偽聖女だ婚約破棄だと決め付けられ、思わずこぼれ出た第一声が「やったあ!」

アソビのココロ

第1話

「偽聖女ニーナ! 私はそなたとの婚約を破棄する!」

「やったあ!」


 王家と聖女教会の合同感謝祭パーティーで、リサルチア王国アラスター王太子殿下が声高に宣言した。

 賢いあたしは知っている。

 身分の高い人の発言には重みがあるから、そうそう言ったことを取り消せないと。

 これであたしは自由だ、やっほい!


「やったあ、とは何事だ!」

「ごめんね。あんまり嬉しかったもんだから。口の中に食べ物入れたままバンザイしたのは淑女らしくなかった」

「そなたに淑女らしさなど期待してな……そうでなくてだな!」


 何だったろ?

 出席者の皆さんも固唾を呑んでるけど、緊張感のある場面じゃなくない?

 あたしが婚約破棄されただけだぞ?


「そなたは私に婚約破棄されて何を喜んでいるのだ!」

「嬉しいからに決まってるじゃん。身分の違いってやつがあるから、平民のあたしから婚約破棄することなんかできないんだぞ?」


 殿下はそんなことも知らないのか。

 まったくおバカなんだから。


「私に何の不満があるのだ!」

「あれ? あたしのセリフを何げなく取られたな。……とゆーか殿下のいいところって、顔と健康くらいしかなくない?」

「十分だろうが!」

「おおう」


 そーきたか。

 いや、信頼できる優秀な家臣がいれば政治は回るな。

 子作りだけすればいいなら、ある意味殿下の言ってることは正しいわ。


「年回りの合う中で最も高位の聖女が殿下の婚約者ってことになってたじゃん? まーあたしも結構なお給料いただいてるし、義理には勝てないわ。だから渋々殿下の婚約者を引き受けたんだよ」


 ぶっちゃけ過ぎだろって声がどこかから聞こえたけど、これは本音。


「そ、そなたは私が嫌いなのか?」

「嫌いじゃないよ」


 好きでもないけど。


「そ、そうか」

「何を喜んだ顔してるのよ? 殿下は今あたしを婚約破棄したんじゃなかったっけ?」

「そうだ、偽聖女ニーナよ! そなたは不敬に過ぎる!」

「えっ? でも殿下はそのままのあたしが好きって……」

「言ってない!」

「あたしも言われた覚えなかったわ」


 アハハ。

 観客の皆さんもお喜びだわ。


「ごめんね。正直だから本音が漏れちゃうの。ところで偽聖女って何?」


 あたし筆頭聖女じゃなかったっけ?

 誇らしげにアラスター殿下が言う。


「聖女とは王家が任命するものなのだ! よって父陛下が外遊中の今、聖女の任命権罷免権は王太子たる私が持つ! そなたはクビにした!」

「へー」


 大司教のじっちゃんがアホ王子にしてはよく気付いたって顔してるわ。

 じゃあ本当みたいだな。


「聖女でなくなったそなたを私が婚約者とする意味はない。よって婚約破棄したということだ!」


 あれえ? 殿下にしては論理的だわ。

 誰かに教えてもらったのかな?


「新しく筆頭聖女となったのはこの、カトリーヌ・ディクスドラン公爵令嬢だ。同時に私の婚約者となる!」

「へー」


 カトリーヌちゃんは可愛いけど、性格は悪いぞ?

 殿下の前ではそーゆー面を見せてないのかもしれんけど。

 そんで筆頭聖女が務まるほどの聖魔力はなくない?


「偽聖女ニーナよ。そなたの聖魔力をカトリーヌに与えよ!」

「えっ?」

「さすればカトリーヌは筆頭聖女に相応しい聖魔力を得るであろう!」


 おいおい、どこでそんな知識を仕入れてきたんだよ。

 今日の殿下冴え過ぎだろ。

 あっ、カトリーヌちゃんがほくそ笑んでるわ。

 扇で隠しててもわかるわ。

 カトリーヌちゃんの入れ知恵だな?


「聖女による聖魔力の譲渡が可能なことは知っている!」

「できるっちゃできると思う。やったことないけど」

「ならばカトリーヌに譲渡せよ!」

「やめとく」


 皆さんホッとしてるけど、多分思ってる理由と違うと思うよ?


