明できるの?」
それが出来ないと思っている黒江の考えを覆すべく、一郎は話し出した。
どこか期待したような黒江の視線を受けながら。
「君がその長生きの大金持ちだとしよう。物でも愛でも名誉でも地位でも何でも手に入る。……さあ、他に何が欲しい?強い欲望には限りがある。どうしても日々の感動は目減りするだろう?脳は刺激に慣れてしまうものだからね」
黒江は何も言い返さず、次の言葉を待っている。
「逆に君が腹ペコの少年だとしよう。パンを貰った。さあ、どう思う?」
「……嬉しい」
「そう、小さなことで喜べる。普通以上にだ。それは最初のお金持ちが、どんなに豪華な物を食べることよりも幸せなのかもしれない」
「でも……その子は貧乏なだけじゃなく、病気なんだよね?」
「その不幸があるからこそ、小さなことに幸せをより大きく感じるんじゃないかな?一日一日、生きていられることに感謝したくなる程」
「……じゃあ、もし産まれる前に、お母さんのお腹の中で、胎児のまま死んじゃう子供はどうなるの?不幸しかない」
「感情や知能が生まれているのなら、その子にもプラマイゼロの法則が働く。その前の段階ならば、喜びも悲しみもわからないわけだから、ゼロのままだ。つまり、プラス方向とマイナス方向に揺れる経験をしたかしないかの違いはあれど、訪れる結末は二つとも同じだよね?」
「そう……かもしれない……。でも……」
「でも、それなら生きてる意味が無いって?努力の意味も無いって?」
「……」
こくりと黒江が頷いた。
「でも、そうかもしれないだろう?実際にいくつもの生を経験した上に、それを憶えていなくちゃあこんなものは証明出来ないけどね。……でも、プラマイゼロだと意識してみると、そんな感じはするだろう?」
「確かに……する。そんなの嫌だけど……」
「……強いな、黒江さんは。つまり努力や苦労をした分、それは報われて欲しいと考えてるんだね」
「ふ、普通はそう思う……」
「普通はね……。まあ、こんなものは自分が弱っている時にだけ都合よく信じればいいんだ。自分だけじゃなく、みんなもつらいんだって思うと、なんだか励みになるだろう?今マイナスな分、いつかはプラスになる時が来るとも思える。特に君はそうだろう?聞けば小中と、いじめに遭っていたそうじゃないか」
「……」
「もう十分に、普通じゃないくらいに長い期間、マイナスは味わった。そろそろプラスの時期に入ってもいいんじゃないか?」
「そ、そんなこと、自分で決められるの?」
「ある程度は決められる。楽しみたいから遊んだり、趣味に打ち込むだろ?それと一緒さ。自分でもプラスは作り出せる」
「そう……なのかな」
そろそろ頃合いか。
一郎は訊ねる。
「黒江は生きてて、楽しいことあるか?」
「……アニメとか、漫画とか、楽しい……」
「じゃあ質問を変えるね。……この世界が好きか?」
「……アニメとかは、好き。でも……」
黒江は元より弱々しい声を、更に消え入りそうに震わせながらも、強い言葉で告げた。
「私はこの世界が嫌い。世界なんて全部大嫌い」
ようやく、本音が出たか。
この時を待っていたんだ。
堪らず一郎は口の端を持ち上げる。
そしてこう告げた。
「なら好きに世界を作ればいい」
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