第7話 山越え谷越え




 ある日のこと。


 俺のどしどしした足音が近づいても、ミラがこちらを振り向かず全く気付かないときがあった。

 珍しいな、と思ったらどうやら熟睡しているらしい。

 木にもたれかかっているミラの手の中で、何本もの細い枝と中央に太い枝がゆるく握られていた。木の枝を組み合わせて、人形を作ろうとしていたらしい。

 口から寝言がこぼれ出る。


「んん……おはよ、みんな……」


 俺は両親とは既に死別したし、かつて人間だった頃に未練はほぼないが、やはりミラは故郷が恋しいのだろうか。






「ミラが来て今日で七日か……早いものだな」

「毎日が楽しいから、あっという間に過ぎてしまいますね」


 俺は自分のベッドの石の部分に刻んだ正の文字をなぞる。こんな楽園に一人だったらわざわざ粗末な暦で時間に縛られようなんて思わないが、ミラが一緒にいてくれる日々を形にして刻んでおきたい、などと思ってしまった。


(未練といえば、俺の日記帳はどうなったんだろう。変なことは書いてないけど、処分される前に読まれたりしたら恥ずかしいな。人間だった頃の身体は土座衛門どざえもんになったのかな。そうでなければ当分は行方不明扱いか。まあ家賃も払えないままだし、すぐ日記も処分されるだろう)


 死別にも、ただの別れにも慣れすぎた分、俺は人そのものより人と過ごした思い出や記録に執着するようになった。

 誰しもいつかは離れていくが、思い出や記録は残しておくことができる。

 昼間は光り輝き命あふれる楽園の日々に慣れてきたからか、ときどき遠くで虫が鳴くだけの静かな夜に、久しぶりに根暗な感傷に浸ってしまった。


「よし、明日から地図を作ってみよう」

「地図、ですか?」

「ああ、遠くまで飛んでいって、神龍の国に何があるかを記録していくんだ。ここは黄金の果実がある場所、あそこは丈夫なツタがある場所。きっと面白いぞ」

「申し訳ありません。私、文字はほとんど読めなくて、お役に立てるかどうか……」

「こんなところで文字なんて使わないよ。絵で十分だ」


 という訳で明日は探索と気晴らしを兼ねて遠出することになった。






 いつもの川を越え、平原を飛び、霞んだ色の山々に向かう。


「今日はあの白とピンクの山に行ってみよう」


 下から見る草木や花々も美しいが、空から見る絶景もまた格別だ。

 まだ眠っているかのように彩度を落としていた朝の平原が、日が昇るにつれて木の葉の緑、草の青緑、土の赤、鳥の白と色を取り戻していく。

 フラミンゴに似た赤褐色の鳥が一斉に飛び立ち、眼下一面花が咲いたようになった。



「おお……」


 草原を抜けて、森を渡る頃には山の全容が見えてきたが、そこで俺とミラはため息を漏らした。


 白い花が咲いていると思った山は、そのほとんどが滝でできていた。

 白く見えるのは瀑布ばくふがほとばしり、石を削らんばかりの勢いで滝がしたたり落ちているからだった。

 ところどころ水がぎりぎり直撃しない突き出た岩場に、桜に似た花の木が生えている。

 そこに着陸して青空を見上げると、白く光る滝との狭間に虹がかかっていた。


「涼しいなぁ~」

「わあっ! ひんやりして、気持ちのいい場所ですね……」


 日焼けして少しだけ小麦色に近づいたミラの肌が、水飛沫みずしぶきでより一層うるおう。


「あっ、バジラウス様。この木、花と一緒に実をつけています。あそこ!」


 ミラが指さす先を見てみると、木の一番高いところに少々の赤い実がぽつりぽつりとついている。


「ああ、本当だ。でも今はお腹空いてないし、ここは足場が小さくて危ないから食べるのはやめておこうか」

「あの……私が登ってみてもいいですか? 木登りは得意だったので、きっとうまく取れると思います」

「……食べてみたいの?」

「……はい」

「まあ、命綱があるから大丈夫か。でも気をつけるんだぞ」


 魔石を使うようになってから、ミラを乗せて飛ぶときには万が一に備えてツタを元に作った長い命綱を、俺の足首とミラの腹に巻きつけていた。

 俺の心配をよそにミラはするすると枝を瞬時に選んで登っていく。

 手も足も大幅に動いて、特に高い枝に移るときなんか葉に隠れてるふとももが露わになって別の意味でハラハラする。


「取れました! 今から降りますね」


 降りるときもあっという間だったが、枝と絡まないように気をつけていた命綱が最後の最後でミラのふくらはぎに絡まってしまう。


「きゃあっ!?」


 下でスタンバイしてた俺が、慌てて羽毛まみれの腹で受け止める。


「うおっとっとっ……」


 もふぅっ……。


 着成功。無事にミラは俺のもふもふの中に埋もれ、恥ずかしそうに赤面しつつもしっかりと全身で羽毛にしがみついた。


「うう……バジラウス様に受け止めて頂くなんて……木登り得意なんて言ったくせに、恥ずかしいです」


 何はともあれ、取ってきてくれた赤い実を食べる。

 随分と小さいし食べるところも少なそう、と思っていたが、小さくて十分なのだった。

 舌にのせるだけで口の中を涼風が吹きわたり、その後に酸味混じりの甘みがじんわりと来る。

 どこか神々しさすら感じるその深い味わいに俺とミラはしびれた。


「うっわ~、これは……これは効く……」

「頬が落ちてしまいそうです……!」



 だが味わっているのは束の間だった。

 最初にミラが異変に気づく。


「バジラウス様、滝の色が変わってます!」

「え?」


 見ると、白かった滝全体が青く光り出した。

 水色に近い青ではなく、鉱物のような濃い青に変化していく。

 そして、声が響いてきた。


『偉大なる龍の神にして万物の王たるバジラウス様よ……この声がお聞こえになりましたら、どうかおこたえくださいまし。バジラウス様、バジラウス様……』



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