「拒否するのか! 不敬罪侮辱罪の上に命令服従違反が加わるぞ!」

「えーと、殿下。ちょっといいかな?」

「何だ?」

「あたしとカトリーヌちゃんじゃ魔力容量が違うじゃん?」

「魔力容量……最大マジックポイントのことだな?」

「冒険者的に言えばそうだね」

「だから何だ!」

「簡単に言うと、あたしがカトリーヌちゃんに聖魔力を譲渡したら、カトリーヌちゃんがボンってなっちゃう」

「ボン、とは?」

「カトリーヌちゃんがあたしの聖魔力を受け切れなくて破裂しちゃう。具体的にゆーと、死ぬか廃人になるか」

「「えっ?」」

「あたしも詳しいことは知らんけど」


 そもそも聖魔力の譲渡って、聖魔力の持ち主が極端に少ない時代に、亡くなる間際の聖女が魔力容量の大きな人を聖魔力の使い手にするために譲ったってことだからな?

 魔力容量を増やすためにやるなんて聞いたことないわ。


「そ、そなたとカトリーヌでは魔力容量が違い過ぎるということか?」

「そうそう。一〇〇倍くらいは違うと思う。もっとかな?」


 聖女教会関係者が頷いてるでしょ?

 カトリーヌちゃん青くなっとるわ。

 お仕事サボってるから魔力容量が伸びないし、教会では当たり前のことも知らないんだぞ?

 余計なことは知ってるクセに。


「な、何故平民のそなたが莫大な魔力容量を持っているのだっ! 理屈に合わんではないか!」

「何の理屈だか知らんけど、貴族だとか平民だとかは人が決めたことだぞ? 一方で聖魔力とか魔力容量を授けるのは神様なの。どーして神様が人に忖度しなきゃいけないのよ? それこそ理屈に合わんわ」

「「……」」

「で、どーする? あたしはどーしても聖魔力が欲しいってわけじゃないから、譲ってもいいぞ? その代わりカトリーヌちゃんがどうなっても責任は持たない」

「いや、待った! 魔力譲渡についての要請は撤回する」


 撤回されたぞ?

 殿下の言葉の軽さよ。

 皆クスクス笑ってるからな?


「で、婚約破棄については了承するとして、殿下はあたしをどうしたいのよ?」

「国外追放処分にする!」

「あんたはアホか」

「何おう!」

「あたしが聖女クビになったって、莫大な聖魔力の持ち主であることは変わんないだろーが。貴重な人材を自分の我が儘で他国に追いやってどうする。陛下と王妃様帰ってきたらメッチャ叱られるぞ?」

「じ、じゃあ処刑?」

「筆頭聖女の婚約者をクビにした上処刑なんてよっぽどの罪がないとムリだろ。王家と殿下の信用が揺らぐと、国が転覆しちゃうぞ? あたしも素直に処刑されてやる気はないし」

「どうすればいいんだ!」

「王都から追放くらいにしときなよ。あたしも今までお給料もらってた義理があるから、この国にいてやってもいいよ」

「む? ならばその条件で」


 ここまでオーケー。


「で、婚約破棄の慰謝料は?」

「どれだけずうずうしいのだ!」

「殿下自分の立場わかってる? 陛下と王妃様がいない間に勝手なことしてるのには変わりないからな?」

「む……」

「ま、あたしも貴族間のパワーバランス的に、公爵令嬢のカトリーヌちゃんが殿下の婚約者ってのは悪くないと思ってるんだ」

「そうであろう?」

「素直に慰謝料ガッポリ出せば、あたしもカトリーヌちゃんの筆頭聖女就任と殿下の婚約者になることに賛成してやろうじゃないかって言ってるんだよ。あたしが賛成してるのとゴネてるのでは陛下の印象が違うぞ?」


 聖女が断罪されてる現場とは思えんっていう、誰かの呟きが聞こえる。

 残念ながらあたしはもう聖女じゃないのだ。


「わ、わかった。しかるべき金額を出そう!」

「よーし、契約は成立だ! 握手!」


 わーい!

 どこへ行こうかな?


          ◇


「ニーナよ。偽聖女教会を作るのじゃ」

「えーと、えっ?」


 色々ゴタゴタはあったけど、結局アラスター殿下との婚約破棄と筆頭聖女解任はその通りになった。

 とゆーか陛下御夫妻が大慌てで帰国した時には、時間が経ち過ぎてて既にどうにもならなかったとゆーのが正しい。

 あたしも王都を出ちゃってたしな。

 自由になったぞ、やっほい!


 王都近郊の村ラパでブラブラしてたら、聖女教会大司教のじっちゃんが押しかけてきた。

 聖女教会辞めてきたんだって。

 何で?


「じっちゃんが偽聖女教会なんて言ってちゃいけないんじゃないの?」

「問題ない。我が国は信教の自由は保障されておるからの」

「そお? いや、それはそれとして、何で偽聖女教会なん?」

「お主が言っていたではないか。聖魔力とか魔力容量を授けるのは神様だと」

「言ったけれども」

「つまり神はお主に聖女として働けと能力を授けておるのじゃ。人間の都合で聖女をクビになったのなら、偽聖女として働くべきじゃ」

「……なるほど?」


 さすがは年の功。

 何となく大司教のじっちゃんが言ってることは正しそうな気がする。


「でも聖女教会があれば足りるんじゃないの?」

「そんなことないわい。ニーナが何人分も働いていたから持っていたようなものじゃ。それに神をも恐れぬお主が……」

「ちょっと待った! 神様を恐れないことないわ。そこまで罰当たりじゃないわ」

「傍若無人なお主がいたからこそ貴族閥を抑えることができ、聖女教会は均衡が取れていたのじゃ。お主が抜けたらすぐに問題は表面化する」

「ええ? それがわかっててトップが辞めてこっち来ちゃったのかよ」

「わしじゃってくだらぬ苦労はしたくないのじゃ」

「理屈はわかるなあ。偽聖女教会を立ち上げることはくだらなくない苦労なんだ?」


 ふっとため息を吐くじっちゃん。


「まあの。ニーナがここにいる、という旗印が必要なのじゃ」

「んー? よくわかんないけど」

「一ヶ月も経てばわかるわい。お主もこのラパ村に使われていない礼拝堂があるから来たのじゃろう?」

「その礼拝堂を偽聖女教会の本部にするってこと? いーや、あたしはおいしそうなイノシシの群れを近くで見たことがあるから来ただけ」

「理由は何でもいいわい。ラパ村に導かれたことが重要なのじゃ」


 そーなの?

 まあじっちゃんが満足してるならいいや。


「あたしはイノシシ狩ってくるよ。畑を荒らすらしくて、村人が迷惑してるんだ」

「わしは礼拝堂を覗いてくるかの。使えるようにするのは骨が折れそうじゃが」

「村人に手伝ってもらえばいいよ。イノシシ鍋腹一杯食わせてやる代わりに手伝えってさ」

「ふむ? イノシシ狩りに自信があるのか?」

「誰に物言ってるのよ」


 あたしが使えるのは癒しや祝福の力だけじゃないわ。

 魔法の手ほどきしてくれたのはじっちゃんじゃないか。

 時々教会抜け出して、イノシシやシカを狩って感謝されてたわ。


「行ってくる!」


          ◇


 大司教のじっちゃんの言う通り、一ヶ月もしたらマジで状況が変わった。

 聖女教会の、特に平民の修道士修道女や司祭・助祭、聖女達が逃げてきたのだ。

 何で?


「ニーナ様がいなくなってからの聖女教会は本当にひどいのです!」

「そうだ。俺達ばかりに仕事を押し付けて、貴族は遊び回っている!」

「んー? でもカトリーヌちゃんとか元々そんな感じだったじゃん」

「どうせ貴族出身者は何もしないのじゃろ?」

「「「「はい!」」」」

「やらせりゃいいじゃん」

「ニーナ様くらいの実力やテオドール大司教猊下の権威がないとムリです」

「聖女教会は貴族出身者に任せておけばよい。やつらしかおらねば、嫌でも何とかするじゃろ」

「私達も偽聖女教会に置いてください」

「そーかー。こっちお給料は出ないぞ? 食べ物はあるけど」

「「「「十分です!」」」」

「そお? 逃げたきゃ逃げていいからね」


 でも結構実務を担ってた人員がこっち来ちゃったけど、王都の聖女教会はやれるのかなあ?


          ◇


 三ヶ月も経つ頃には偽聖女教会ラパ村本部が知れ渡り、王都から癒しを受けに来る人がいたり寄付してくれたりする人も出始めた。

 ちょっとだけどお給料を出せるようになったよ。

 自給自足&物々交換経済から脱した!


「それにしても人が随分多くなったんじゃない?」

「ラパ村に移住する者が増えておるからの」

「何でだろ? 街道から離れた辺鄙な村なのになあ」

「やたらと農作物の収穫量が伸びており、牛乳や鶏卵の収量も増えておるじゃろ?」

「あたしや聖女達が暇に飽かせて祝福しまくってるからね」

「ケガしてもまず安全じゃし」

「まあこれだけ聖女がいればね」

「この世の楽園ではないか」


 そーいわれりゃそうかも。

 あれ、見慣れない軽装兵が来たぞ。

 伝令かな?


「テオドール大司教猊下、ニーナ様!」

「もうわしは大司教ではないぞ」

「偽聖女教会は小さいからなー。小司教かな?」


 アハハ。

 あれ? 笑いどころじゃないの?


「隣国シアノイツが攻め寄せてまいりました!」

「意外ではないが……」

「ちょっと変だね」


 リサルチア王国と東の隣国シアノイツ王国は伝統的に仲が悪い。

 利権を取ったり取られたりの間柄だから。

 国王夫妻が外遊してたのも、対シアノイツを視野に入れて友好的な国を増やそうという思惑があったのだ。


「王が外遊中に攻めてくるならわかるが、今になってとはな」

「そうだねえ」

「ニーナがリサルチア国内にいることに拘ったのも、戦争の危険があったからじゃろ?」

「まあ」


 聖女はクビになったけれども、お世話になった人も大勢いるしな。

 見捨てるに忍びない。


「それでニーナ様にヒーラーとしての協力要請が出ているのです」

「聖女教会に頼めばいいじゃろうが」

「いえ、その協力要請を出しているのが国でも王家でもなくて、デレク中将でして」


 デレクのおっちゃんはいい人だ。

 二度ほど魔物退治に付き合ったことあるし、時々御飯を奢ってくれた。

 戦闘指揮官としてはリサルチアで一番有能なんじゃないかな。

 平民出身で中将って結構すごい。


「デレクのおっちゃんが司令官なんだ?」

「はい。王家からは聖女教会に協力要請をしたらしいのですが、聖女不足のためムリだと」

「愚かな! こんな時こそ筆頭聖女が全員聖女を引き連れてでも戦地に向かうべきじゃろうが!」

「聖女教会の権威を上げるためにもカトリーヌちゃんが立場を固めるためにもそうだねえ」


 伝令兵さん苦笑しとるわ。

 軍では今の聖女教会使えんっていう認識みたいだな。


「デレクのおっちゃんの頼みじゃ断われないわ。行ってくるね」

「助かります!」

「気を付けるのじゃぞ」

「あたしは大丈夫だけど、こっちよろしくね」


 せっかく偽聖女教会も順調に進み始めたところだからな。

 まー大司教のじっちゃんに任せとけば平気だろ。


          ◇


「大変です! 我が国が西の隣国ゾリバス帝国に攻められております!」

「「マジかー」」


 デレクのおっちゃんの声とハモった。

 東の隣国シアノイツが攻めてきたので、国境まで出張って応戦しました。

 そしたら西の帝国に攻められました。

 今ココ。


「こーゆー事態にならないように、陛下御夫妻が外遊して各国に協力を要請してたんじゃないの?」

「いや、アホ殿下とニーナちゃんの婚約破棄があったろ? 陛下は帝国滞在の予定をキャンセルして帰国してるんだ。帝国はバカにされたと感じたかもしれない」

「マジかー」


 そんな予定外の事態が起きてるとは。


「ニーナちゃん、どうするよ? とっとと方針決めなきゃいけないんだが」

「それあたしに聞いちゃうのかよ」

「軍人の発想だと王都に取って返すか、それともシアノイツに降伏するかの二択だな」


 つまりそれ以外の方策があるかを聞かれてるのか。

 西から帝国が攻めてくるなら、リサルチア軍の主力がこの場を維持していても仕方がない。

 第一もう兵糧も送ってこられないだろう。

 短期で決着付けるのは大前提だ。


 ふつーなら取って返すの一択だが、デレクのおっちゃんが降伏を視野に入れてるのは、リサルチア王家の求心力の問題なんじゃないかな。

 アラスター王太子殿下のやらかしが露骨に危機を呼び込んでるから、臣民が国を支えようって気をなくして保身に走っちゃうという。

 アホ殿下言っちゃってるしなー。

 ならば……。


「シアノイツの司令官をとっ捕まえよう。それで東の戦争は止まる」

「えっ? エセルバート殿下を? そんなことができるのかよ?」


 シアノイツ軍の総司令官はエセルバートという第一王子殿下だ。

 王子が自ら戦場に出てくること自体偉いと思う。


「どうせゾリバス帝国がリサルチアに攻め込んでることは、シアノイツ軍もすぐに知るでしょ?」

「多分ね」

「じゃ、引っかかるんじゃないかな? こうして……」


 あたしの魔法でどうたらこうたら。

 デレクのおっちゃんが呆れた顔してる。


「ニーナちゃんそんなことできるのかよ? 言ってくれりゃもっと楽できたのに」

「職責ってやつがあるじゃん? あたしは軍人じゃないから。それにあたしの聖魔力は、人を癒すために神様がくれたと思うんだよねえ。敵軍にダメージを与えるためじゃない」

「まあわかる。今回はニーナちゃんの作戦が一番両軍の人的損害が少ないから、神様も許してくれるだろうってことなんだな?」

「そうそう。おっちゃんはわかってるなあ」


 とりあえず作戦は決まった。


「首尾よく殿下を捕らえることができれば話し合い。逃げられたらそのまま王都に向かって撤収だな?」

「そーだね。捕らえ損ねても追撃されずに帰れると思う」


          ◇


 ――――――――――三日後、シアノイツ軍総司令官エセルバート殿下視点。


 どうやらリサルチア軍が撤退の準備をしているようだと、斥候からの報告が入った。

 知将と名高いデレク中将がわざわざ出張ってきて、戦端らしい戦端も開かれていないのに何故? と訝しく思っていたところ、西のゾリバス帝国がリサルチアに侵入したとの速報が来た。

 リサルチア軍の陣容からして、明らかに主力は我が方に向けている。

 西はがら空きに近いんじゃないか?


「おそらく敵軍は一部殿軍を残して首都パリスに引き返すと思われます。いかがいたします?」


 いかがとは、国境の陣地を奪取したところまでで満足して恒久陣地化するか、それとも追撃するかという意味であろう。


「ゾリバスは危険だ」

「は」


 それだけで副官は納得する。

 ゾリバス帝国、あの極端な実績主義成果主義の国は、信賞必罰の国だ。

 と、それだけ聞くとまともに思えるが、実は違う。

 結果のみが重視され、法律すらも置いてけぼりなのだ。

 皇帝を暗殺しても成果を上げれば認められるのはおかしいだろう?


 どうせあんな国はいずれ分裂するが、軍は強い。

 勝てば栄達、負ければ処刑だからだ。

 なりふり構わず必死に来る。


 正直リサルチアがゾリバスに滅ぼされるのは、我がシアノイツにとっていいことではない。

 国土を拡大したゾリバス帝国がシアノイツと国境を接するなんて考えたくもない。

 しかしそれが避けられないのならば、可能な限りシアノイツも勢力を拡大しておくべきだ。

 つまりリサルチア軍の陣地を抜いたら、撤退する敵を追撃するのが正しい。


 ……本当はリサルチアと共闘できればベストだ。

 オレ自身の個人的な事情からすればだが。


「リサルチア軍が撤収を始めました!」

「よし、敵軍の国境陣地に攻めかかれ! 労を惜しむな!」

「そ、それが全軍撤収のようです」

「何だと?」


 全軍撤収だと?

 そうか、王子であるオレは功が欲しい、かつ安全策で来ると思われているのか。

 敵陣の占領で満足すると。

 舐められている!


「出撃だ! オレに続け!」

「「「「おう!」」」」


 国境の陣地を蹴破って占領するも、矢一本すら飛んでこない。

 もぬけの殻だ。


「追撃だ! オレ自身が出る」


 リサルチア軍も急な撤退だ。

 一刻も早く首都パリスに引き返さねばならぬため、騎兵が先行しおそらく足の遅い輜重隊は最後尾にいると思われる。

 景気づけにまずそいつらを襲撃する!


 む? 霧が出てきたか。

 しかし逃さん。


「前方に敵影あり。輜重隊と弓隊かと思われます!」

「弓に怯むな。この霧で当たらん。蹴散らせ!」


 突撃!

 ……したものの、何だ? 行き止まり?

 敵の輜重隊と弓隊はどうした?

 急に霧が晴れる!


『はーい、シアノイツ兵の皆さん。御苦労様です』


 拡声の魔道具を使っているようだが少女の声だ。

 あっ、何ということ!

 ここは谷底ではないか!


『あたし達は平和主義者なので、皆さんが大人しくしてれば何もしません。でもギャースカ騒げば油を撒いて火を落とします』


 こ、こんな地形で火計を食らっては全滅だ!


『司令官の人、出てきてください。お話をしましょう。その他の皆さんは武装解除してくださいね』


          ◇


 ――――――――――偽聖女ニーナ視点。


「シアノイツ軍総司令官、エセルバート第一王子殿下で間違いないですか?」

「ない」

「ひょー、殿下おっとこまえ!」

「ニーナちゃん、男は顔じゃないって知ってるだろ?」

「アラスター殿下が顔だけ王子だって?」

「そんなこと言ってないよ!」


 アハハと笑ってたら、エセルバート男前殿下が不思議そうな顔になった。

 あ、自己紹介してなかったな。


「小官はリサルチア軍司令官のデレク中将です」

「あたしはヒーラーとして従軍している偽聖女ニーナだよ」

「偽? 聖女ニーナといえば、当代一の聖魔力の持ち主で、アラスター王太子殿下の婚約者だという?」

「過去形だね。婚約者と聖女クビになっちゃったの」

「えっ?」

「それで従軍してもらってるんですよ……正直王都に残ってる聖女どもが従軍に耐えられると思えなくてですね」


 あれ、結構ぶっちゃけてるのに、男前殿下ったら首かしげてるぞ?

 何で?


「……何か咎があって婚約破棄されたのか? クビなのに何故従軍している?」

「そこかー。アラスター王太子殿下はカトリーヌちゃんっていう公爵令嬢が好きみたいで」

「現在は偽聖女扱いされてますが、俺はニーナちゃん以上のヒーラーを知りませんのでね」

「偽聖女扱いってゆーか、自分でそう名乗ってるんだぞ?」

「……よくわからんが、聖女ニーナはそれで満足してるんだな?」

「満足満足。王太子殿下から解放されてとにかく満足!」

「ひどい」


 ハハッ、あれ、デレクのおっちゃん笑ってないじゃん。


「ニーナちゃんがクビになったのは、もう何ヶ月も前の話なんですよ。我が国を調査されてるはずの殿下が御存じないのは何故なんですかね?」

「そーだ、あたしも疑問があるわ。国王夫妻が外遊中の時じゃなくて、今攻めてくるのは何でなん?」

「……オレは第一王子ではあるが、亡くなった前の王妃の子だから」

「「ははあ」」


 つまり次期王位を狙う王子が他にいて、そっちが後ろ盾もしっかりしてるってことなのか。

 だから総司令官でありながら情報が制限されていて、しかも不利な状況で戦争して死んでこいってわけだな?


「ヴァーノン第二王子、ギルバート第三王子もまた有力だって聞くね。末子のユリエル第四王子も溺愛されてるって話だし」

「ふーん。どこの国にもバカみたいな話ってあるんだなあ」

「どう思う?」

「あたしはお買い得だと思うけど」

「決まりだな」


 デレクのおっちゃんも男前殿下を気に入ったみたい。

 口説き落とそう。

 いい男を口説くってドキドキするなあ。


「リサルチア遠征で大功を挙げて、少なくとも将兵の支持くらいは得ておかないと、殿下は将来いい夢見られないってことなんでしょ?」

「そういうことだ。現実はこうして捕虜になっているわけだが」

「諦めるのは早いですよ」

「ふむ?」

「あたし達も困ってるの。知ってるでしょ?」

「ゾリバスに侵攻されている件か?」

「そうそう。リサルチアにとってはこんな局地戦で殿下を捕虜にしたって、何の旨みもないわけよ」

「エセルバート殿下に御協力いただきたく」


 じろっと見てくる男前殿下。


「……我が軍をもってゾリバス軍を追い払うのを手伝えと」

「そゆこと。そーすりゃ殿下はリサルチアの救国の英雄。リサルチアの支持は欲しくない?」

「殿下凱旋の際は、俺がリサルチア軍を率いてお供してもいいですよ」

「あっ、あたしもついてっていい?」

「……ゾリバスは異質な帝国だ。ちょっと受け入れがたい。あんな国と隣国になるくらいなら、まだ価値観の同じリサルチアと共闘したいと思っていた」

「やたっ! 殿下おっとこまえー!」

「男前関係ないだろ」


 アハハ、とにかく共闘は決まったってばよ。


「ところで我が軍を谷底に引き込んだ、あの霧は何だ?」

「あ、霧が怪しいってバレちゃった? 幻霧の魔法だよ」

「魔法だと? あんな大規模な?」

「まー聖女時代はあんな魔法は使わなかったけど、今偽聖女だからいいかなって」

「あの霧は特に条件は関係なく出せるのか?」

「うん」

「……ほぼ損害を出さずにゾリバス軍を一網打尽にできるのではないか?」

「地形次第ですな」

「お腹減っちゃったよ。谷底の兵隊さん解放して御飯にしよー」


          ◇


 ――――――――――『英雄』エセルバート殿下視点。


 あっと言う間だった。

 デレク中将と聖女ニーナの案内で無人の野を往くがごとく進軍、途中で領主貴族の領兵や義勇軍を合わせ、とんでもない大軍になってリサルチアの首都パリスへ到着。

 パリスを囲むゾリバス帝国軍を逆包囲した。


『包囲に甘い部分を作ればそこから脱出しようとするよ』

『なるほど。わざと弱い部分を作っとくんだね?』

『そうだ。ニーナちゃん、魔法で湿地帯に追い込めないか?』

『できるできる。でもあそこから山には逃げられるんじゃなかったっけ?』

『山には兵を伏せておく。とっとと降参させてくれよ』

『りょーかーい』


 中将と聖女は何であんなに楽しそうだったのだろう?

 戦闘前の緊張感というものをまるで感じなかった。

 結局ゾリバス帝国軍を死地に追い込んで全員降伏させた。


『ゾリバス軍の皆さんも働いてくれることになったぞー。万々歳だ!』

『信用していいのか? 例えばデレク殿の首を取ってゾリバスへ逃げ帰ることだってあり得るだろう?』

『ゾリバスは徹底的な信賞必罰国家なんですよ』

『知っている』

『もし俺の首を持って帰ったなら恩賞をもらえるでしょうな』

『だったら……』

『そのすぐ後で、敗戦・投降の罪を問われて処刑です』

『そうそう。処刑されちゃうくらいなら、リサルチアかシアノイツで働いた方がお得だよ。あたし達は優秀な人を大事にするからね』


 ゾリバスの降将三人がコクコク頷いていた。

 ……この二人ゾリバスの皇帝より怖いんじゃないだろうか?


『予定外だったなー』

『まったくだ』


 何が予定外だったか?

 リサルチア王家の面々が降伏してきたのだ。

 何故?


『要するにもうリサルチア王家が臣民に見限られたってことですよ』

『男前殿下がいいとこ皆持ってっちゃったからなー』


 わからなくはないか。

 なす術もなく帝国軍に首都パリスを包囲され、その後オレとデレク中将の軍が帝国軍を降伏させたのだ。

 王家の権威なんてあったもんじゃないだろう。

 パリスが解放された時の、市民の熱狂的歓迎がそれを証明している。

 

『どうします? 殿下がシアノイツへ帰還して立場を確立、また戻ってくるまでは、旧支配体制を続けた方がいいと思いますけど』

『新支配体制になっても、貴族としての身分は殿下の名をもって保証するって言っとけば、真面目に統治してると思うよ』

『ではそのように』


 その後急ぎシアノイツへ帰国した。

 デレク中将と聖女ニーナ、並びにゾリバスの降将三人を連れた堂々の凱旋だ。

 しかも我が軍は無傷に近い。

 父陛下に諸手を挙げて迎えられ、オレは王太子となった。


「よかったねえ」


 よかった、か。

 王太子となったオレの周りには令嬢が群がるようになった。

 いつか死ぬ王子と目されていた時からは信じられないことだ。

 しかしいつもいたずらっぽい目をした印象的な少女。

 勝利と栄光へ導いてくれた少女。

 オレの妃には彼女しか考えられない。


「聖女ニーナ」

「あたしは聖女ではないとゆーのに」

「シアノイツ公認の聖女にしよう」

「そお? 偽聖女教会も名称変更しないといけないかな?」


 何を心配しているのだ。

 新聖女教会か真聖女教会かニーナ教会でいいではないか。

 パリスの聖女教会が機能せず、聖女ニーナが大功を挙げたことは周知の事実なのだから。


「オレの妃となってくれまいか?」

「いいの? 嬉しいな」

「アラスター殿とはうまくいかなかったのだろう?」

「黒歴史を抉ってくるなあ。まーアラスター殿下とは気が合わなかったわ」

「王族を嫌っているのかと思ったんだ。断られるのが怖くて」

「男前殿下は優しいな。前の婚約は、筆頭聖女だった時に自動的に決まったんだ」


 何故アラスター殿は聖女ニーナほどの偉才と婚約しながら、大事にしなかったのだろうな?

 リサルチア王夫妻は領地を持たない公爵相当として遇することになった。

 アラスター殿は……。


「リサルチア王家直轄領から一部を切り分け、伯爵とする」

「うん、いいんじゃないかな。王家に仕えてた人達を引き取ってくれる人も必要だわ。優秀な御家来衆もいるから、言うことさえ聞いてれば伯爵くらい務まるわ」

「ニーナはそれでいいのか?」

「まーそんくらいが落としどころじゃない? 何だかんだで旧王家を支持する人もいるからね」


 ニーナの視野は広い。

 そして寛容だ。

 リサルチア王家を恨んでいる様子が全く感じられない。

 それでこそ。


 オレはシアノイツ=リサルチア同君連合国家の王となる。

 だからオレの妃はリサルチア人でなくては都合が悪いのだ。

 いや、そんなのはただの言い訳か。

 オレが聖女ニーナに惹かれているから。


「殿下、ニーナちゃん」

「おっちゃんかー。今いいところだったのに」

「ハハッ、ごめんよ」


 デレク中将にはシアノイツとリサルチアの国境に新都市を建設し、その太守に就任してもらうことになった。

 今後はシアノイツ~リサルチア間の交易が盛んになることが予想されるから、どうしても中間に町が必要なのだ。

 軍人と政治家両方の視点を持ち、同地に土地勘のある者と言えば中将しかいない。

 伯爵位を推薦したのだが断られた。

 何でも勤め人の方が気楽でいいそうだ。


 ゾリバスの降将三人はシアノイツ、リサルチア、新都市にそれぞれ配属が決まっている。

 ゾリバスの実地を知っている貴重な人材でもある。

 人材は宝だ。


「イチャイチャするところだったのかい?」

「男前殿下にプロポーズされたんだよ」

「そうかい、でもニーナちゃんしかいないだろ」

「そお?」


 嬉しそうな聖女ニーナ。


「エセルバートと呼んでくれ」

「エセルバート」

「おお? 普通はエセルバート様って呼ぶんだよ? 将来のシアノイツとリサルチア両国の王様だからね」

「そういえばそーだった」

「いや、いいのだ」

「あ……」


 ニーナを軽くハグする。


「ドキドキするわー」

「もっとドキドキさせてやる」

「うはー、おっとこまえのセリフだわ」

「ハハッ、ごちそうさん」

 

 デレク殿が去って行く。

 何しに来たんだろうな?

 いや、用なんかいくらでもあるか。

 今は遠慮してくれたようだ。


「ニーナ、愛しているぞ」

「うはー、おっとこまえのセリフだわ」


 普通の令嬢はこんな反応はしないんだろうなあ。

 一々新鮮だ。

 シアノイツ=リサルチアはこれからの国。

 愛しのニーナよ、今後ともよろしく。

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偽聖女だ婚約破棄だと決め付けられ、思わずこぼれ出た第一声が「やったあ!」 アソビのココロ @asobigokoro

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